(斜面) 土壇場で見送りとなった入試改革 - 信濃毎日新聞聞(2019年11月2日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191102/KT191101ETI090003000.php
http://archive.today/2019.11.03-004800/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191102/KT191101ETI090003000.php

官僚登用試験「科挙」が中国で始まったのは1400年余り前。身分の隔てなく広く人材を集めた制度である。皇帝が軍人の力を抑えて広大な国を統治するのに役立ったという。合格すれば栄達が保証されたから競争は激しさを極めた

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親は資格のある男児の出産を願い、満3歳になると教育を始める。受験には年齢制限がなく希望者が多いため幾つも関門があった。本人確認、筆跡鑑定、名前を隠した採点…。県の長官の責任で行う第1段階の試験から厳格な決まりに従って進められた

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実施者も受験者も不正は厳しく処罰され、えこひいきした長官が流刑になったことも。試験の不公平、不公正には民衆から常に厳しい目が注がれたからだ。競争が激化すると環境がものを言うようになり、お金持ちや都会の住人が有利になった。宮崎市定著「科挙」に教えられた

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宮崎さん(1901〜95年)は飯山出身の中国史家。京大で教えながら制度を研究した。自身は田舎で育ち幸せだった、定員に満たない旧制中学を教育熱心な古里は守ってくれた、と後序に書く。さて、難関の採用試験を経た文科官僚がどうしたことか

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政治主導で始まり、土壇場で見送りとなった入試改革である。政権の意向ばかり忖度(そんたく)して現場の声を聞かず、公平で精緻な制度設計をなおざりにしたお粗末としか言いようがない。入試の公平性に対する厳しさ、敏感さは、この国の民衆も同じだ。延期と言わず、抜本的に見直すしかない。