(斜面) 池内紀(おさむ)さん - 信濃毎日新聞(2019年9月6日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190906/KT190905ETI090003000.php
http://archive.today/2019.09.06-015032/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190906/KT190905ETI090003000.php

丸みがあって少し右に傾く文字はどこかユーモラス。池内紀(おさむ)さんの手書き原稿である。本紙夕刊のコラム「今日の視角」を執筆し毎週ファクスで東京支社の担当デスクに送ってくる。時候のあいさつや連絡など一言を必ず添えてきた

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ほがらかでひょうひょうとし時代の正体を見抜く批評眼を持っていた。ドイツ文学を基盤に山歩きや温泉など趣味も生かした軽妙な文章が人気だった。8月28日に届いた原稿が最後の「今日の視角」になった。その2日後、自宅で78歳で亡くなっている

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絶筆は学生らの日常を描いた。向かい合ってもスマホを見つめ、自転車を並走させる時だけ会話をしている、と。<存分に話し合ったときの爽快感を忘れずにいる者は、目をつむって過去を見入っている>と結んだ。書き添えた言葉は<体調を崩して何事もおっくうです>だった

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ヒトラーの時代」(中公新書)を7月に出版している。ドイツ人がなぜ、独裁者を歓呼で迎えたのか。<自分なりに解明するのが『ドイツ文学者』として生きるかぎり、自分が自分に課した義務だと思っていた>と8月27日付「今日の視角」に書いた

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「最後の仕事」との思いがあったのだろう。新書の結びにこんな一文がある。<ナチズムの妖怪は異常な人間集団のひきおこしたものではなく、その母胎にあたるものは、ごくふつうの人々だった>。ヒトラーの時代を一人一人が「負の鏡」として見つめてほしいとの遺言が聞こえてくる。