辺野古埋め立て停止 ホワイトハウスへの嘆願署名10万超す - 毎日新聞(2018年12月18日)

https://mainichi.jp/articles/20181218/k00/00m/040/143000c
http://archive.today/2018.12.18-132358/https://mainichi.jp/articles/20181218/k00/00m/040/143000c

米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画を巡り、米国ホワイトハウスの嘆願書サイトを利用してトランプ大統領に移設工事を止めるよう求める署名活動が進められ、開始から11日目の18日で目標の10万筆を超えた。署名が1カ月で10万筆を超えれば米政府から何らかの回答が得られることになっており、移設に反対する人たちは期待を寄せている。
サイトはオバマ前大統領時に開設された「WE the PEOPLE」。13歳以上ならば居住地や国籍を問わず誰でも署名できる。嘆願書はハワイ在住で沖縄にルーツを持つ作曲家のロバート・カジワラさん(32)が呼びかけ、辺野古移設の賛否を問う県民投票が実施される2月24日まで埋め立て工事を中止するよう求めている。
嘆願書では、9月の知事選で移設阻止を訴えた玉城デニー氏が圧勝したことや、辺野古・大浦湾の海が多種多様な生態系を有することを理由に「日米両政府は沖縄の人々の民意を無視してきた。埋め立てを容認すれば米国と沖縄の関係に永久的な亀裂を招く」と指摘。トランプ大統領に「米国が名誉ある偉大な国であることを沖縄県民に示そう」と訴えている。
8日に始まった署名はツイッターで拡散されて増え、14日に辺野古の海に土砂が投入されると急増。沖縄出身のタレント・りゅうちぇるさんら有名人もツイッターで広めたこともあり、来年1月7日の期限前に目標の10万筆を超えた。カジワラさんは「こんなに早くゴールに到達するなんて信じられない。多くの人が辺野古の新基地を望んでいないということを示している」とコメントした。【宮城裕也、安部志帆子】

原発自主避難 賠償確定 最高裁、2人に慰謝料計1600万円 - 東京新聞(2018年12月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121802000111.html
http://web.archive.org/web/20181218033759/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121802000111.html

東京電力福島第一原発事故福島県から京都市自主避難した男性と家族が、東電に慰謝料など計約一億八千万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(木沢克之裁判長)は、男性側と東電双方の上告を退ける決定をした。十三日付。東電に対し、男性ら二人に計約千六百万円を支払うよう命じた二審大阪高裁判決が確定した。
原発事故による自主避難者への賠償を東電に命じた判決が最高裁で確定するのは初めて。各地で起こされている集団訴訟の地裁判決でも、同様の賠償命令が相次いでいる。
判決によると、福島県で会社を経営していた男性は二〇一一年三月の原発事故後、妊娠中のパートナーと幼い子どもを連れて自主避難した。居住地は避難指示区域外だったが、東電が自主避難者に賠償金を支払う対象地域にあった。賠償額が不十分だとして、裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立て、約千百万円を提示されたが、合意せず提訴した。
一六年二月の一審京都地裁判決は「住み慣れた場所からの転居を余儀なくされ、相当強いストレスを受けた」と指摘。事故が原因で男性がうつ病を発症したと判断し、就労不能による損害など計約三千万円の賠償を命じた。
昨年十月の二審判決は、事故と因果関係のある就労不能期間を短くし、事故とは無関係のストレスもあったとして、賠償額をほぼ半額とした。
東電は国の指針を上回る慰謝料を認めた点が不当などと主張していた。
二審は元の居住地の放射線量が、避難の目安とされた年間二〇ミリシーベルトを下回れば、自主避難の合理性を認めるのは困難との判断を示した。

少年法を18歳未満に? 教育での立ち直りこそ - 東京新聞(2018年12月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018121702000144.html
http://web.archive.org/web/20181217045000/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018121702000144.html

民法成人年齢は十八歳に引き下げられる。少年法の適用年齢も同様でいいか。ことは単純ではない。刑罰よりも教育で立ち直る精神を重んじたい。
国会での参考人の言葉に耳を傾けてほしい。
<今の少年法は非常にうまく機能している。世界的に見ても、日本の少年犯罪率は非常に低い。うまくいっている少年法の適用年齢を引き下げる必要はない>
これは広井多鶴子実践女子大教授の衆議院での意見である。

◆凶悪化のデータはない
少年法民法の年齢引き下げは、全く問題の性質が異なる。少年法は社会からドロップアウトしてしまった若者をどうやって社会が受け入れるかだ。民法とは別に議論すべきだ>
こちらは山下純司学習院大学教授の考えだ。宮本みち子千葉大学名誉教授は次の意見である。
少年法の教育的な効果は優れている。十八歳に引き下げではなく、現在と同じでいい>
いずれも今年五月の国会での意見の要旨だが、興味深いのは三人とも「成人年齢は十八歳」に賛成なのに、少年法は「現行のまま」のスタンスなのだ。
そもそも少年法の年齢を引き下げる動機は何か。少年事件の増加や凶悪化が語られたりするが、全く根拠がない。むしろ警察白書などの統計では、少年事件は大幅に減少している。
例えば二〇一六年に少年の一般刑法犯の数字は約三万二千人だが、この数字は十三年間で実に約74%も減った。殺人や傷害致死事件の数も右肩下がり。少子化が原因かといえば、人口で比べた割合も減少なので、やはり凶悪化の事実はない。
つまり成人年齢を十八歳としたので、少年法もそれに合わせたい、動機はそれに尽きる。「国法上の統一」論である。

◆統一論は名ばかりだ
確かに民法少年法も十八歳とした方がわかりやすいという意見はあろう。だが、飲酒や喫煙、ギャンブルはいずれも現行のまま。猟銃所持は不可だ。国民年金の支払い義務もない。要するに「国法上の統一」とは名ばかりで、各法の実情を考慮している。
それを踏まえれば、うまく機能している少年法を改変し、十八歳に引き下げることには賛成できない。何よりも法制審議会の部会も現行制度の有効性は理解し、共通認識になっている。
不思議なのは部会の多くの委員が「引き下げありき」の方向なのだ。十八歳にした上で、更生のための「新たな処分」を検討している状況である。
だが、十八歳に引き下げれば、奇妙な問題が生ずる。その制度では十八歳、十九歳に対する調査や教育の対象外となり、「手抜き」状態となるからだ。本来、少年院に入るはずの少年にも、教育の手を差し伸べられなくなる。
現行制度では、すべての少年事件は家庭裁判所が扱う。家裁の調査官によって、成育歴や家庭環境などの科学的調査が行われる。少年鑑別所でも心理学の専門家らが科学的調査をする。
それを踏まえ、裁判官が検察官送致したり、少年院に送致したり、保護観察などの処分を決める。少年院や保護観察では、生活観察で個別的な指導や教育の処遇をする。刑罰より教育という考えに立つ。
だが、少年法を十八歳に引き下げると、再犯防止の教育機会は失われやすい。教育よりも、刑罰が基本の思想に変わるからだ。
検察が全事件を扱い、起訴・不起訴の判断権限を持つことになる。検察が起訴猶予にした者に対しても、裁判所で執行猶予の判決を受けた者に対しても「新たな処分」を考案できると、法制審部会の一部では考えているようだ。
だが、いったん不起訴、執行猶予となった者に過剰な個人への介入はできるのだろうか。特定の者を国の監督下に置くのと同然で、人権を不当に制限するのではないか。現行制度の維持の方がずっと安定的である。

◆心の傷を受け止めて
犯罪や非行に走る少年は自己肯定感が低いという。不幸な生い立ちを背負う者が多い。「自分など生きていても仕方がない」と考えがちなのだ。だから非行防止には、まず少年の心の傷を受けとめることである。教育的、福祉的な援助をすることである。
それで、やっと被害者の痛みや心情に向き合うことができる。謝罪の気持ちも償いの心も生まれる。自ら立ち直ることもできる。
教育力で再犯防止に挑む現行制度は、有効性が数字で裏付けられている。その仕組みをわざわざ壊す愚行がどこにあるか。法制審には人と社会を見る原点に返ってもらいたい。

<にっぽんルポ>長野・松本少年刑務所 塀の中の学校で - 東京新聞(2018年12月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121502000261.html
http://web.archive.org/web/20181215122503/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121502000261.html

北アルプスの稜線(りょうせん)が美しい山紫水明の地に、異質にも映るコンクリート塀が現れた。JR松本駅(長野県松本市)から車で十分ちょっと。厳重に管理された松本少年刑務所にたどり着いた。
向かったのは、刑務所の階段を上った先にある教室。日本で唯一、世界でも珍しい刑務所内の学校「旭町中学校桐分校」だ。
「さあ、アルトリコーダーの練習時間ですよ」。音楽の授業で、降旗(ふりはた)信一先生(55)が声を張る。授業を受けるのは、受刑者の山田健人さん(27)と中東出身のカリムルーさん(51)=いずれも仮名。授業はあくまで、受刑者に科される刑務作業の代わり。国から貸与された学ランを着るのは、「作業服」だからだ。
丸刈り姿の生徒の肩が、呼吸に合わせて小さく上下する。唱歌「故郷(ふるさと)」を奏でるリコーダーの音色が刑務所内に響き渡った。

 学級文庫やロッカー、壁には給食の献立に学級目標。一見、普通の教室のようだが、窓は幾何学模様の鉄格子が張り巡らされ、逃走防止の非常ベルや緊急電話もある。教室の後ろでは、刑務官が静かに目を光らせていた。
桐分校は一九五五(昭和三十)年の創立。松本少年刑務所の受刑者の八割が中学を卒業しておらず、当時の所長や松本市教育委員会などが設置に奔走した。現在は年齢にかかわらず、全国の刑務所から希望者を募り、受け入れる。
法務省によると、二〇一二〜一六年度の五年間で、桐分校出身で本来の刑務所を出所したのは二十二人。このうち再び罪を犯して刑務所に戻ったのは一人で、再入率は4・5%。同時期の全国平均は40・9%だ。
小さな学びやは、受刑者たちが本来生きていくべき道に立ち戻る手助けをしてきた。

◆家族のために
旭町中学校桐分校に通う二人の生徒に授業後、声を掛けた。
「親に愛された記憶なんてない」。山田健人さんは幼い頃から父母の暴力を受けて育ったという。耐えた帰結は、感情を言葉で表現できない人間になったこと。
高校一年の冬に中退。解体現場で働き始めたが、十七歳の時、十四歳の彼女を妊娠させた。「赤ちゃんはかわいいって分かる」。だが、どう守ればいいのか分からない。心の混乱は、街へ繰り出し、人に拳をふるう形で噴き出した。「結局、俺も親と同じことしているじゃねぇか」
一度目は傷害、二度目は傷害と強盗致傷で逮捕された。収容先の刑務所で刑務官らに桐分校を紹介され、門をくぐった。「出所したら子どもに勉強を教えたい。授業は本当に大変ですけど、子どものためなら…」
受刑者は一年間の在学中、中学三年の国語や英語など一日七時間の授業と、三時間の自習をこなす。
単独室で自習していたカリムルーさんを訪ねた。扉は閉められたまま、鉄格子に切り取られた小窓から声を掛けた。
「何を読んでいるんですか?」。背中を丸めて、目をこらしていた。「先日、ぼくの誕生日で家族から手紙が届きました。授業で習ったので、漢字も読めるようになったんです」。便せんを、うれしそうに胸元に引き寄せた。
中東の国で、十人きょうだいの八番目として生を受けた。「幸せな国らしい」と噂(うわさ)を信じ、一九九〇年に来日。配送やとび職の仕事をしたが、ケガで働けなくなり、覚醒剤の密輸に手を出した。懲役十年。日本語は皮肉にも刑務所で覚えた。
出所後に日本人女性と結婚し二児を授かったが、事業に失敗した二年前、再び薬に手を染めた。「愛する家族のために、最初からやり直したい」。そう話すと、再び机に向き直った。

◆「常」に「念」じて
「桐分校のグラウンドから見える常念岳(じょうねんだけ)が魅力的でね」。分校で三十五年間教壇に立ち、十年前に引退した元教師の角谷(すみや)敏夫さん(71)が懐かしそうに語る。
標高二、八五七メートル。孤高で堂々とした常念岳のたたずまいが、卒業生に少し似ているという。「名前もいい。更生を『常』に『念』じているよって」
「優しさを知りました」「花咲く事なく続いた我が人生。小さな花を咲かせたような気がしています」。卒業生から届いた手紙の文字を、角谷さんの優しいまなざしがなぞる。
これまで七百五十四人の卒業生が桐分校を巣立った。最も多いのが、角谷さんと同じ一九四七(昭和二十二)年生まれ。終戦直後の混乱期に生まれ、まっとうな教育を受けられず、犯罪に走ってしまった若者が多い。「戦争こそ最悪の犯罪です。どれだけ人の人生を狂わせるか…」
人権上の配慮から、出所後の生徒と街で会うのはご法度。同窓会はできない。「教師になったら、成人した教え子と焼き鳥屋で一杯やりながらの再会に、普通は憧れますよね」と角谷さんは少しほほ笑んで、続けた。「いいんです。生徒たちがこの社会の片隅のどこかで元気に過ごしているって、僕にはちゃんと見えていますから」。ゆっくりと、まぶたを閉じた。

◆寄り添う母子像
暖房がよく効いた客間に通された。「東京の方に、この寒さはこたえるでしょ」。両手を広げて朗らかに出迎えてくれた女性は、刑務所近くに暮らす高野尾(たかのお)宏子さん(79)だ。
桐分校が創設される前年の五四(昭和二十九)年、生徒を物心両面で支える「少年母の会」が発足した。家庭の愛情を知らずに育った生徒も多かったため、松本市内の女性団体が結束した。弁護士をしていた夫の勧めもあり、高野尾さんも入会した。
だが、思わぬ事故に見舞われる。八四年一月二十九日、松本少年刑務所を大火が襲った。教科書や教室のピアノ、卒業生からの手紙など、庁舎は全焼した。
ゼロからの出発に力を貸したのは、本校の旭町中学校だった。当時PTA副会長だった高野尾さんは、バザーを企画。行列ができるほどの盛況だった。「出所後、彼らが最も苦労するのは、人の目。温かく迎え入れられる地域にしたいっていう思い一心だった」
三百人程度だった会員は二千人に迫り、松本随一の女性団体に。高野尾さんは現在、会の顧問を務め、刑務所内で著名人を招いた講演会を開いたり、運動会に参加したり。
年に一度の総会では、生徒から合唱のプレゼントがある。生徒が懸命に歌う姿に多くが涙するという。「罪を犯したからって、別世界の人ってわけじゃない」と高野尾さんは言う。
刑務所の庁舎入り口には、ひときわ目を引く長さ三メートルの銀色のレリーフが掲げられている。「愛の母子像」と名付けられ、火災で焼失した後、復元された。柔らかな日差しを浴びながら、女性が子どもを抱き締めている構図は変わらない。「母の愛」もまた、人間が生まれ変わる源泉の一つなのだろう。
(文・木原育子/写真・野村和宏、池田まみ)

「誰もが夢見てもいい社会に」 施設出身者、推薦入試で青学大に - 東京新聞(2018年12月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121602000135.html
http://web.archive.org/web/20181217120449/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121602000135.html

児童養護施設で暮らす子どもたちの大学進学を後押ししようと、青山学院大(東京都渋谷区)は、全国的にも珍しい、施設出身者を対象にした推薦入試制度を導入した。今春、第一号で入学した桜井彩子さん(19)=仮名=は願う。「誰もが夢をみてもいい社会にしたい。制度が広まればうれしい」 (木原育子)
「夢じゃないよね?」。昨年十一月、桜井さんは合格通知を手に、施設職員らと泣きながら喜んでいた。「私は本当に幸運。でも、施設には経済的な理由で将来の道をあきらめざるを得ない子の方が多い」。自分だけがつかめたような幸せに、少し胸が痛んだ。
桜井さんは小学二年の時に両親が離婚。生活保護を受けながら、母親と姉、弟の一家四人で暮らした。だが、六年後の二〇一四年、母親が大腸がんで突然亡くなってしまった。
二カ月後、姉、弟と一緒に神奈川県内の児童養護施設に入所。慣れない集団生活や母親がいない現実を受け入れられず、気がおかしくなりそうだった。
でも、涙一つ見せずに自分と弟を支えてくれる姉の隣で、泣き虫のままではいられない。施設が併設する中学校から奨学金で一般の高校へ進み、将来について真剣に考え始めた。
得意の英語を磨き、世界に羽ばたく女性になりたい。でも、金銭的な支援がなければ進学はかなわない。児童福祉法は入所対象の「児童」を十八歳未満と規定しており、高校卒業とともに原則として施設を退所しなければならない。
そんな時、施設職員が見つけてくれたのが、青山学院大の新しい入試制度。合格すれば学費が免除され、給付金も受けられる。
「人生はあきらめたら、そこで終わる」。学習支援のボランティアで施設に来ていた男性にも励まされた。この男性は偶然にも青山学院大の卒業生。そんな縁もあり、推薦入試に応募すると、見事に合格した。
「みんなと一緒に勉強できる環境にいられることが、うれしい」。大学へ入学し、そう実感している。
桜井さんの母親は生前、通訳の仕事をしていた。優しくて明るい、自慢の母だった。「私も母のように将来は英語を使って、人と人とをつなぐ仕事がしたい」と夢は広がる。
もう一つ、願いがある。「お金があれば大学に進み、将来が開けたという施設出身の子はたくさんいる。誰もが夢をみていい社会にしたい。そうじゃなければ、私にとって本当の幸せとは言えない」

◆養護施設出身者の大学進学率、わずか14%
厚生労働省によると、昨年の児童養護施設出身者の大学進学率は14%で、全国平均52%の3割以下にとどまっている。2012〜16年の5年間、施設出身者の大学進学率は11〜12%で低迷を続けている。
立教大コミュニティ福祉学部(埼玉県新座市)は15年度から、入試に合格した施設出身者の4年間の学費を無料にし、年間80万円の奨学金を給付している。早稲田大も全学部を対象に17年度から、学費を4年間無料にし、月9万円を給付している。
青山学院大は18年度から、施設出身者に限定した推薦入試制度を学部にかかわらず設けたのが特徴。
合格すると、学費が4年間無料になり、月10万円の奨学金が給付される。試験は高校の成績を重視した書類選考と面接。初年度は全国から約10人が応募し、2人が入学。来年度も2人の入学が決まった。
三木義一学長は「全国の大学が施設出身者を1人ずつ受け入れれば、600人ほどの子どもの未来が広がる。日本の大学が一丸となって、取り組んでいくことが理想だ」と話す。

(子どもの貧困率25%)さらなる施策の充実を - 沖縄タイムス(2018年12月16日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/360056
https://megalodon.jp/2018-1218-1020-26/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/360056

子どもの貧困率改善に確かな手応えを感じる結果となった。
県は、子どもの貧困率について2度目の調査結果(中間報告)を発表した。世帯の生活水準を表す「等価可処分所得」が年122万円未満の困窮世帯の割合は、2015年度の29・9%から4・99ポイント改善し25%となった。好調な県内景気の影響で、子育て世帯の収入が相対的に上がったと推測される。
ただし全国平均13・9%(15年)に比べると10ポイント以上の開きがあり、施策のさらなる推進が必要だ。
調査は県内の小学1年生の保護者、5年生と中学2年生の子どもと保護者に聞いた。
全体で「300万円未満」の世帯は38・4%から31・3%に減少。困窮世帯の割合も、小学1年生がいる世帯で22・6%(前回調査30%)、小学5年生26・7%(同31・1%)、中学2年生25・9%(同28・7%)といずれの学年でも減少した。
就学援助制度を利用している困窮世帯の割合が大幅に増えたことも評価できる。
小学1年生がいる困窮世帯の49・8%が同制度を「利用している」と回答。前回調査の34・4%より15ポイント以上も増加した。小学5年生も52・9%と前回比10ポイント近く上昇。中学2年生は前回比7ポイント増の57・9%だった。
援助制度を知らない世帯の減少が背景にある。各学年とも8割近くが学校からの通知で制度を認知しており、全世帯のうち「制度を知らなかった」と回答したのは前回調査の10・9%から3・8%まで減った。この数値が0に近づくよう、周知徹底に努めてほしい。

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世帯収入の増加や就学援助制度の利用増など経済的な不安の解消は、子どもの自己肯定感の高まりに影響することも調査からうかがえた。「がんばればむくわれる」「自分は価値のある人間だと思う」と回答した小学5年生の割合は、今回、困窮世帯の子とそうでない子の間に差は見られなかった。
一方、中学2年生は依然、「自分に自信がある」などと回答する困窮世帯の子が、非困窮世帯の子に比べ少ない結果が出た。経済的困窮にさらされた期間の長さなどが影響しているのではないか。貧困が子どもに与える影響を緩和するには、幼いころからの支援が重要だということを示唆している。
県は15年度、全国に先駆け子どもの貧困率を調査。結果を受け奨学金制度や通学費補助の創設し、既存制度の周知を推進してきた。今調査はこうした方向性の正しさを裏付けた形だ。

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今回追加された調査項目では課題も見えた。放課後児童クラブ(学童保育)の利用料について、困窮世帯、非困窮世帯とも「負担」と感じる世帯が6割を占めた。利用料の高さから学童の利用をあきらめた困窮世帯は約3割で、公立学童の割合が全国に比べ極端に低い県内の状況を反映している可能性がある。
子どもの貧困対策は始まったばかり。今後も息の長い取り組みが求められる。

子ども食堂94自治体で支援 都市部中心に貧困救済に活用 - 毎日新聞(2018年12月17日)

https://mainichi.jp/articles/20181217/k00/00m/040/085000c
http://archive.today/2018.12.18-003103/https://mainichi.jp/articles/20181217/k00/00m/040/085000c

地域住民が無料や安い値段で食事を提供する子ども食堂を支援する自治体が都市部で増えている。内閣府の調査によると、全国の政令市と東京23区計43自治体のうち4割の17で補助金を設けていた。4自治体は今年度から開始しており、都市部に多い貧困層の対策として子ども食堂を活用しようとする自治体の期待が浮き彫りになった。
内閣府は全国約1800の全自治体を対象に地域での子どもの居場所作りについて調査した。このうち子ども食堂支援は94自治体が取り組んでいた。政令市はさいたま市北九州市など11、東京23区は新宿区や北区など6、都道府県が東京都や滋賀県など16だった。予算総額は約5億7000万円。
東京都荒川区は生活困窮世帯や一人親家庭の子どもらを対象にした食堂に開催1回ごとに7000円の補助をしている。堺市は炊飯器や食器など開設のための補助金(上限20万円)を設け、必要に応じて子どもを専門の支援機関につなげるよう求めていた。
自治体ごとの特色もあり、奈良県は県産食材の購入費に対する補助とし、食育にも力を入れる。和歌山県橋本市は要件を満たした団体を「橋本こども食堂」と認定し、公民館使用料を免除している。また愛知県では質の高い運営をしている補助対象の食堂をモデルと位置づけて、そのノウハウを聞き取り調査。他の団体が参考にできるガイドブックの作製につなげる。
一方で現実のギャップもある。京都府補助金支給要件に相談対応を含め、虐待発見時の通報などを期待している。しかし団体側には「安易な個人情報提供につなげたくない」と戸惑いがある。府の担当者は「柔軟に対応してほしい。緩やかな関係を作りたい」と話すなど、連携は手探りだ。【熊谷豪】

ー40℃超のシベリアで黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた【抑留体験】 - メシ通編集部(2018年12月17日)

https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yasushi-nishimuta/18-00402

「シベリア抑留」という歴史上の悲劇をご存じだろうか。

終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に移送された出来事である。そこでは想像を絶する寒さや容赦のない重労働、劣悪な生活環境などにより、約10人に1人にあたる約6万人が命を落としたといわれている。

今回で第6回目を数える「極限メシ」で話をうかがったのは、極寒のシベリアで2年4カ月もの間抑留された後、生還した中島裕さん(92歳)。中島さんと戦友たちの命運を分けたものはなんだったのか。極限状態の中、いったい何を食べて生き延びたのだろうか。

ご本人によるエピソードに加え、中島さんが晩年、抑留体験を回想しながら描きためたという絵もぜひご覧いただきたい。

(私説・論説室から) 想包餃子 - 東京新聞(2018年12月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018121702000145.html
http://web.archive.org/web/20181217045059/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018121702000145.html

「忘れられない中国滞在エピソード」というテーマの作文コンクール表彰式が、中国大使館で行われた。その中に「想包餃子」(ぎょうざを作りたい)と書いた紙を手にした大学生がいた。三本美和(みつもとみわ)さん(22)だった。
三本さんの作文は二〇一六年から約一年間、上海に語学留学した時のこと。現地の人と交流したいと考え、留学仲間と、この中国語を画用紙に大きく書いて公園で掲げてみた。
多くの人は通り過ぎていく。一人の中年女性が足を止め、三本さんたちを見ていた。
すかさず「中国人の生活を体験したいのです」と頼み込んだ。「私は餃子を作るのがうまくない。家もここから遠いけどいい?」
女性は二人と車に乗り、材料を買って高層マンションの自宅に招き入れた。そして、作り方を丁寧に教えてくれた。お礼に二人は、ツナ缶で日本風のおにぎりを作った。
女性は、日中戦争について語り出した。「だから、日本人を好きになれなかった。でも…」と女性は言葉を継いだ。
「お互い憎み合うのは悲しいことだと、今日気がついた。いつでも遊びにおいで」
中国は怖い、韓国は嫌いと言う人が少なくない。そう言う前に、一歩自分から歩み寄ってほしい。何か感じることがあるはずだ。
三本さんは「あの餃子は幸せの味だった」と作文を締めくくった。入賞作品集は日本僑報社から出版されている。  (五味洋治)

(岩屋防衛相発言)沖縄は民のうちですか - 沖縄タイムス(2018年12月18日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/360820
https://megalodon.jp/2018-1218-1018-12/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/360820

岩屋毅防衛相は15日、視察先の北海道で記者団の質問に答え、米軍普天間飛行場辺野古移設について「日米同盟のためではない。日本国民のためだ」と述べた。
「国民のため」とは、どういう意味なのか。国民のうちに沖縄は入っているのか。
翁長雄志前知事の生前の言葉を思い出す。2015年9月、新基地を巡る県と政府の集中協議で、安倍晋三首相にこう迫った。
「『日本を取り戻す』という中に沖縄は入っているんですか」
沖縄にとって、その問いは切実である。翁長氏が県民から圧倒的支持を得たのは、沖縄を犠牲にして成り立ついびつな安全保障政策を改めるよう、文字通り身命を賭して訴えたからだ。
岩屋氏は「この地域(南西地域)の抑止力を減退させるわけにはいかない」とも強調した。
政府が抑止力という言葉を口にしたとたん、政治家も国民も魔法にかけられたように思考停止に陥る。
そして政府は説明責任を果たすことなく「辺野古が唯一の選択肢」という脅し文句を繰り返す。
玉城デニー知事は防衛省が土砂投入を強行した14日、語気を強めて語った。
「民意をないがしろにし、県の頭越しに工事を進めることは決してあってはならない」 
当たり前のことと聞き流されそうだが、そうではない。どこの都道府県、どこの市町村に米軍基地を造ろうが、普遍的に通用する主張であり、民主政治の核心部分である。

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嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫地区だけでも、三沢、横田、厚木、横須賀、岩国、佐世保の県外主要6基地の面積を超える。
辺野古移設を断念したとしても、沖縄の人々はこの広大な基地群を引き受けなければならないのである。
私たちが辺野古に代わる「プランB」を検討せよと言い続けているのはそのためだ。辺野古見直しは、譲ることのできない最低限の要求である。
岩屋氏は安倍首相が約束した普天間飛行場の5年以内運用停止は実現困難だとし、返還そのものも日米合意の22年度よりさらに遅れるとの認識を示している。
普天間の危険性除去を優先して取り組む意思があるのなら、計画の頓挫を認め、今こそ「プランB」の検討に着手すべきだ。

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辺野古反対は沖縄だけの声ではない。
共同通信社が土砂投入後に実施した全国世論調査で、移設を進める政府の姿勢を「支持しない」と答えた人が56・5%に上り、「支持する」の35・3%を大きく上回った。 ハワイの県系人が始めた、県民投票まで工事を停止するよう米大統領に求める電子署名も急速に広がっている。
埋め立て強行は国民・県民の分断を深め、反対運動の激化は想定外の事態を招く恐れがある。中国に「付け入る隙」を与えないためにも、話し合いによる辺野古見直しにかじを切るべきだ。

22年普天間返還困難 たちの悪い責任転嫁だ - 琉球新報(2018年12月18日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-850165.html
https://megalodon.jp/2018-1218-1022-21/https://ryukyushimpo.jp:443/editorial/entry-850165.html

政府が何度も約束を破るわけを見定める時だ。
岩屋毅防衛相は2022年度とされる米軍普天間飛行場の返還は「困難」と述べた。名護市辺野古への移設に伴う埋め立ての承認を県が撤回したことなどを理由に挙げた。
9月の知事選で県の撤回を支持する玉城デニー知事が誕生した。いわば撤回は沖縄の民意である。
そもそも県民に辺野古移設反対の民意が根強いのは、新たな米軍施設の建設は基地の県内たらい回しにすぎないと認識しているからだ。それを理解せずに県民が納得しない「負担軽減策」を「唯一だ」と押し付けてくる政府に責任がある。その自覚なしに県の反発を返還が遅れる理由にするのは悪性であり、県民への責任転嫁も甚だしい。
1996年の普天間返還の日米合意以来、沖縄は何度も県内移設反対の民意を示してきた。しかし政府は県内移設にこだわり、返還時期の約束をほごにしてきた。96年の返還合意の際は5〜7年後、2006年の米軍再編では14年の代替施設完成後、13年には22年度またはその後だった。仲井真県政が埋め立てを承認した際に約束した19年2月までの運用停止も困難という。近年は県の反発へのいら立ちからか「辺野古移設か、普天間固定化か」というどう喝まがいの二者択一を迫っている。
こう見ると、政府の真の狙いが浮かび上がる。普天間の危険性除去は二の次で、軍港や弾薬庫といった普天間飛行場にない機能を備えた新基地建設を最優先することだ。
岩屋防衛相は辺野古移設は「日米同盟のためではない。日本国民のためだ」とも述べた。日本の防衛の最前線は南西地域だと指摘し「この地域の抑止力を減退させるわけにはいかない」と強調した。
「抑止力」の名の下で重視しているのは県民の生命や人権よりも、自衛隊や本島北部のヘリパッドなども含めた基地のリニューアル(再開発)である。防衛相の言う「国民」に県民は入っていないに違いない。有事には敵から真っ先に標的にされ、平時では事件・事故、騒音などで命や人権が侵害される。「抑止力」のために県民に犠牲を強いる構造的差別を可視化する発言であり、植民地主義の発想だ。
新基地が欲しいのは米国よりむしろ日本政府だということも鮮明にした。何が何でも新基地を造りたい政府にとって「危険性の除去」は本気ではなく空手形の疑いがある。県の試算では工期はあと13年もかかる。「抑止力」のためにその間、普天間の危険を放置するのはあまりにも無責任だ。
こう考えると、辺野古移設か、普天間固定化かという二者択一論は「宗主国による分断策」と見なした方が分かりやすい。県民を分断することで辺野古移設を進めやすくする狙いが透けて見える。県民が一致して、県内移設を条件としない普天間返還を強く求めることが大切だ。