「日本ではない国に行けば」 翁長知事の息子が投げかけられた言葉 - BuzzFeed(2018年9月30日)

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/onaga-takeharu

父に続き政治家となった彼は、何を感じているのか。「沖縄保守」への思いを聞いた。
「実は僕、学生時代は『ネトウヨ』だったんですよ」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、翁長雄治(31)。那覇市議になって1年が経つ、新米の議員だ。
父親は、前沖縄県知事翁長雄志沖縄県名護市辺野古の米軍基地建設への反対を貫きながら、2018年8月8日、任期中にすい臓がんで死去した。
雄志は長年、自民党に所属して沖縄県連幹事長も務め、「沖縄の保守勢力」であることを自認していた。しかし、辺野古への米軍基地建設を巡って中央の自民党政権と激しく対決し、那覇市長の座を辞して県知事選に立候補した。
祖父は那覇市と合併した旧真和志市の市長。伯父は県議と副知事を歴任した。雄治は4人きょうだいのうちでただ一人、政治家となった「3代目」だ。
その雄治から見た、沖縄の保守とは何か。
ーーなぜ、「ネトウヨ」だったんですか?
高校生の時は、柔道が大好きな普通の少年でした。沖縄を離れて関東の体育系大学に進んだため、部活以外にやることがなかった。基本的にすごく引きこもり体質なので、家から出たくない。家にいると、ずっと携帯しか見ないんですよ。
携帯でネットを見ると、当時政権の座にあった民主党がやることは全部悪いんだ。自民党は全て正しいんだ。そうでない議員はみんな「在日」なんだ、という情報がたくさんあった。
そして、ネットで見かけるそういう主張に、だんだん魅せられていった。「在日」が何たるかもよく知らないまま、外国人が日本人になりすましている、みたいにすら感じていました。
まだ「ネトウヨ」という言葉がない頃だったのですが、実際には自分では何も分かっていない、何も考えていないのに、こういう主張を一方的に受け売りすることこそが、「保守的な思想」だと思い込んでいたのです。
ーーどうして、そこから父と同じ道へ?
ネット上で翁長雄志が叩かれているのを見かけるようになったんです。
父が基地の辺野古移設に反対するようになってからです。「国策、米軍基地に反対するやつは反日左翼テロリストだ」と。
ただ僕には、父親への果てしない信頼感があったんです。うちの親父は沖縄のために人生を過ごしていましたし、悪いこと、恥じる事は何もしていない。だからこそ、こういう叩かれ方はおかしいと思ったんですね。
この頃から、政治家を志すようになってきた。そして沖縄に戻り、実際に基地問題を見て、住んでいる人たち、生活する人たちを見て、考え方が変わってきた。
ーーお父さんから、何か政治について言われたこともあるんでしょうか
父から政治について教わったことは、ほとんどありません。
うちには、政治は家業じゃないという家訓があります。僕も那覇市議選に出る時、母親に反対されました。
父にも、立候補を自分で選んだのならば仕方ないとは言われましたが、市議になったあとに相談しても「自分で考えろ」と言われました。
ーー亡くなる前、お父さんが残された言葉はありますか?
「政治家としての悔いは一切ない。やるべきことは全てやった」と、亡くなる2、3日前に言っていました。
託されたものは全くありません。ただ、言い遺されたことはある。これは2〜30年後にしか言わないと決めています。大した話ではありませんが。
父は「政治家は、情熱×行動力×信念だ」と言っていました。
「情熱はみんな持っている。行動力によって上に行けるか甘んじるか、人によって違う。一番大切なのは信念だ。間違った信念を持って突っ走ってはいけない」と。
すべては掛け算で、信念がマイナスになったら意味がない。そういう話をしてくれました。
ーーお父さんは、どんな信念を貫いてきたと思いますか。
沖縄の保守たるところ、じゃないでしょうか。
父が言うのは「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけない)」じゃないですか。
それは、「沖縄は基地で食っている」などと馬鹿にされたまま、「まきてぃー、ないびらんどー(負けてはいけない)」と言うことだと思うんです。
ーー沖縄の保守とは、なんなのでしょう
例えば茨城でも、千葉でも、神奈川でも、青森でも、まず大切にしたいのは自分の地元ですよね。
家族があって、地域があって、県があって、それの集合体が国なんです。だからこそ、自分の家族をまず守るのは当たり前ですよね。それができて初めて、地域ができる。市町村があって、県があって、国ができる。
沖縄県民は、琉球王朝時代からどう歩んできたのか。
戦前、戦時中、戦後に何があったのか。1972年の本土復帰前、復帰後に何があったのか。
こうしたことをすべて総括しながら、沖縄県の歩むべき道は何なのかを考え、求めていくのが、沖縄の保守の立場ではないでしょうか。
ーー基地問題についてはどう感じているのでしょうか
沖縄の平和に対する思いは人一倍強かったんです。身内にひめゆり学徒隊員だった人もおり、幼い頃から戦争体験を聞いてきました。
安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げていますが、僕はこれから100年も200年も「戦後」であってほしいんですよ。戦前になってほしくない。
先日、読谷村で民家に米兵が入る事件があった。被害者の女子高生はとても傷ついているといいます。
昨年末には、普天間基地近くにある小学校にヘリの窓枠が落ち、保育園にもヘリの部品が落ちた。
学校にはコンクリートのシェルターができました。ヘリが飛んできたら逃げろ、校舎に走れと言われる。1時間に1回避難するんです。この数ヶ月で約700回避難しています。
それにも関わらず、(普天間基地の代わりに)改めて沖縄に基地を作りなさいというのは、おかしな話じゃないですか。
普天間基地をなくすのは当然の話なんです。でも、辺野古普天間から直線距離で35キロ。オスプレイなら数分ですよ。そんなところに基地をつくって、本当に沖縄は安全になるんですか。
僕は、沖縄の人たちに人権を取り戻したいと思っています。当たり前の生活がしたいんです。沖縄には、可能性があるわけですから。
辺野古の米軍基地・キャンプシュワブとの境界線
ーーTwitterを始められたのも、そういう実態を伝えるためですか。
僕のツイッターの政治的意見は、本土の人たちに向けて発信しています。
これまでで一番「バズった」のは、読谷村の事件に関するツイートでした。こういう実態があるのだよ、と示したいんです。
ただ、父に対するものも含め、批判もよく寄せられます。
親中国だとか。うちの親父は中華料理は確かに好きだったけれど、中国への思い入れは何もないのに。僕に「違う国に行けば」などという言葉を寄せてくる人もいます。

ーーそうした人たちに思うことは
(内地の)保守も革新も、真剣に国防を考えていません。米軍基地が沖縄に集中しているから、考えなくて済むんです。
僕は護憲派ですが、9条で日本を守れると思っていません。大事なのは日本は戦争をしないということ。ただ、9条という条文だけでは、攻められても止められない。だからこそ自衛隊があり、日米安保条約がある。
9条があるから守られていると思っている人たちも、そう考えない人たちも、自分たちは血も何も流さなくても、守られていると思っている。そして、その後ろには、米軍基地が置かれた沖縄があるんです。

事務所には、小渕恵三元首相の書があった
昔はそういう考え方を許さない政治家がいた。野中広務先生や、小渕恵三先生や、梶山静六先生が自民党にいた。公明党で言えば池田大作さんですよね。
自民党の大会に翁長雄志沖縄県連の役員として出席したら、罵声を浴びせられたらしいんですよ。
すると、そこにいた浜田幸一先生が「沖縄の保守がこんだけ声をあげているのに、それを感じられない人は今すぐ出ていけ」と怒鳴り返したと聞きました。
そういう人たちが、今はいない。
ーーお父さんが使われてた「イデオロギーよりもアイデンティティ」の意味を、どう捉えていますか
沖縄が日本の国防の要になっていて、どういう言葉を並べても過重な負担を強いられているという現実がある。
憲法日米安保などを巡り、保守と革新でそれぞれのイデオロギーがあるかもしれない。けれども、50年後や100年後、子どもたちの未来を考えた時に、お互いのイデオロギーを掲げて対立し、動けないままにいるのは意味がない。
沖縄にどんな未来があるべきなのかを真剣に考えれば、保守の側からも、この(基地の)負担は減らしていくべきだということになる。
だからこそ、保守と革新の違いを乗り越えて、沖縄の未来を考えていかないといけない。それが、うちなーんちゅのアイデンティティという言葉の意味だと思います。
父は、うちなーんちゅとして、イデオロギーで対立するよりも、「融和と協調」を意識していかないといけないと考えていた。
それが「イデオロギーよりもアイデンティティ」という言葉だと思っています。
ーー「ネトウヨ」だった当時の自分に言いたいことはありますか
すごくこんがらがっていた。保守的な思想と、しかしながら基地に反対したい思想と。それの整合性が取れずに、どんどん「ネトウヨ」になっていった。
それも一つの経験だったし、だからこそ今の自分があると思いますので、諌める気はありません。
今そういう思想を持っている人は「新聞には嘘が書かれている」とか「ネットに真実がある」とかいうけれど、一番大切なことは、まず自分の目で確認することだと思います。
あとは、情報を真実かどうか、疑うこと。ちょっと考ればわかるフェイクもある。
自分でファクトチェックして、棘がついている真実から棘を抜いていって、一つの真実だけを残せるようにしていってもらいたい。
絶対にありますから、真実は。

翁長氏の“遺志”「オール沖縄」再結集に力 玉城デニー氏に無党派の支持【勝因】 - 沖縄タイムス(2018年10月1日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322856
https://megalodon.jp/2018-1001-1004-18/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322856

玉城デニー氏は翁長雄志前知事の遺志を引き継ぐことで「弔い合戦」のムードを醸成し、ラジオパーソナリティーなどのタレント活動歴や衆院議員を4期途中まで務めた知名度の高さを生かすことで革新票や無党派層の支持を集め、相手候補に大差をつけて勝利した。
名護市辺野古の新基地建設の賛否を最大の争点と位置付けるも、基地一辺倒ではなく、経済や子育て政策などにも重点を置き、無党派層の支持を広げた。
翁長氏の急逝後、後継候補を巡る人選は思惑が入り乱れ波乱含みだったが、翁長氏が生前残した音声データによって「オール沖縄」勢力を再結集させた。
選挙序盤は自身の出自を絡めて政策を訴えることが多かったが、22日の総決起大会を機に改めて翁長氏の後継候補という立ち位置を前面に打ち出す方針に転換。翁長氏の次男雄治氏に加え、富川盛武、謝花喜一郎両副知事と前面に出ることで、翁長県政の継承を一層印象付けた。
選挙期間中は遊説中心に日程を組み、街宣カーの上ではなく県民と同じ高さに立って演説することで庶民目線をアピール。若者や女性といった無党派層の掘り起こしを狙った。
沖縄タイムス朝日新聞琉球朝日放送(QAB)の出口調査では、投票で重視した点として「基地問題」が46%で最も高かった。普天間飛行場辺野古移設反対は57%で、うち8割が玉城氏を支持。新基地建設に反対する根強い民意を取り込んだ。
玉城氏は共産、社民、社大、立憲民主、国民民主、自由の支持層を手堅くまとめ、無党派層の7割からも支持を得た。公明の約3割、自民の2割を取り込み、一部の保守票を切り崩した。保守から革新まで幅広く支持を得るため政党色を排除したことも功を奏した。
序盤は相手候補に比べ出遅れ感も否めなかったが、投票率68%、獲得票40万8千票と目標を高く掲げ、選対を引き締めた。期日前投票を徹底し、会員制交流サイト(SNS)なども積極的に活用して無党派層、若者対策に力を入れた。(知事選取材班・嘉良謙太朗)

(玉城氏が圧勝)沖縄から新しい政治を - 沖縄タイムス(2018年10月1日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322858
https://megalodon.jp/2018-1001-1003-34/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322858

新しい沖縄県知事に前衆院議員の玉城デニー氏(58)が選ばれた。前回知事選の翁長雄志氏の得票を上回り、復帰後の知事選では過去最多得票での勝利である。
出馬表明の遅れや組織体制の不備、相手の強大な組織力をはねのけての圧勝だ。その政治的意味は極めて大きい。
大方の予想を覆して玉城氏が勝利を収めた要因は何か。
一つは、安倍政権と国政与党が前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)をなりふり構わず支援したことへの反発である。
菅義偉官房長官は9月に入って3度も沖縄入りし、人気者の小泉進次郎衆院議員も告示後3度沖縄に駆け付けた。水面下では二階俊博幹事長らが企業や団体へのテコ入れを徹底。党が前面に出たことで候補者の影は薄くなり、「政権丸抱え」の印象を与えた。
佐喜真氏が若者票を意識して権限のない「携帯電話利用料の4割減」を公約に掲げたのもとっぴだったが、これに菅氏が「実現したい」と応じたのに違和感を持った県民も多かった。有権者は「古い政治」の臭いをかぎつけたのではないか。
玉城氏は、翁長県政の継承と辺野古新基地反対の姿勢を明確に打ち出しつつ、名護市長選敗北の経験から経済政策や子育て支援策にも力を入れ、幅広い層の支持を得た。
米軍統治下の沖縄で、米兵を父に持ち母子家庭で育った玉城氏は、沖縄の戦後史を体現するような政治家である。自らの人生を重ねるように語った多様性の尊重や子どもの貧困対策は、女性を中心に有権者の心をつかんだ。
グローバル化が進む中、草の根運動によって二つのルーツを持つ知事が誕生したことは、「新しい政治の始まり」を予感させるものがある。

■    ■

今回の知事選では、前回自主投票だった公明党が佐喜真氏推薦に回り、翁長知事を誕生させた「オール沖縄」陣営から抜ける企業もあった。
政党の基礎票を単純に積み上げていけば、玉城氏が勝てる要素は乏しかった。組織票で圧倒的に不利だったにもかかわらず勝利したことは、安倍政権の基地政策に対する有権者の「ノー」の意思表示であり、新基地反対の民意が依然として強固なことを示すものだ。
選挙期間中、佐喜真氏が連呼したのは「対立から対話へ」のキャッチフレーズだった。しかし翁長氏との対話を拒否したのは安倍政権である。
就任後、面会を申し入れても安倍晋三首相に会えない日が続き、会談が実現したのは4カ月も後のこと。新基地建設問題を巡る係争処理手続きで総務省の第三者機関が協議を促す結論を出した際も、政府は話し合いによる解決を拒んだ。
現在、県の埋め立て承認撤回によって工事は止まっている。政府は法的な対抗措置を取るのではなく、これを受け入れ、新たな協議の場を設けるべきだ。
これ以上、政府の都合で県民同士の分断と対立を深めてはならない。従来のような強硬策では何も解決しない。

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今度の選挙は、1968年の主席公選から50年の節目の選挙である。新知事は在任中に復帰50年を迎える。 
本土との格差是正を目的に、国の責務として始まった沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興策は、ここ数年、新基地の「踏み絵」のように使われ始めている。翁長県政になって以降、目玉の一括交付金が減額されるなど沖振法が「米軍再編特措法化」しているのだ。
究極の「アメとムチ」政策である米軍再編交付金だけでなく、沖縄関係予算まで基地維持の貢献度に応じてということになれば、沖縄の地方自治は成り立たない。
玉城氏には、佐喜真氏支援に回った経済団体とも早急に対話を進め、民間主導の自立型経済の構築に向け、一致協力して取り組んでもらいたい。
子どもの貧困対策や子育て支援、雇用の質の改善、県民所得の向上など生活に密着した課題も山積みだ。 
「新時代沖縄」につながる政策を着実に進めてほしい。

翁長さんの魂継ぐ 沖縄知事当選の玉城さん 未来のため「体張る」 - 琉球新報(2018年10月1日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-811496.html
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激しい選挙戦を繰り広げた沖縄県知事選挙は30日、翁長雄志知事の後継として「辺野古に新基地を造らせない」と訴えた玉城デニーさん(58)が新基地建設の是非を明言しなかった佐喜真淳さん(54)に大勝した。米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市の辺野古新基地建設を拒む県民の意思が明確に示された。玉城さんは涙を浮かべ「新基地建設を止めることが未来の子どもたちにできる、私たち責任世代の行動だ」と呼び掛け、「翁長知事の遺志を継いで、私も体を張って主張する」と魂の継承を力強く誓った。
辺野古新基地建設阻止を掲げ当選を果たした玉城さん。午後9時半すぎ、当選確実が報じられると、那覇市古島の教育福祉会館に集まった支持者から、悲鳴のような歓声と割れんばかりの拍手が湧き起こった。「これ以上の辺野古新基地建設は認めない。『道理』を止めてはいけない。崩れても、折れてもいけない」と決意を新たにした。
午後7時58分に支持者が待つ会場に到着した。妻の智恵子さん(59)らと緊張した面持ちで席に着き、数回深呼吸した。複数の報道機関が当選確実を報じたのを受け、湧き起こった「デニー」コール。盛り上がりは最高潮に達した。支持者らと人さし指と小指を立ててポーズを取った後、カチャーシーを舞い、孫の笑茉ちゃん(2)を抱きかかえて喜びを表した。
急逝した翁長知事が生前に残した音声で、後継に玉城さんの名前を挙げたことを受け、出馬を決心したのが8月末。4期目途中で衆院議員を辞し、1カ月余りの短期間の中、選挙戦に臨んだ。「イデオロギーよりアイデンティティー」と、翁長知事の姿勢を継承して支持を広げた。
伊江島出身の母と米海兵隊員の父との間に旧与那城村で生まれた。母子家庭で育ったことや産みの母と育ての母の2人の母がいることなど、自身の出自も語りながら「一人も取り残さない社会をつくる」と訴え、沖縄中を駆け巡った。
「わったーや、勝っちゃんどー」。支援者に向かって深々と頭を下げ、感謝した。「政府と対峙(たいじ)することの難しさは考えていない。われわれの民意に沿って政府が判断すればいいことだからだ」と力強く語ると、拍手と指笛が鳴りやまなかった。
県内外で多くの関心を呼んだ県知事選。玉城さんの元には、報道関係者が120人以上集まった。

新知事に玉城氏 新基地反対の民意示した - 琉球新報(2018年10月1日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-811370.html
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翁長雄志知事の死去に伴う沖縄県知事選挙は、名護市辺野古への新基地建設反対を訴えた前衆院議員・玉城デニー氏(58)が、安倍政権の支援を受けた前宜野湾市長・佐喜真淳氏(54)を大差で下し、初当選した。
米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古への新基地建設について、玉城氏は「辺野古に新たな基地は造らせない」と主張、知事の持つあらゆる権限を行使して阻止する姿勢を示した。
佐喜真氏は辺野古移設を推進する安倍政権の全面的な支援を受けながらも、その是非について言及を避け続けた。
玉城氏が当選したことで、新基地建設に反対する沖縄県民の強固な意志が改めて鮮明になった。政府は、前回、今回と2度の知事選で明確に示された民意を率直に受け止め、辺野古で進めている建設工事を直ちに中止すべきだ。
沖縄には、普天間飛行場の4倍以上の面積を有する嘉手納基地をはじめ在日米軍専用施設面積の7割が集中している。県内移設を伴わない普天間飛行場の返還は決して法外な要求ではない。
今選挙で政府・与党は菅義偉官房長官自民党二階俊博幹事長、竹下亘総務会長、公明党山口那津男代表らが次々と沖縄入りし、総力を挙げて佐喜真氏を応援した。
政権の動きに呼応するかのように、ネット上では玉城氏に対する誹謗(ひぼう)中傷やデマが拡散された。模範となるべき国会議員までが真偽不明の情報を発信した。
沖縄県知事選で玉城氏ほど、いわれのない多くの罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられた候補者がかつていただろうか。有権者の中には、デマを本当のことだと思い込んだ人もいたかもしれない。
戦後、米軍統治下にあった沖縄で直接選挙によって住民の代表を選ぶ主席公選が初めて認められたのは1968年のことだ。自治権の拡大を求める沖縄住民が勝ち取った権利だった。
その際、自民党は川島正次郎(副総裁)、福田赳夫中曽根康弘の各氏ら有力者を次々と送り込み、保守側の候補者を強力に支援した。結果は、革新の屋良朝苗氏が当選している。あれから50年。政府与党は知事選に介入し敗れた。
振興策で思い通りになると考えていたとすれば、県民を軽んじた話ではないのか。
政権与党対県政与党という対立構図の中で、県民は翁長県政の路線継承を望み、安倍政権に「ノー」を突き付けた。「政府の言いなりではなく、沖縄のことは沖縄で決める」という強い意志の表れだ。
県は前知事による辺野古の埋め立て承認を8月31日に撤回した。政府は法的対抗措置を取る構えを見せている。
この期に及んで、なおも新基地を押しつけるというのなら、民主主義国家を名乗る資格はない。政府は沖縄の揺るぎない民意を尊重し、新基地建設を即刻断念すべきだ。

沖縄の声 伝える 玉城さん「結束」訴え - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100102000114.html
https://megalodon.jp/2018-1001-1002-06/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100102000114.html

辺野古ノー」の強風が島々に吹き渡った。沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設の是非を最大の争点に三十日、投開票が行われた県知事選。故翁長雄志(おながたけし)知事の後継として建設反対派の「オール沖縄」が擁する玉城デニー衆院議員(58)が、安倍政権が全面支援する佐喜真(さきま)淳前宜野湾(ぎのわん)市長(54)を破り、事実上の一騎打ちを制した。基地負担に苦しむ沖縄に対する政権の強硬姿勢は、政権支持者からも反発を招いた。
玉城陣営の支持者百人以上が集まった那覇市内のホールでは、玉城さんも午後八時前から姿を見せ、支持者と一緒に開票を待った。NHKのテロップが流れたのは午後九時半すぎ。「やったー!」。支持者らは指笛を鳴らし、玉城さんも自らカチャーシーを踊って喜びを分かち合った。
激戦を制した玉城さんは「翁長雄志知事がこれ以上新しい基地を造らせないという思いを命を削って全うしたことが県民に宿り、後押しした。私も辺野古に新しい基地を造らせないとしっかりと脳裏に刻んでやっていきたい」と誓った。「諦めずに一致団結すれば、良い方向に進む」と明言すると、支援者たちも「そうだ」と呼応した。
八月に翁長知事が急逝したことを受け、衆院議員を辞職して急きょ立候補。保革を超えて新基地に反対する政党や団体でつくる「オール沖縄」の支援を得て戦った。翁長知事が訴えてきた「イデオロギーよりも沖縄県民のアイデンティティーを大事に」を呼び掛け、後継をアピールして競り勝った。
辺野古の新基地を巡っては翁長知事の意向を踏まえた県が八月末に埋め立て承認を撤回している。国との攻防が始まるが、玉城さんは「さまざまな行政指導をしたが、国が法律を守らなかった。とうてい民主主義国家や法治国家とは言えない。それを堂々と主張する」と述べた。ただ、「翁長さんもそうだったが、我々から対立や分断を持ち込んでいない。沖縄の優位性を高めることで国内の経済を伸ばし支えていくことについて、国としっかり協議したい。県民が認められない最たるものが辺野古の新基地で、政府に県民の思いをしっかり訴えていきたい。自立と共生、多様性を大事にしながら進めたい」ときっぱり話した。
沖縄駐留の米軍人の父親と同県の伊江島出身の母親の間に生まれた玉城さん。本名は玉城康裕で、デニーは子どものころからの愛称だ。ラジオDJなどで活躍したが、二〇〇二年に沖縄市議選でトップ当選し政界入りした。
この日、「母子家庭で育ち、高等教育を受けたわけでもないが、色々な人に支えられてきた。漠然と、いつか世のため人のために役立ちたいと思ってきた」と自らの歩みを振り返りながら、県民に尽くす覚悟を語った。 (井上靖史)

沖縄知事選 負担「もう許せない」 県民 1票に託した思い - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100102000120.html
https://megalodon.jp/2018-1001-1001-24/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100102000120.html

台風24号の爪痕が残る那覇市の投票所で、有権者に一票に託した思いを聞いた。 (井上靖史)
那覇市の主婦(69)は「これまで政府は基地を沖縄に集中させても金で何とかなるだろうと県民をバカにしたようなやり方をしてきた。でも翁長さんが言ったように、これ以上は許せない」ときっぱり話す。基地建設に明確に反対する玉城さんを選んだという。
長年保守系を支持し、翁長知事にも入れなかったという同市の別の主婦(70)も、今回は玉城さんに投じた。安倍首相には好感を抱いてきたが「今の政府のやり方は上から押さえ付けるだけ。基地を巡る事故も増えているのに、沖縄とほとんど話し合いにも応じようとしない姿勢が許せない」と失望感をあらわにした。
基地問題への姿勢を判断材料にした有権者は多い。
那覇市の主婦古我知(こがち)直子さん(53)は「まだ未成年の子どもがいる。自分より下の人たちが平和に、安全に、笑って暮らせるように願って基地をなくし、トラブルを根本から解決してくれそうな人に投票した」と話す。二〇一六年にうるま市で起きた米軍属による女性殺害事件の痛みも生々しい。古我知さんは「どれだけ沖縄県民は米軍や軍属、家族に苦しめられるのか。米軍関係者が酔っぱらって家に入ってくるような状況は基地の近くに住んでいなければ分からない」と嘆く。
東京都出身で沖縄在住十年という元福祉施設職員伊藤諭さん(50)は「基地反対はきれいごとのような気もし、判断に迷った」。九カ月の子をあやしながら投票した那覇市の主婦片野愛里沙(ありさ)さん(29)は「子どものためにも基地をなくし、豊かな自然を残してもらいたい」と投票基準を話した。
新基地建設が計画される名護市民も悩みながら投票した。同市辺野古の男性漁師(40)は新基地建設を推進する政府与党が推す佐喜真さんへ投票した。「海上に新基地ができると思ったら止まり、止まったと思ったら進む状況が二十年続いている。俺たちはどうすればいいのか。埋め立てももう始まっている。今回で決着をつけたい」
同市では今年二月、自民党などの支援を受けた新市長が誕生し、それを踏まえた交付金で九月から給食費や保育料が無料になった。市内で四人の子育てをする四十代の会社員男性は「目先のお金と、百年も二百年も残る基地のどちらを選ぶべきか考えた」と話した。

辺野古基地は白紙に 2018・10・1 - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100102000144.html
https://megalodon.jp/2018-1001-0951-16/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100102000144.html

辺野古新基地建設はNO。沖縄県知事選で、米軍普天間飛行場移設問題にあらためて民意が示された。政府は直ちに辺野古移設を見直すべきだ。これ以上、沖縄に対立と分断をもたらさないために。

沖縄県知事

日米両政府が一九九六年、普天間飛行場の返還に合意して以来、知事選は六回目。辺野古移設への対応が毎回の争点となってきた。
今回は、故翁長雄志知事の後継者として出馬した玉城デニー氏が勝利し、二〇一二年以降の安倍政権下では二回、いずれも辺野古反対の重い民意が明らかにされた。
政権の全面支援を受けるも敗れた佐喜真淳氏は、訴えで移設の是非に触れずじまい。玉城氏とは激戦だったが、それをもって辺野古への賛否が割れたとは言い難い。
選挙期間中の琉球新報社などの県民世論調査では、県内移設に反対する意見が六割を超えた。辺野古問題では、明らかに多数が新基地は不要と判断している。
新基地建設に関しては八月末、国の工事に違法性があるとして、県が沿岸の埋め立て承認を撤回した。事前の設計協議なしに着工し軟弱地盤や活断層の問題も判明した−などが理由。手続き上も工法上も国側が無理を重ねている。
辺野古反対派が当選した以上、政府は法的対抗措置を凍結し、移設計画を白紙から見直すべきだ。普天間返還に代替施設が必要か、あらためて米国と交渉し、再び国内移設をというのなら、移設先を一から検討するよう求めたい。
辺野古の海では一部区域の護岸建設が進められたが、埋め立ての土砂投入は行われていない。元の海への回復はまだ間に合う。
選挙結果は、自民党総裁に連続で三選された安倍晋三首相には痛手だろうが、沖縄の民意をこれ以上踏みにじることは許されない。
自ら誘致したのでもない基地を巡り、国に恭順するか否かが毎回問われる知事選は沖縄以外にはない。振興予算の加減による政権側のアメとムチ政策が県民を分断する原因にもなっている。今回も、生活基盤整備が先と感じる佐喜真氏支持層と玉城氏支持層の間でしこりが残るかもしれない。
そんな不幸な状況を解消し、沖縄の自治を保障するため政府がとるべき道は、沖縄のみに過剰な基地負担をかけない、必要な財政支援はする、との当たり前の政治に転換するだけのことだ。
政府には、速やかに新知事と沖縄の将来について、真摯(しんし)な協議を始めることを望みたい。 

沖縄知事選 辺野古ノーの民意聞け - 朝日新聞(2018年10月1日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13703471.html
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沖縄県知事に前衆院議員の玉城(たまき)デニー氏が当選した。
急逝した翁長雄志前知事は、米軍普天間飛行場の移設先として、名護市辺野古に基地を造ることに強く反対してきた。その遺志を継ぐ玉城氏を、有権者は新しいリーダーに選んだ。安倍政権は県民の思いを受けとめ、「辺野古が唯一の解決策」という硬直した姿勢を、今度こそ改めなければならない。
まず問われるのは、県が8月末に辺野古の海の埋め立て承認を撤回したことへの対応だ。この措置によって工事は現在止まっているが、政府は裁判に持ち込んで再開させる構えを見せている。しかしそんなことをすれば、県民との間にある溝はさらに深くなるばかりだ。
朝日新聞などが行った県民世論調査では、辺野古への移設は賛成25%、反対50%だったが、基地問題に対する内閣の姿勢を聞く問いでは、「評価する」14%、「評価しない」63%とさらに大きな差がついた。「沖縄に寄り添う」と言いながら、力ずくで民意を抑え込むやり方が、いかに反発を招いているか。深刻な反省が必要だ。
今回の選挙で政権側がとった対応は異様だった。全面支援した佐喜真淳(さきまあつし)氏は辺野古移設への賛否を明らかにせず、応援に入った菅官房長官らは、県政とは直接関係のない携帯電話料金の引き下げに取り組む姿などをアピールして、支持を訴えた。
都合の悪い話から逃げ、耳に入りやすい話をちらつかせて票を得ようとする。政権が繰り返してきた手法と言えばそれまでだが、民主主義の土台である選挙を何だと思っているのか。
一方で、沖縄の今後を考えるうえで重要な主張の重なりもあった。玉城、佐喜真両氏がそろって、在日米軍にさまざまな特権を認めている日米地位協定の改定を、公約の柱にすえたことだ。佐喜真氏も、協定の運用を話し合う日米合同委員会に「沖縄の声が反映する仕組みをつくる」と具体的に唱えた。
過重な基地負担に苦しむ県民の、立場を超えた願いと見るべきだ。政府もまさか「佐喜真氏の独自の考えで、我々とは関係ない」とは言うまい。実現に向けた真摯(しんし)な努力を求める。
新知事の前には、基地問題だけでなく、地域振興や福祉・教育などの課題が待ち受ける。加えて、安倍政権がとってきた、従う者は手厚く遇し、異を唱える者には徹底して冷たく当たる政治によって、県民の間に深い分断が生まれてしまった。
その修復という難題にも、全力で取り組んでもらいたい。

沖縄知事に玉城デニー氏 再び「辺野古ノー」の重さ - 毎日新聞(2018年10月1日)

https://mainichi.jp/articles/20181001/ddm/005/070/063000c
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沖縄県の新知事に、米軍普天間飛行場辺野古移設に反対する玉城(たまき)デニー衆院議員が当選した。8月に死去した翁長雄志(おながたけし)氏に続き、再び「辺野古ノー」の知事を選んだ県民の審判は極めて重い。
安倍政権はこの間、民意に刃向かう形で強引に埋め立て工事を進めてきた。知事選には佐喜真淳(さきまあつし)前宜野湾市長を擁立し、県外から国会議員や地方議員、秘書団まで動員する政権丸抱えの選挙戦を展開した。
それでも玉城氏が勝利したことで、政権が従来の姿勢を見直さざるを得なくなったのは明らかだ。
市街地の真ん中に位置する普天間飛行場は一刻も早い返還が必要だ。にもかかわらず、日米の返還合意から22年が過ぎても実現していない根底に、基地負担のあり方をめぐる本土と沖縄の意識差が横たわる。
日米安保条約に基づく在日米軍の存在が日本の安全保障の要であることについて、国民の間でそれほど意見対立があるわけではない。
問題の核心は、日米安保のメリットは日本全土が受けているのに基地負担は沖縄に集中するという、その極端な不均衡にある。
県外移設を求める沖縄側と、「辺野古移設が普天間の危険性を除去する唯一の選択肢」という政府の主張はかみ合っていない。
民主主義国家では最終的に多数決で政策が決定されるが、議論を尽くしたうえで少数派の意見を可能な限り取り入れることが前提となる。
外交・安保は政府の専権事項だからといって、圧倒的な多数派の本土側が少数派の沖縄に不利益を押しつけるのを民主主義とは言わない。
辺野古移設をめぐる国と沖縄の対立を解消していくにはどうすればよいのか、今こそ政府は虚心に県との話し合いを始める必要がある。
翁長氏が知事に就任した際、安倍晋三首相と菅義偉官房長官は4カ月にわたって面会を拒み続けた。玉城新知事に対してもそんな大人げない対応を繰り返せば、国と沖縄の対立はますます深まるだけだろう。
来年春までには辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票も行われる見通しだ。自民党総裁に3選されたばかりの首相だが、問答無用で基地負担をごり押しする手法で状況を動かすことはできない。

<金口木舌>不条理と闘った歴代知事 - 琉球新報(2018年10月1日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-811480.html
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昨年ハワイを訪ねた時、県系人の言葉に問題の根深さを知った。「翁長雄志知事の子は中国人と結婚した」。新基地建設を巡り、沖縄の民意を政府にぶつけてきた翁長氏へのデマ。拡散は予想以上だった

▼翁長氏の死去で早まった知事選は異例づくし。超短期決戦に、台風24号が直撃する。候補者ポスターの撤去や繰り上げ投票、相次ぐ日程変更…。まさに嵐のような慌ただしさだった
▼新知事に玉城デニー氏が決まった。復帰後では第8代。県民の願いは沖縄ばかりに負担を押し付けず、穏やかな暮らしを実現すること。異例を引きずるのはごめんだ
▼「基地ができる前まで普天間に人はいなかった」「沖縄経済は基地なしでは成り立たない」との事実誤認を今も耳にする。翁長氏は自身に向けられたデマを県議会答弁で否定した。そのやりとりは怒りを通り越して悲しい
▼歴代知事は沖縄への無知や偏見、不条理とも闘った。復帰後初代知事の屋良朝苗氏は破れた履物を意味する「弊履(へいり)」に例え、「沖縄県民の気持ちと云うのはまったく弊履の様にふみにじられる」と憤った
▼「知事」の「知」は治める意のほか、変化に応じて的確に判断できる頭の働きも指す。嵐が過ぎて沖縄の新たな4年間が始まる。新知事はどうかじを取り、進んでいくのか。県民は弊履にあらず。1票に託した思いが踏みにじられてはならない。

総裁3選直後 首相痛手 目指す改憲 行程に影響も - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100102000131.html
https://megalodon.jp/2018-1001-0955-46/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100102000131.html

三十日投開票の沖縄県知事選で、政府・与党が全面支援した前宜野湾(ぎのわん)市長の佐喜真淳(さきまあつし)氏が敗れたことは、自民党総裁選で安倍晋三首相(総裁)が三選を決め勢いをつけたい政権には痛手となる。来年に統一地方選参院選を控え、「選挙の顔」となる首相の求心力が低下し、首相が描く改憲の行程にも影響しかねない。
自民党二階俊博幹事長は佐喜真氏敗北を受け「県民の審判を厳粛に受け止め、敗因を分析したい」とコメントを発表。塩谷立選対委員長は政権運営への影響について「ないと思う」と記者団に強調した。
政府・与党は知事選を、大型国政選挙がない二〇一八年の最重要選挙と位置付け、国政選並みの態勢で臨んだ。安倍政権で経済が上向き、地方にも波及していることなどを実績として訴えたが、今回は政権の「強み」が地方で通用しない証明になった。
先の総裁選で、首相陣営は国会議員票に加え、党員・党友による地方票でも圧勝を目指した。だが石破茂元幹事長が予想を上回る45%の地方票を獲得し地方での首相への不満が顕在化。統一地方選と、地方に多い改選一人区が勝敗を左右する参院選では、首相の地方での不人気は不安材料だ。
首相は今秋の臨時国会で、自衛隊の存在を明記する九条改憲を含めた自民党改憲案の提出を目指す。改憲を争点にした総裁選での勝利をてこに、議論を加速させ、来年の国民投票も視野に入れている。
しかし政権内にも、地方をはじめ国民の十分な理解を得ずに進めれば、首相への批判や反発が増幅しかねない危機感は漂う。来年の「政治決戦」に万全を期したい首相としては、戦略の練り直しも迫られる。 (清水俊介)

◆「残念だが仕方ない」
安倍晋三首相は三十日、自民党塩谷立選対委員長と電話し、沖縄県知事選の結果について「残念だが仕方ない」と話した。

山口代表 6選承認 公明党大会 - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100102000130.html
https://megalodon.jp/2018-1001-0957-27/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201810/CK2018100102000130.html

公明党は三十日、東京都内のホテルで党大会を開き、山口那津男代表(66)の六選を承認した。井上義久幹事長(71)が副代表に就き、後任に斉藤鉄夫幹事長代行(66)を昇格させる新執行部の人事も決まった。山口氏は大会で「安倍内閣を支え、国民の負託に力強く応えたい」と訴えた。安倍晋三首相が唱える憲法九条への自衛隊明記案には「緊急性がない」と慎重姿勢を示した。
二〇〇九年の衆院選敗北後に代表に就いた山口氏の六期目がスタートする。任期は二年。記者会見で、山口氏は執行部人事の狙いを「世代交代を着実に図る意味が含まれている」と説明した。来賓として党大会に出席した首相は、改憲を念頭に「公明党と誠実に真摯(しんし)に議論していきたい」と理解を求めた。
執行部人事では、北側一雄副代表兼中央幹事会会長(65)、古屋範子副代表(62)、石田祝稔政調会長(67)を再任した。党大会後の中央幹事会で、国対委員長高木陽介氏(58)、選対委員長に佐藤茂樹氏(59)が指名された。

◆公明、改憲巡り正念場
三十日の公明党大会で六選が承認された山口那津男代表にとって喫緊の難題は、改憲問題への対応だ。安倍晋三首相は来年中の国民投票も視野に、今秋の臨時国会への自民党案提出を目指している。公明党改憲論議を急ぐことに慎重だが、安倍政権を支える与党の立場だけに厳しい判断を迫られる可能性もある。 (山口哲人、金杉貴雄)

■明快
公明党としては、憲法九条の改正は緊急になされるべきであるとは、必ずしも言えないと考えている」
党大会で山口氏は、首相が改憲に強い意欲をみせる現状を懸念する地方組織の質問に、はっきり答えた。幹事長に就任した斉藤鉄夫氏も、記者会見で「今すぐスケジュールうんぬん、国会発議うんぬんという段階ではない」と強調した。
山口氏は慎重に言葉を選ぶことが多いが、改憲では明快な物言いが目立つ。
首相は九月二十日の記者会見で、自衛隊の存在を明記するなど四項目の自民党改憲案に関し、臨時国会への提出に向けて「友党の公明党と調整したい」と表明。しかし山口氏は翌二十一日のBS番組で「公明党とだけ調整を先行して、それから国会に出すことは考えていない」と事前協議に応じない方針を明言した。
この日の党大会でも「憲法改正に前向きな政党だけでなく、幅広い合意をつくり出す努力がまず必要だ」「世論調査で、『優先すべき政治課題』で憲法改正は決して高い順位でないことも冷静に見極める必要がある」などと、改憲を急ぐ首相への苦言を連発した。

■封印
公明党は、憲法に新しい権利を加えることを検討する「加憲」の立場。一方で「平和の党」を自任し、国民の理解が十分でないまま進められないとも訴える。支持母体の創価学会も、改憲への拒絶反応が強い。最重要視する来年の統一地方選参院選に悪影響を与えかねない改憲論議は封印したいのが公明党の本音だ。
山口氏が態度を硬化させているのは、警戒感の裏返しでもある。公明党には自民党との政策協議で、党方針に本来そぐわない合意を強いられてきた歴史があるからだ。
他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を巡っては、公明党内にも違憲論があり、山口氏は当初「断固反対」「憲法の精神にもとる」と批判していた。だが、与党協議で押し込まれ、最終的に容認に転じた。自民党に連立解消をちらつかされた結果だった。

■けん制
改憲発議は衆参両院の三分の二以上の賛成が必要で、予算や法律を通すときのような「与党」の枠組みは直接関係ない。それでも首相が公明党との事前協議に意欲を示したのは、「三分の二」を確保するには同党の協力が不可欠なためだ。集団的自衛権行使容認などの「成功体験」を念頭に、まず同党を説得したい考えとみられる。
ある自民党幹部は「山口氏の発言は、連立与党としてどうなのか」とけん制。十月下旬に召集される見通しの臨時国会に向け、自公の神経戦が激しさを増しそうだ。

公明と9条改憲 歯止め役を果たせるか - 東京新聞(2018年10月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100102000143.html
http://web.archive.org/web/20180930235419/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018100102000143.html

巨大な安倍自民党に対し、公明党は歯止め役を果たせるのだろうか。安倍晋三首相は九条に自衛隊を明記する改憲を急ぐ。「平和の党」を自任する公明党にとっては、存在意義が問われる正念場だ。
公明党はきのう党大会を東京都内で開き、山口那津男代表(66)の六選を承認した。井上義久幹事長(71)を副代表に、後任には斉藤鉄夫選挙対策委員長(66)を起用する新執行部人事も決めた。
自民党との連立政権は小渕恵三首相時代の一九九九年に始まった。三年三カ月の野党時代を挟んで、すでに二十年近く、行動を共にしていることになる。安倍首相は党大会でのあいさつで「風雪に耐えた」関係を強調した。
自公連立が始まる前、国会は政権与党の自民党参院単独過半数に達しない「ねじれ」状態だった。政治は不安定化しており、公明党の連立参加が、政治の安定に果たした役割はあったのだろう。
以前は、選挙協力を得たい自民党が、公明党に譲歩する場面も多く見られたが、安倍自民党の政権復帰後は、公明党が譲歩を迫られる場面が目立つ。例えば、二〇一五年に成立した安全保障関連法とその根拠となる閣議決定である。
公明党は、歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」の容認には慎重で、一定の歯止め役を果たしたとは言える。
しかし、山口氏が連立離脱の可能性を早々に否定し、自民党側に押し切られたことは否めない。山口氏はかつて本紙のインタビューに「いわゆる集団的自衛権を認めたわけではない」と答えたが、限定的な行使容認の閣議決定だったことは、首相自身が認めている。
同じようなことが、九条改憲でも起こらないか、心配だ。
九条に関し、公明党はかつて自衛隊の存在を認める条項を加える「加憲」を提唱したことがある。首相が自衛隊の存在を明記する九条改憲案を主張するのも、公明党の理解を得るためなのだろう。
とはいえ、限定的にせよ違憲性が指摘される集団的自衛権の行使に該当する活動を行う自衛隊の存在を憲法に明記すれば、他国同士の戦争には参加しない九条の精神は形骸化しかねない。公明党がそれを認めていいのか。
山口氏は党大会で「九条改正が緊急になされるべきだとは必ずしも言えない」と慎重姿勢を示したが、「平和の党」を掲げるのであれば、九条改憲を進める安倍首相に押し切られることなく、覚悟を決めて対峙(たいじ)すべきである。

(大弦小弦)前回知事選の取材ノートを見返していたら、「この戦いに勝って差別を… - 沖縄タイムス(2018年10月1日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322843
https://megalodon.jp/2018-1001-0718-39/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/322843

前回知事選の取材ノートを見返していたら、「この戦いに勝って差別を終わらせる」という言葉が目に飛び込んできた。保守にも革新にも失望し、政治から離れた男性。今回だけは、と翁長雄志氏を応援していた

▼当時、安倍政権は辺野古新基地に反対する沖縄の自民党国会議員5氏を記者の前に並べて屈服させ、工事を始めた。屈辱感が男性を突き動かした。沖縄全体がうねっていた

▼その後の4年間、沖縄はまるで民主主義の学校のようだった。公約を破った仲井真弘多氏に退場を促し、代わった翁長氏は公約を守った。県民は投票だけで終わらせず、必要なら主権者として体を張って現場で抵抗した

▼政権はその民意を踏み破り、辺野古の海をつぶしてきた。県民の心に諦めを植え付け、新基地反対という選択肢自体を奪おうとした。だが、県民は命の選択肢を諦めず、手放しもしなかった。玉城デニー氏を選んだ

▼高揚より、静かな覚悟という言葉がふさわしい。道が険しいことを誰もが知っている。先の男性は「もう一回、民主主義が生き返るチャンス」と表現する

▼少数派を差別し、人権を脅かす数の暴力を民主主義とは呼ばない。政権とそれを支える国民大多数が、沖縄に息づく健全な民主主義を傷つけてきた。4年間の猶予ができた。今度こそ民主国家日本が応える番だ。(阿部岳)