「日本ではない国に行けば」 翁長知事の息子が投げかけられた言葉 - BuzzFeed(2018年9月30日)

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父に続き政治家となった彼は、何を感じているのか。「沖縄保守」への思いを聞いた。
「実は僕、学生時代は『ネトウヨ』だったんですよ」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、翁長雄治(31)。那覇市議になって1年が経つ、新米の議員だ。
父親は、前沖縄県知事翁長雄志沖縄県名護市辺野古の米軍基地建設への反対を貫きながら、2018年8月8日、任期中にすい臓がんで死去した。
雄志は長年、自民党に所属して沖縄県連幹事長も務め、「沖縄の保守勢力」であることを自認していた。しかし、辺野古への米軍基地建設を巡って中央の自民党政権と激しく対決し、那覇市長の座を辞して県知事選に立候補した。
祖父は那覇市と合併した旧真和志市の市長。伯父は県議と副知事を歴任した。雄治は4人きょうだいのうちでただ一人、政治家となった「3代目」だ。
その雄治から見た、沖縄の保守とは何か。
ーーなぜ、「ネトウヨ」だったんですか?
高校生の時は、柔道が大好きな普通の少年でした。沖縄を離れて関東の体育系大学に進んだため、部活以外にやることがなかった。基本的にすごく引きこもり体質なので、家から出たくない。家にいると、ずっと携帯しか見ないんですよ。
携帯でネットを見ると、当時政権の座にあった民主党がやることは全部悪いんだ。自民党は全て正しいんだ。そうでない議員はみんな「在日」なんだ、という情報がたくさんあった。
そして、ネットで見かけるそういう主張に、だんだん魅せられていった。「在日」が何たるかもよく知らないまま、外国人が日本人になりすましている、みたいにすら感じていました。
まだ「ネトウヨ」という言葉がない頃だったのですが、実際には自分では何も分かっていない、何も考えていないのに、こういう主張を一方的に受け売りすることこそが、「保守的な思想」だと思い込んでいたのです。
ーーどうして、そこから父と同じ道へ?
ネット上で翁長雄志が叩かれているのを見かけるようになったんです。
父が基地の辺野古移設に反対するようになってからです。「国策、米軍基地に反対するやつは反日左翼テロリストだ」と。
ただ僕には、父親への果てしない信頼感があったんです。うちの親父は沖縄のために人生を過ごしていましたし、悪いこと、恥じる事は何もしていない。だからこそ、こういう叩かれ方はおかしいと思ったんですね。
この頃から、政治家を志すようになってきた。そして沖縄に戻り、実際に基地問題を見て、住んでいる人たち、生活する人たちを見て、考え方が変わってきた。
ーーお父さんから、何か政治について言われたこともあるんでしょうか
父から政治について教わったことは、ほとんどありません。
うちには、政治は家業じゃないという家訓があります。僕も那覇市議選に出る時、母親に反対されました。
父にも、立候補を自分で選んだのならば仕方ないとは言われましたが、市議になったあとに相談しても「自分で考えろ」と言われました。
ーー亡くなる前、お父さんが残された言葉はありますか?
「政治家としての悔いは一切ない。やるべきことは全てやった」と、亡くなる2、3日前に言っていました。
託されたものは全くありません。ただ、言い遺されたことはある。これは2〜30年後にしか言わないと決めています。大した話ではありませんが。
父は「政治家は、情熱×行動力×信念だ」と言っていました。
「情熱はみんな持っている。行動力によって上に行けるか甘んじるか、人によって違う。一番大切なのは信念だ。間違った信念を持って突っ走ってはいけない」と。
すべては掛け算で、信念がマイナスになったら意味がない。そういう話をしてくれました。
ーーお父さんは、どんな信念を貫いてきたと思いますか。
沖縄の保守たるところ、じゃないでしょうか。
父が言うのは「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけない)」じゃないですか。
それは、「沖縄は基地で食っている」などと馬鹿にされたまま、「まきてぃー、ないびらんどー(負けてはいけない)」と言うことだと思うんです。
ーー沖縄の保守とは、なんなのでしょう
例えば茨城でも、千葉でも、神奈川でも、青森でも、まず大切にしたいのは自分の地元ですよね。
家族があって、地域があって、県があって、それの集合体が国なんです。だからこそ、自分の家族をまず守るのは当たり前ですよね。それができて初めて、地域ができる。市町村があって、県があって、国ができる。
沖縄県民は、琉球王朝時代からどう歩んできたのか。
戦前、戦時中、戦後に何があったのか。1972年の本土復帰前、復帰後に何があったのか。
こうしたことをすべて総括しながら、沖縄県の歩むべき道は何なのかを考え、求めていくのが、沖縄の保守の立場ではないでしょうか。
ーー基地問題についてはどう感じているのでしょうか
沖縄の平和に対する思いは人一倍強かったんです。身内にひめゆり学徒隊員だった人もおり、幼い頃から戦争体験を聞いてきました。
安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げていますが、僕はこれから100年も200年も「戦後」であってほしいんですよ。戦前になってほしくない。
先日、読谷村で民家に米兵が入る事件があった。被害者の女子高生はとても傷ついているといいます。
昨年末には、普天間基地近くにある小学校にヘリの窓枠が落ち、保育園にもヘリの部品が落ちた。
学校にはコンクリートのシェルターができました。ヘリが飛んできたら逃げろ、校舎に走れと言われる。1時間に1回避難するんです。この数ヶ月で約700回避難しています。
それにも関わらず、(普天間基地の代わりに)改めて沖縄に基地を作りなさいというのは、おかしな話じゃないですか。
普天間基地をなくすのは当然の話なんです。でも、辺野古普天間から直線距離で35キロ。オスプレイなら数分ですよ。そんなところに基地をつくって、本当に沖縄は安全になるんですか。
僕は、沖縄の人たちに人権を取り戻したいと思っています。当たり前の生活がしたいんです。沖縄には、可能性があるわけですから。
辺野古の米軍基地・キャンプシュワブとの境界線
ーーTwitterを始められたのも、そういう実態を伝えるためですか。
僕のツイッターの政治的意見は、本土の人たちに向けて発信しています。
これまでで一番「バズった」のは、読谷村の事件に関するツイートでした。こういう実態があるのだよ、と示したいんです。
ただ、父に対するものも含め、批判もよく寄せられます。
親中国だとか。うちの親父は中華料理は確かに好きだったけれど、中国への思い入れは何もないのに。僕に「違う国に行けば」などという言葉を寄せてくる人もいます。

ーーそうした人たちに思うことは
(内地の)保守も革新も、真剣に国防を考えていません。米軍基地が沖縄に集中しているから、考えなくて済むんです。
僕は護憲派ですが、9条で日本を守れると思っていません。大事なのは日本は戦争をしないということ。ただ、9条という条文だけでは、攻められても止められない。だからこそ自衛隊があり、日米安保条約がある。
9条があるから守られていると思っている人たちも、そう考えない人たちも、自分たちは血も何も流さなくても、守られていると思っている。そして、その後ろには、米軍基地が置かれた沖縄があるんです。

事務所には、小渕恵三元首相の書があった
昔はそういう考え方を許さない政治家がいた。野中広務先生や、小渕恵三先生や、梶山静六先生が自民党にいた。公明党で言えば池田大作さんですよね。
自民党の大会に翁長雄志沖縄県連の役員として出席したら、罵声を浴びせられたらしいんですよ。
すると、そこにいた浜田幸一先生が「沖縄の保守がこんだけ声をあげているのに、それを感じられない人は今すぐ出ていけ」と怒鳴り返したと聞きました。
そういう人たちが、今はいない。
ーーお父さんが使われてた「イデオロギーよりもアイデンティティ」の意味を、どう捉えていますか
沖縄が日本の国防の要になっていて、どういう言葉を並べても過重な負担を強いられているという現実がある。
憲法日米安保などを巡り、保守と革新でそれぞれのイデオロギーがあるかもしれない。けれども、50年後や100年後、子どもたちの未来を考えた時に、お互いのイデオロギーを掲げて対立し、動けないままにいるのは意味がない。
沖縄にどんな未来があるべきなのかを真剣に考えれば、保守の側からも、この(基地の)負担は減らしていくべきだということになる。
だからこそ、保守と革新の違いを乗り越えて、沖縄の未来を考えていかないといけない。それが、うちなーんちゅのアイデンティティという言葉の意味だと思います。
父は、うちなーんちゅとして、イデオロギーで対立するよりも、「融和と協調」を意識していかないといけないと考えていた。
それが「イデオロギーよりもアイデンティティ」という言葉だと思っています。
ーー「ネトウヨ」だった当時の自分に言いたいことはありますか
すごくこんがらがっていた。保守的な思想と、しかしながら基地に反対したい思想と。それの整合性が取れずに、どんどん「ネトウヨ」になっていった。
それも一つの経験だったし、だからこそ今の自分があると思いますので、諌める気はありません。
今そういう思想を持っている人は「新聞には嘘が書かれている」とか「ネットに真実がある」とかいうけれど、一番大切なことは、まず自分の目で確認することだと思います。
あとは、情報を真実かどうか、疑うこと。ちょっと考ればわかるフェイクもある。
自分でファクトチェックして、棘がついている真実から棘を抜いていって、一つの真実だけを残せるようにしていってもらいたい。
絶対にありますから、真実は。