(筆洗)対立する相手にも差し出す寛容な手 - 東京新聞(2017年1月22日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017012202000146.html
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どういうわけだか、このところ急に支持率を上げた政治家がいる。米大統領、失礼もはや、前大統領の肩書となるオバマさんである。昨年三月以降、支持が不支持を明確に上回るようになり、最新の調査によると約六割が支持している。
どういうわけかと書いたが、理由はあるだろう。過大評価するつもりはないが、トランプ新大統領とは違って、差別や対立をおそれ、憎んだ人である。トランプ新時代への不安に温和な前大統領との別れの寂しさ。それが高い支持率の意味なのかもしれぬ。
分断された米国をどう修復するのか。その言葉をトランプ新大統領の就任演説に期待したが、どうやら書き漏らしたようである。あったのは米国を強くすれば分断は癒やされるという空想だけである。
それでも就任式で一つだけ解決のヒントを見つけた気がした。演説前の新大統領の背中に右手をそっと置いた人物がいた。オバマ前大統領である。自分を批判し、在任中の政策を見直すと主張する人物の背中をさすったのである。
「再び偉大な国にする」。米国の利益のみを追求するトランプ政治を偉大とは呼ばぬ。対立する相手にも差し出す寛容な手。それを偉大と呼びたいし、国際社会での米国の望ましい姿と考える。
ワシントンは暴動騒ぎである。憎悪に対し憎悪のつぶてを投げても解決は遠のく。真冬の首都にその右手がもう恋しい。