いま読む日本国憲法(34)第52条 国会、会期定め熟議 - 東京新聞(2016年12月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/imayomu/list/CK2016122602000154.html
http://archive.is/2016.12.26-003224/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/imayomu/list/CK2016122602000154.html


この条文にある「常会」とは通常国会のこと。一年に一回召集すると定めています。この条文や、臨時国会について定めた五三条、特別国会を定めた五四条一項から、日本の国会は一定期間に限って活動できる「会期制」を採用しているとされます。
通常国会が毎年一月に召集されることや、会期は百五十日間で一回だけ延長できることは、国会法で定められています。安全保障関連法が最大の焦点となった二〇一五年の第百八十九回通常国会は、九十五日間延長され、会期は常会として現憲法下で最長となる二百四十五日間に及びました。
東日本大震災が起きた一一年は臨時国会と合わせて通算二百八十九日間、国会が開かれ、通常国会が一月召集になった一九九二年以降で最長となりました。
これほど長期になるなら、あえて会期を区切らず「通年国会」を導入すべきだという意見も、憲法論議の中で出ています。
自民党改憲草案は、五二条二項を新設し「通常国会の会期は、法律で定める」としています。草案Q&Aは、会期延長についても法律に委ねると説明。法律で決めさえすれば、事実上の通年国会が実現できることになります。
しかし、会期制は必要という意見もあります。会期中に成立しない法案には何か問題があるのだから、会期で区切って議論を仕切り直した方が質の高い法整備につながる、という考え方です。野党にとっては、会期制は成立を阻止したい法案を「時間切れ」に追い込む武器という側面もあります。

 ◇ 
「読むための日本国憲法 東京新聞政治部編」(文春文庫)をベースに、憲法の主な条文についての解説を随時掲載しています。

自民党改憲草案の関連表記
(1)通常国会は、毎年一回召集される。
(2)通常国会の会期は、法律で定める。

沖縄の苦しみは真珠湾が原点 「首相は歴史顧みて」 - 東京新聞(2016年12月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201612/CK2016122602000121.html
http://archive.is/2016.12.26-003537/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201612/CK2016122602000121.html

安倍晋三首相が二十八日(現地時間二十七日)に訪問する米ハワイの真珠湾には、沖縄の人たちにつらい過去を思い出させる場所がある。児童ら約千五百人が犠牲となった一九四四年の「対馬丸事件」を起こした米潜水艦ボーフィン号が、旧日本軍による奇襲攻撃にまつわるアリゾナ記念館のそばに係留・展示されているのだ。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、そこまで思いを至らせてほしい」と願っている。 (村上一樹)
ボーフィン号が撃沈した対馬丸に乗船していた高良(たから)政勝さん(76)=那覇市=は、事件で両親ときょうだい計九人を失った。当時は四歳。沈没時の記憶はなく、気がつくと洋上を漂流していて、三日後に漁船に救助された。首相の今回の訪問には「単に真珠湾の犠牲者の追悼だけにとどまらないでほしい」と求めた。
高良さんは現在、那覇市対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会の理事長を務める。「もし真珠湾攻撃がなければ、沖縄の子どもたちも対馬丸疎開することはなかった。戦後七十年余り続く沖縄の米軍基地化もなかったのではないか」と訴える。
戦後の沖縄は、一九七二年に米国から日本に返還された後も、東アジアにおける米軍の拠点として多くの基地が残った。今月二十二日には北部訓練場(東村(ひがしそん)、国頭村(くにがみそん))の約四千ヘクタールが返還されたが、それでも日本国内の在日米軍専用施設・区域の70%が、今も沖縄に集中している。
名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設を再開しようとしている政府に対し「沖縄に問答無用の姿勢で進めようとしている。先の大戦の教訓を生かし切れていない。真珠湾が発火点となり、そこから燃え広がってどうなったか。首相には今回の訪問で歴史を顧みて、それを今後に生かしてほしい」と話している。
事件当時十歳だった元教員の上原清さん(82)=沖縄県うるま市=は、いかだで六日間かけて奄美大島(鹿児島県)に流れ着いた。首相の訪問は「行かないよりは、一歩でも二歩でも平和に近づくのであればいい」と評価する。
一方で、事件の生存者や遺族の複雑な心境として「今でも真珠湾に行きたくない、ボーフィン号を見たくないという人もいる」と明かした。
沈没から六十年が過ぎた二〇〇四年、沖縄戦研究者らの紹介で対面したボーフィン号の元乗員から「多くの子どもたちが乗っていたことは当時知らなかった。戦争は地獄だ」と聞かされた。「日米双方とも、心の傷を負って、まだ癒えていない人もいる」と訴えた。
首相は二十六日夜、羽田空港発の政府専用機でハワイに向け出発する。

疎開児童ら1482人犠牲
対馬丸事件> 1944(昭和19)年8月22日午後10時12分ごろ、沖縄県内の児童や引率者らを乗せ那覇から長崎県に向かっていた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県トカラ列島の悪石(あくせき)島沖で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け10分ほどで沈没した。2016年8月までに名前が判明している乗船者1788人のうち約8割に当たる1482人が犠牲になった。生存者は280人程度。
日本政府は97年12月、悪石島周辺海域を捜索し、同島の北西約10キロ、水深870メートルの海底で船体を発見した。引き揚げは断念し、遺品や遺影などを展示する対馬丸記念館那覇市に建設し、事件から丸60年となる04年8月に開館した。天皇、皇后両陛下は14年6月に記念館を視察、事件の生存者や遺族と懇談された。
対馬丸を撃沈したボーフィン号は真珠湾攻撃から1年後に進水した「真珠湾の復讐(ふくしゅう)者」の異名を持つ潜水艦で、太平洋戦争では対馬丸のほかに日本の商船や旧日本軍の船など計44隻を沈めたとされる。

同一賃金の指針 口約束で終わらせるな - 東京新聞(2016年12月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122602000128.html
http://archive.is/2016.12.26-003744/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122602000128.html

非正規労働者の待遇改善につなげてほしい。政府は「同一労働同一賃金ガイドライン(指針)案」をまとめた。ただ、指針の基となる法律はこれから策定するとしており、実効性が課題だ。
安倍晋三首相は、政府の会議で「不合理な待遇差を認めないが、わが国の労働慣行には十分、留意した」と胸を張った。
非正規労働者と正社員の待遇格差を是正するための指針案は、雇用形態にかかわらず仕事の内容が同じなら賃金も同じにする「同一労働同一賃金」への第一歩になると評価できる。
通勤手当や出張旅費、時間外労働手当、慶弔休暇などでは待遇差を認めず、同一の支払い、処遇をするよう求めた。賞与についても、正社員に支給して非正社員に払わないのは「悪い例」と明記し、業績への貢献が正社員と同じなら「同一の支給」とした。
厚生労働省の調査では、正社員とパートの両方を雇っている事業所のうち、正社員に賞与を払っているのは八割を超えるのに対し、パートへの支給は四割に満たない。慶弔休暇をパートに認めている事業所は四割程度だ。見直しを迫られる企業は多いだろう。
基本給についても、経験や能力、実績などが「同じなら同一の支給をし、違うなら違いに応じた支給をしなければならない」との基準を示した。格差是正に向けて一定程度の前進は見込めそうだ。
しかし、そもそもこの指針案はどういう位置付けのものだろうか。というのも、指針の法的根拠となる関連法の改正はこれから議論するのだ。そして、指針が効力を持つのは、改正法が施行される時だという。
改正案を検討する段階で、人件費の負担増を嫌う経済界の反発で内容が後退する懸念は拭えないし、改正法が成立にこぎつけなければ、当然、指針も効力を持つことはない。日本労働弁護団幹部は「ただのアリバイづくりではないか」と警戒する。
全労働者に占める非正規労働者の割合は四割近くに達し、正社員に対する非正規の賃金水準は六割弱にとどまる。政府は「欧州並み」の八割程度に格差を縮めるという目標を打ち出している。実現するかは、法改正の行方を見極めねばなるまい。待遇差に関する企業側の説明責任を強化するという課題も残っている。
非正規労働者の待遇底上げを、単なる“スローガン”で終わらせてはならない。

慰安婦合意1年 一人でも多くに償いを - 東京新聞(2016年12月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122602000127.html
http://archive.is/2016.12.26-003953/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016122602000127.html

旧日本軍の慰安婦問題の解決を目指し日韓両政府が合意してから、二十八日で一年になる。被害者に対する日本側の拠出金支払いが始まった。韓国政治は混迷するが、粘り強く合意を進めたい。
合意に基づき韓国側が「和解・癒やし財団」を設立し、日本政府が財団に十億円を拠出した。
救済の対象は韓国政府が元慰安婦だと認定した二百四十五人。生存者には一人当たり一億ウォン(約九百七十万円)で医療や介護費用などを想定し、故人の遺族らには約二千万ウォンを渡す。
合意時点での生存者は四十六人で、財団の発表では、七割余の三十四人が拠出金を受け取る意向を示し、二十九人には既に支払いが完了した。
韓国政府当局者によると、受け取った現金の一部を支援者に渡したい、全額を大学生の奨学金に提供したいという人もいる。被害者たちの声が両国民に周知されないのは残念だ。
慰安婦の中でも支援団体と行動を共にする約十人は合意を拒否し、日本政府に法的責任を認め国家賠償をするよう要求している。
支援団体は日韓だけの歴史清算ではなく、戦時下の女性に対する性暴力の問題としてとらえ、国際的な規範となる解決を目指すべきだと主張する。確かに韓国の運動が、一九九〇年代の旧ユーゴ紛争で起きた性暴力の被害者救済に影響を与えた側面はある。
しかし、韓国の元慰安婦たちの平均年齢は約九十歳。この一年間で七人が死去した。日韓の合意に従って一人でも多くの被害者に日本側の拠出金を届け、健在なうちに償いをするのが最も望ましい。
安倍晋三首相は昨年末、「責任を痛感し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」との見解を表明した。金銭支払いですべてが決着するわけではない。日本政府が今後、被害女性に慰労と謝罪を直接伝え、尊厳の回復に取り組むことが重要だ。
朴槿恵大統領は政権内の不正により国会の弾劾訴追を受け、職務停止に追い込まれた。朴政権が推進した日韓合意について、野党側は撤回せよと迫る。
日本側はソウルの大使館前に設置された、慰安婦問題を象徴する少女像の撤去を要求しているが、韓国の混迷で見通しが立たない。
それでも、生存者の多くが日韓合意による解決に応じ、国連はじめ国際社会も評価している。仮に韓国の政権が交代しても、合意を尊重し実行するよう強く望む。

(余録)ある大学生が問うた… - 毎日新聞(2016年12月25日)

http://mainichi.jp/articles/20161225/ddm/001/070/111000c

ある大学生が問うた。「悲惨な体験をした人々は、どのようにその絶望から救われるのでしょうか」。壇上には、ベラルーシノーベル文学賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんがいた。先月末、東京外国語大学であったひとこまだ。
重苦しい空気に包まれた1年だった。突然の出来事になすすべもなかった人。だれかに、何かに打ちのめされた人。描いていた未来を閉ざされ、希望を失い、あるいは生命の危険にさらされた人もいただろう。そんな思いをした人が世界にもこの国にもいる。
そして、だれもが救いを求めたはずだ。身近なだれかに、信仰や自然に。あるいは司法や行政に、教育や医療に、しかるべき人の判断に。戦火や暴力のない地を求めた人もいた。どれくらいの人が救いを得られたのか。
アレクシエービッチさんは、学生の問いに「人は案外いろいろなことに救われます」と切り出し、話を続けた。「愛。子供への愛もそうです。子供の匂いの中に救いがある場合もあります。音楽。朝起きてコーヒーを飲む、そうした日常の中にも救いがある。人生は興味深いものです」
彼女は、第二次大戦やチェルノブイリ原発事故、旧ソ連崩壊などで過酷な目にあった人々の思いをすくいあげ、書いてきた。学生との対話を企画した東京外大の沼野恭子教授は「人間への信頼に満ちた言葉が力強く響いた」と語っている。
だれかの求めに応える力が私たちには備わっていて、声をかけたり、温かい飲みものを差しだしたりすればいいということだろう。人はいろいろなことに救われます、というその言葉そのものに救いを見た。

新学習指導要領 質、量の負担増が心配だ - 毎日新聞(2016年12月25日)

http://mainichi.jp/articles/20161225/ddm/005/070/100000c
http://archive.is/2016.12.26-004111/http://mainichi.jp/articles/20161225/ddm/005/070/100000c

明治以来の均質一斉型授業を改め、主体的、対話的な学習で理解と応用力を深めるという。そのためには、一律に「右へならえ」ではなく、各学校教育現場の弾力的な裁量と行政的支援が欠かせまい。
2020年度の小学校から中学、高校と順次全面実施される次期学習指導要領の内容について、中央教育審議会文部科学相に答申した。
「何を教えるか」だけではなく、子供たちが「どう学び、どんな力を主体的に身につけるか」に力点を置く。能動的に課題を探究し、他者とも協働して解決に取り組むような「アクティブ・ラーニング」を全教科に通じる理念とする。
グローバル化、情報化の社会変化への対応も柱だ。小学校の「外国語(英語)活動」を現行の5、6年生から3、4年生に早め、5、6年生の英語は正式な教科とする。コンピューターになじむプログラミング教育も導入される。
高校は教科・科目が大きく再編される。近現代史を中心に内外の歴史と現在とを重層的に学ぶ「歴史総合」や、選挙権年齢の引き下げを契機に関心が高まった主権者教育の「公共」は、現実の時代状況や社会の動きに結びつくものだ。
知識の量ではなく、思考力と探究の姿勢などに重きを置く。人工知能(AI)に象徴される急激な知的環境の変化に対し、試行錯誤しながら他者とも力を合わせ、目的を持って感性豊かに未来を創造する人間の力を育てたいという。
そうした理念は重要だが、次期指導要領を実践するには条件整備を急ぐ必要がある。
文科省は、例えば小学校の英語について、リーダー的教員の育成と研修の拡充、外国語指導助手(ALT)ら外部人材の活用策など支援策を急ぎ講じるという。
だが、授業時間数が現行の指導要領で満杯状態で、どう英語の増加分を確保していくか。授業の短時間分割などが考えられているが、確たる解決策はない。
また、「歴史総合」や「公共」は現実の国際問題や政治テーマなどをどう教材化できるか。外部からの介入で教える側が萎縮することはないか。そうしたことも含め教育行政も学校現場も共通認識を持ち、懸念をぬぐっておきたい。
いわば、量も質も、という転換である。子供が主体だが、学校や教員も主体的に取り組み、対話し、工夫を重ねる必要がある。
学習指導要領は、もとより各教科・科目の項目内容を100%消化する必要はない。過ぎた負担は学習効果上もマイナスではないか。「加減」も創意工夫のうちである。

「間違った知識 親から子へ」 原発避難いじめ問題で意見交換:神奈川 - 東京新聞(2016年12月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201612/CK2016122402000111.html
http://archive.is/2016.12.24-022055/http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201612/CK2016122402000111.html

東京電力福島第一原発事故後に福島県内から横浜市に避難した少年が転校先の小学校でいじめを受けていた問題を受け、福島県からの避難者や神奈川県の住民ら二十五人が意見交換する集会が二十二日、横浜市神奈川区のかながわ県民活動サポートセンターであった。参加者からは「いじめの背景には親の無理解がある」などの声が上がった。
東日本大震災の被災者を支援する団体でつくる「かながわ避難者生活支援ネットワーク」が主催。冒頭で、今回横浜市でいじめ被害に遭った少年の代理人の黒沢知弘弁護士が問題の経過を説明した。学校や行政の対応は不十分とする一方、問題が報道された後、弁護士事務所に「何かできることはないか」などと励ましの声が届くようになり、「少しずつ一般の人の理解が広まっていると感じた」と話した。
福島県浪江町から震災直後に鎌倉市内に避難した松尾弘美さん(72)は、同じ浪江町から関東に避難した若い母親数人から、子どもが小学校で「放射能きたない」などの言葉を浴びせられたと相談を受けることがあったという。「いじめた子に話を聞くと、親からそう教えられたと話すことが多いようだった。大人が間違った知識を子どもに植え付けているのが問題」と指摘した。
神奈川県の住民からは「都合の悪いことを隠そうとする横浜市の体質がいけない」「原爆の被爆者も放射能風評被害に苦しんだと聞くが、戦後七十一年たった今でも状況が変わっておらず情けない」など意見が出た。
今後、避難者支援のための集会を月に一度、同所で開く予定。開催日程などの問い合わせは、同ネットワークの高坂徹さん=電090(2729)1246=へ。 (加藤豊大)

<大人って…高校生の初選挙>投票所静かで緊張 館山総合高 座談会:千葉 - 東京新聞(2016年12月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201612/CK2016122402000116.html
http://archive.is/2016.12.26-004338/http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201612/CK2016122402000116.html

県立館山総合高校(館山市)は、生徒らが授業で選挙を学んだり、校内で模擬投票を行うなど、有権者教育に熱心に取り組んでいる。今年7月の参院選から、18歳以上の若者が有権者に加わった。参院選で初めて一票を投じた、いずれも18歳で同校3年山岸新平さん、出口雄大(ゆうだい)さん、高橋佑汰(ゆうた)さん、伊原友樹(ゆうき)さんの4人に、選挙に対する思いを率直に語ってもらった。 (聞き手・北浜修)

参院選で初めて投票した感想は。
山岸さん 「学校での模擬投票と違い、緊張した」
出口さん 「投票の会場内がとても静かで緊張した」
高橋さん 「自分が書いた投票用紙を投票箱に入れた時、政治に参加した気がした」
伊原さん 「投票の会場は厳粛な雰囲気で、これならば不正はないと安心感があった」

−来年は春に県知事選がある。関心は?
山岸さん 「知事選は、候補者が県内の話をするから、参院選より分かりやすいのでは」
出口さん 「参院選よりは身近だと思う」
高橋さん 「県内のことがメインなので分かりやすい」
伊原さん 「公約次第。現職が立つのであれば、まず、これまで何をしてきたのか発信してほしい。(現職の主張に対して)新人がどうするのかを示してほしい」

−来年になれば解散・総選挙の時期も焦点になる。
山岸さん 「米大統領選のようにお祭りのような雰囲気でやれば、いいのでは。日本の選挙は堅い」
出口さん 「あまり興味はない。米大統領選のようにやれば、興味を持つのではないか。日本の選挙は堅苦しい
高橋さん 「解散から投票まで短期決戦で、バタバタした中での選挙になる。米大統領選のようにもう少し長い時間があってもよいのでは」
伊原さん 「首相は解散を否定しているようなので、あまり関心はない」

米大統領選に触れた発言が多く、興味深い。関心を持ったところは。
山岸さん 「候補者二人の真っ向勝負に関心を持った」
出口さん 「トランプさんは破天荒な発言が多く大丈夫かなと思った」
高橋さん 「二人は決して人気があったわけではないが、二人の討論がよかった」
伊原さん 「二人は本音を言い合っていた。日本人だと本音を言わない。でも、日本人には似合わないかな。内向きにならず、開放的なリーダーが出てきてほしい」

ハンセン病特別法廷 「差別が生んだ死刑」再審訴え - 毎日新聞(2016年12月26日)

http://mainichi.jp/articles/20161226/k00/00m/040/076000c
http://archive.is/2016.12.26-004455/http://mainichi.jp/articles/20161226/k00/00m/040/076000c

半世紀以上前に熊本県で発生し、今なお残るハンセン病差別の象徴だといわれる事件がある。患者の裁判を隔離施設で開く「特別法廷」で審理された95件の中で唯一死刑が言い渡された「菊池事件」だ。無実を主張しながら死刑が執行された男性(当時40歳)を知る高齢の元患者らは「偏見や差別で捜査や裁判がゆがめられた」と訴え、名乗り出られない遺族に代わって検察が再審請求するよう求めている。【江刺正嘉、柿崎誠】

菊池事件 元患者ら、検察に要望
1952年、熊本県の山村で、かつてハンセン病患者の調査を担当していた元村職員が殺害される事件が起きた。逮捕されたのは、ハンセン病療養所への入所を勧告されていた男性だった。最高裁の許可を得て、公判は療養所などに開設された特別法廷で行われた。
裁判官、検察官、弁護人は白衣を着て手袋をはめ、裁判記録や証拠を箸でつかんだとされる。熊本地裁は53年、病人として県に通報されたことへの逆恨みが動機だとして死刑を言い渡した。
男性は無罪を主張し、「ハンセン病患者なる故に審理がおろそかであり、公正に裁かれていない」と訴えたが、最高裁は57年に「予断偏見を有して裁判をしたと認める資料はない」として上告を棄却、死刑が確定した。
国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志市)入所者自治会長の志村康さん(83)は今では、男性と交流した同園唯一の生き証人になった。自治会役員として支援の責任者を務め、園に隣接する医療刑務支所に拘置されていた男性に毎月2〜3回面会していた。
父を早くに亡くした男性は小学校をやめ、農業で一家を支えた。獄中から無実を証明しようと独学で文字を覚えた。丸刈りでがっちりした体格。面会時には決して目をそらすことはなく、心優しい人だった。高校にいられなくなった娘の将来を何より心配していた。志村さんは無実だと確信した。
62年9月13日。娘が関東の高校へ転校すると決まったことを志村さんが伝えに行くと、「ありがとうございます」と大きな手で握手された。肩を抱き合って喜んだ。だが、実はこの日、3度目の再審請求が棄却されていた。男性は翌朝、刑場のある福岡拘置所(福岡市)に移され、その日のうちに死刑が執行された。
遺族は名前が知られることを恐れているため、再審請求が難しい。志村さんたちは憲法に反する差別的手続きで裁判が行われたとして、検察官が自ら再審請求するよう熊本地検に要請している。
特別法廷について最高裁は今年4月、偏見や差別を助長したと認めてようやく謝罪したが、菊池事件のような個別事件は検証の対象にならなかった。
事件当時、患者を根こそぎ隔離・収容する「無らい県運動」が最も激しく展開されていた。恵楓園は1000床増床され、官民挙げた「患者狩り」によって地域にハンセン病への恐怖心や差別が渦巻いていた。
志村さんは「菊池事件は無らい県運動がもたらした悲劇の象徴だ」という。「男性の無実を証明しない限り、ハンセン病問題は終わらない」。再審請求に応じない場合、年明け以降に検察の責任を問う国家賠償訴訟を起こして真相を究明することを検討している。


証言・凶器に矛盾
菊池事件の捜査の経過と疑問点
事件で有罪認定の柱になったのは、元死刑囚の男性から殺害を打ち明けられたという大叔母や伯父の証言と凶器の短刀だったが、疑問や矛盾が多い。
被害者の遺体が見つかったのは1952年7月7日。検視した医師は凶器を草刈り鎌と推定した。逮捕時に潜伏場所から草刈り鎌が見つかり、男性が「ガマ(草刈り鎌)で突き刺して殺した」と自供したとの調書がある。
一方、記録によると大叔母は遺体発見翌日、警察に「事件当夜(6日)に男性が訪ねて来て、自分と伯父の前で『殺してきた』と言った。『包丁を現場近くの小屋に刺してある』と話していた」と証言。警察は翌日、村内の小屋で短刀を発見したとされる。だが、伯父は「『ドス』を右手に握っていた」と、食い違う説明をしていた。
鑑定を担当した専門家は「凶器は鎌ではない」とし、小屋で見つかった短刀を凶器と認定した。だが、被害者が大量出血していたにもかかわらず短刀に血痕は付着していなかった。男性が事件当日に着ていた上着からも血痕は検出されなかった。
男性は無罪を主張したが、国選弁護人は検察側が申請した証拠84点全てに同意。1審では凶器を鑑定した専門家や大叔母らの公開尋問も行われないまま、死刑が言い渡された。


【ことば】菊池事件
熊本県の山村で1951年8月、元村職員宅にダイナマイトが投げ込まれ、元職員らが負傷した。殺人未遂容疑で逮捕された村に住む男性は、懲役10年を言い渡された後、控訴中に収容先から逃走。52年7月に元職員が殺害される事件が起きると、村内に隠れていた男性が殺人容疑などで再び逮捕され、死刑が確定した。

暴力調べるアンケート、直後に廃棄 長洲町の中学、女子生徒がPTSD発症 - 西日本新聞(2016年12月25日)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/297820
http://megalodon.jp/2016-1226-0859-48/www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/297820

熊本県長洲町の中学校で2012年2月、当時1年の女子生徒が同級生に暴力を振るわれた問題を受けて学校が実施したアンケートについて、町教育委員会は24日、学校側が実施直後に廃棄していたと明らかにした。
町教委によると、女子生徒が授業中に男子生徒から暴行を受けるなどしたため、校長から指示を受けた担任教諭は、クラスメート約30人を対象に被害状況を調べるアンケートを実施。教諭は結果を取りまとめて校長に口頭で報告した後、個人の判断で1カ月以内に廃棄したという。
学校側から12年9月にアンケート結果を口頭で説明された両親は、13年6月以降、回答用紙のコピーの開示を学校側に継続的に要請。学校側は14年1月、既に廃棄されていたにもかかわらず「個人情報に当たる」などとして拒否していた。
女子生徒は15年2月、暴力により心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したなどとして、町と男子生徒の両親を相手に損害賠償を求めて提訴し、熊本地裁で係争中。町教委は今回のアンケート用紙の廃棄について「公文書ではなく、内容も口頭で両親に説明しており、廃棄が不適切だったとは言えない」と釈明している。

小池知事 都立広尾病院移転計画いったん白紙に - NHKニュース(2016年12月25日)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161225/k10010819251000.html
http://archive.is/2016.12.25-031104/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161225/k10010819251000.html

東京都の小池知事は、東京・渋谷区の都立広尾病院を去年閉館した国立児童館「こどもの城」の跡地に移転し、大規模な災害などの際の医療拠点として整備する計画について、「いったん白紙ということで、何が本当に必要なのか検討を続けていく」と述べ、計画をいったん見直し、有識者による検討会で議論を進める考えを示しました。
昭和55年に開設された都立広尾病院は老朽化が進んだことから、舛添前知事が、去年閉館した国立児童館「こどもの城」の跡地に移転し、平成35年度をめどに大規模な災害やテロの際の医療拠点として整備する計画を決め、都は今年度の予算に国から土地を取得するため、およそ370億円を盛り込んでいます。

これについて小池知事は都内で記者団に対し、「『こどもの城』の跡地は、広さも位置も非常に価値があり、これまでの検討の中で土地の価格がさらに上がっている」と述べました。

そのうえで、「基本的にいったん白紙ということで、何が本当に必要なのか検討を続けていく。いろんな判断が必要になる」と述べ、計画をいったん見直し、ことし8月から医療拠点の整備の在り方を検討している有識者による検討会で議論を進める考えを示しました。

小池都知事、大ナタ再び!都立広尾病院移転計画「現時点で白紙」 - SANSPO.COM(2016年12月26日)

(1/3)http://www.sanspo.com/geino/news/20161226/pol16122605030001-n1.html
(2/3)http://www.sanspo.com/geino/news/20161226/pol16122605030001-n2.html
(3/3)http://www.sanspo.com/geino/news/20161226/pol16122605030001-n3.html
(2/3)http://archive.is/2016.12.25-224838/http://www.sanspo.com/geino/news/20161226/pol16122605030001-n2.html

東京都の小池百合子知事(64)が25日、フジテレビ系「新報道2001」(日曜前7・30)に生出演。2023年に都立広尾病院を青山の一等地に移転する計画を、「現時点で白紙」と見直す考えを表明した。この計画は舛添要一前知事(68)時代に経緯不詳のまま決定、一部週刊誌が“第2の築地問題”と報じスキャンダル化しつつある。小池氏がまた一つ、都政の闇を浮かび上がらせた。
舛添氏の肝いり政策が、またしても小池氏によって白紙撤回へ追いやられそうだ。
都立広尾病院をめぐっては、1980年に建てられた現病棟など施設の老朽化を理由に、改築か移転かが長年議論されていた。まさに築地市場の改築・移転問題と同じだったが、2014年の舛添氏の知事就任で急展開。15年に閉館した青山の「こどもの城」の跡地を国から購入し、23年度をめどに「首都災害医療センター」として移転、新築する計画が決定した。
そして今年3月、都は今年度予算に用地買収費として370億円を計上した。建築費なども含め約900億円のビッグプロジェクトとなるが、その経緯があまりに拙速で不透明だと、週刊朝日などが“第2の築地問題”と報じていた。
この日、「新報道2001」でこの問題への対応を質問された小池氏は「これからどうするかは白紙」と表明。出演後、「基本的にいったん白紙ということで、何が本当に必要なのか検討を続けていく。いろんな判断が必要になる」と説明した。
小池氏は既に、移転に反対する医師らから意見を聞いている。五輪計画見直しを提案した調査チームと同じ役割を担う、「首都災害医療センター(仮称)基本構想検討委員会」も立ち上げており、計画の見直しに前向きとされる。都民ファーストを打ち出し、常に都民に改革姿勢を示し続けたい小池氏にとって、絶好の“新材料”が見つかったようだ。

東京都立広尾病院
1895(明治28)年8月に開設。脳神経外科、血液内科など27診療科を持ち、許可病床は478床。365日24時間、救急医療を提供する東京ER(総合救急診療科)で、さまざまな症状の患者を受け入れられる体制を取っている。所在地は渋谷区恵比寿2−34−10

「汚染可能性ある豊洲の魚売るのは卑怯」と廃業決断 - 日刊スポーツ(2016年12月25日)

http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1756421.html
http://archive.is/2016.12.26-011051/http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1756421.html

<2016プレイバック:移転先送りで揺れる「築地市場」の年の瀬>
東京・豊洲への先月7日の移転予定が先送りになり、迎えないはずだった年末の繁忙期で、築地の場内市場がにぎわっている。豊洲市場の建築工事はほぼ完了し、移転は決まっているが、市場関係者の不安は消えない。地下水などから基準を超える有害物質の検出が続いているからだ。「土壌が汚染された豊洲には行かない」と、築地市場の廃止と同時に廃業を決めている仲卸店主に話を聞いた。
50代男性のAさんは、築地場内市場で約70年続く水産仲卸店の3代目。築地市場の廃止と同時に廃業することを決めている。

豊洲市場で商売を続けるという意向は全くないのですか
Aさん 全然。豊洲に移転したら、やめる。地面から有害物質が出てくるところに市場を持って行って、生鮮ものを扱うことがおかしい。先代に申し訳ないけど、豊洲で汚染の問題が起きる可能性は高い。それを避けるには、やめるという決断が単純明快。

−築地の場外市場での出店はしないのですか
Aさん だって同じでしょ。その魚はどこを通ってくるの? 豊洲から来る。汚染の可能性があると考えながら豊洲の魚を売るのは、卑怯(ひきょう)だよね。そんな売り方をするなら、俺の家族や親族が生活できなくなる方がいい。その方が潔いでしょ。

−常連客の皆さんの反応は
Aさん 「やめないで」とはたくさん言われるけど、俺は「一緒に商売をやめてくれ」と逆にお願いしている。豊洲市場の水産仲卸売場棟で、作業スペースが狭かったり、床の耐荷重が十分じゃなかったりするのは、仲買不要論が根底にあると思う。市場法の改正で、大卸(1次卸業者)からお客様への第三者販売が可能になった。お客様の細かいニーズに応える仲卸がなくなって、大手の卸売業者に物が集中する流通システムになる。お客様に良い魚をそろえるという仲卸独自のサービスができなくなるから、「一緒にやめよう」と話している。

−廃業後の生活はどうするのですか
Aさん 妻と次女との3人暮らしだけど、自分たちが食べるくらいはどうにかなる。スーパーでレジを打ってもいい。やらせてくれるなら、仕事は選ばない。【聞き手・柴田寛人】

築地市場の水産仲卸業者数 減少ペースが加速している。昭和20年代には1600以上あったが、現在は約570。約半数は経営赤字の零細で、移転に伴う設備投資負担や後継者不足のため、一部の業者が営業継続を断念している。豊洲に移転するのは、500前後だとみられている。

豊洲市場の土壌汚染>
◆原因 市場用地は、東京ガスの都市ガス製造工場の跡地。1956年(昭31)から88年まで稼働していた。石炭から製造する過程の副産物で、ベンゼン、シアン化合物、ヒ素、鉛、水銀、六価クロムカドミウムが発生。土壌と地下水の汚染が確認された。
◆対策 専門家会議による提言に基づき、技術会議で対策を検討した。10年1月から7月に汚染無害化の実験を行い、有効性を認め、この処理技術を適用。14年10月に土壌汚染対策工事が全街区で完了した。
◆移転延期 小池都知事が8月31日、11月7日に予定されていた築地市場豊洲移転の延期を発表。2年間かけて行っている地下水のモニタリング調査が来年1月に終わるが、調査中の移転に疑問を呈した。
◆地下空間 小池氏は9月10日、豊洲市場の水産棟や青果棟などで、土壌汚染対策のための「盛り土」が実施されていないと発表。9月と10月に行われた地下空間の空気測定では、国の指針の最大7倍にあたる水銀が検出された。
◆基準超え 東京都は9月29日、青果棟がある敷地の地下水から、環境基準の最大1・4倍のベンゼン、1・9倍のヒ素が検出されたと発表した。14年の土壌汚染対策工事完了後の環境基準超えは初めて。
◆今後 来年1月終了の地下水調査の結果を受け、専門家会議などの報告書をまとめ、同6〜7月に環境アセスメント(影響評価)審議を行う。再アセスが不要なら、豊洲移転は17年冬〜18年春に行われる。