(政界地獄耳) 政権と皇室は承久の乱?! - 日刊スポーツ(2019年4月5日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201904050000120.html
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元号万葉集から引かれたと世間は大騒ぎだが、政界関係者が言う。「出典が万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の漢文で書かれた序文だった。皇室は菊、国は桜。なぜ元号が梅になるのか、という声がある」という。菊は奈良時代に日本に入り、美術・工芸の文様として使われたのは平安時代から。皇室が菊の紋を使用するようになったのは鎌倉時代十六葉の菊の紋を彫った後鳥羽上皇からと言われる。「その後鳥羽上皇を調べてみたらどうか」とさきの政界関係者が言う。

鎌倉幕府時代。3代将軍源実朝の暗殺を契機に2代目執権の北条義時後鳥羽上皇の関係が悪化。頼朝の妻・北条政子が反朝廷の武士を取りまとめ、後鳥羽上皇は反鎌倉幕府陣営を整える。鎌倉軍が京都に攻め込み朝廷派はあっという間に討伐される。1221年(承久3年)の承久の乱だ。後鳥羽上皇隠岐島流しに。幕府は皇位継承にも関与し後堀河天皇を即位させる。また、朝廷監視機関として新たに六波羅探題(ろくはらたんだい)を京都に置き、朝廷からは土地を没収して地頭に与えた。

★政界関係者は言う。「今、この義時と後鳥羽上皇の争い、承久の乱の構図が今の政権と皇室の関係に似ていると右翼関係者の間で話題になっている」という。譲位をめぐる官邸と皇室の確執や考えの違い、簡素に行事を行いたい陛下の考えに対して盛大に行事を執り行いたい官邸の思惑。その問題に関係して秋篠宮さまが「何度言っても宮内庁長官聞く耳を持たなかった」などの発言が漏れ伝わると、やりとりだけ見ても右派陣営の面々が気に病むのは理解できる。元号についてさまざまな声がくすぶり続けていることも何らかの関係があるのかも知れない。(K)※敬称略