(筆洗)本当の和解とは、ただ過去を忘れ去ることではない - 東京新聞(2018年4月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018042802000145.html
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止まった時計というものがある。例えば長崎。原爆の爆風によって、十一時二分で止まったままの柱時計は、記憶が薄れることへの警鐘のように、原爆の悲惨を伝え続ける。東日本大震災をはじめ、大きな災害にも時計はあった。二度と動かない針は取り返せないものの象徴だろう。
一九五三年に休戦協定が結ばれてから六十年以上、板門店も時が止まったような空間ではなかったか。軍事境界線は南北各二キロに地雷が多数埋まった恐怖の世界でもある。幅五十センチ、高さは五センチほどだろうか。軍事境界線の縁石を北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長は、簡単に越えた。
うれしそうに、韓国の文在寅大統領と手をつないで行き来するのを見て、針が動き始めたように思えた。南北を結ぶあの通路も、警備の人々の姿も、永遠に変わらない景色ではないかと感じていたが、世界に背を向けてきた正恩氏その人が「なぜこんなに時間がかかったのか」と話すのをニュースで聞けば、時代が変わるのかと感じずにいられない。
もちろん、これから順調に時が刻まれはしないだろう。非核化の具体的な道筋も明らかではない。

<本当の和解とは、ただ過去を忘れ去ることではない>

ネルソン・マンデラ氏の言葉だ。両首脳は笑顔を浮かべ続けたが、真の和解も、長く困難な道だろう。
そして、止まった拉致問題の時も、先に進むことを切に願う。