(筆洗)封筒入りの爆発物とみられる不審物が - 東京新聞(2018年10月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018102702000132.html
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田中正造は「手紙」を手にして、天皇の馬車に向かった。明治三十四年の直訴である。取り押さえられ、目的を果たせず終わった田中に、理解者の新聞社幹部がかけた言葉が日記にある。<一太刀受けるか殺さ(れ)ねばモノニナラヌ>(『通史 足尾鉱毒事件1877−1984』)
なぜ切られてこなかったのか。非情の言葉の裏にあるのは、命にかえても直訴状を届けたい、そうすれば世の中が変わるという彼らの思いだろう。失敗に終わったが、足尾銅山鉱毒に苦しむ農民らの惨状を伝えた直訴を新聞が報じて、支援と同情の世論は一時、盛り上がる。
手紙は時として、世の中や政治を動かす武器となってきた。恐怖をこめるなら、悪用であろう。米国が恐怖の手紙に揺れている。封筒入りの爆発物とみられる不審物が、オバマ前大統領ら要人宛てに次々送られていた。
送り主不明だ。闇にかくれ、郵便の仕組みを利用し、恐怖を手元にまで送り届ける。けが人などないのが救いだが、卑劣な行為である。大掛かりであるのをみると、相当の覚悟を持った行為にも思える。
郵便の送り先は、トランプ大統領が批判する対象ばかりという。中間選挙が、間近だ。政治を動かそうという狙いがあるのか。敵と味方を分ける大統領の時代の出来事にもみえる。
テロに通じる発想は、「モノニナラヌ」と米国は示さなければならない。