空襲被害者 法制定で国が補償を - 東京新聞(2018年6月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018060602000164.html
https://megalodon.jp/2018-0606-0915-44/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018060602000164.html

今国会でも素通りしてしまうのか。先の大戦での、空襲被害者ら戦災傷害者への補償のことだ。民間人被害者に対し、国はほとんど何もしてこなかった。早急な法制化で、政治が救済すべきだ。
杉山千佐子さんの無念も少しは晴れようか。一年前、そんな期待もしたが、結局空振りだった。
名古屋市の杉山さんは、空襲被害者の救済に半生をかけた人だ。願いもかなわぬままに、一昨年九月、百一歳で帰らぬ人になった。
ところが昨年の通常国会で、彼女の死去が引き金にもなり、三十年近く絶えていた超党派議員(空襲議連)の立法化への動きが活発に。空襲被害者ら民間戦災傷害者を援護する法案がまとまった。だが加計、森友問題や「共謀罪」法の強行採決などで国会が混乱、法案提出にはいたらなかった。
東京、名古屋など各地への米軍の無差別空襲では、約五十万人が死亡したとされる。
戦後、国は旧軍人・軍属、遺族には、恩給などで累計約六十兆円の援護をしている。一方、空襲被害などの民間被害者には「(戦時中)雇用関係を結んでいない」ことを理由に補償を拒んできた。
戦時下、防空法などで民間人も行動が制限された。杉山さん=当時(29)=は名古屋空襲で左目を失い障害が残った。その戦災を自己責任のように扱われた揚げ句、民間人だけ補償がないのでは「おかしい」と怒るのも当然だ。
一九七二年、名古屋で「全国戦災傷害者連絡会」を設立。繰り返し援護法の制定を訴えた。ドイツなどヨーロッパでは、民間人もほぼ平等に補償されている。
八〇年代までに野党が十四回提出した援護法案はすべて廃案に。国を相手取った損害賠償訴訟も次々退けられた。立ち上がった空襲議連への戦傷者らの期待は大きいだけに、再び見送りになれば、その落胆は想像に難くない。
放置している国に先んじ、名古屋市浜松市が毎年、見舞金を支給している。金額の多寡でなく、援護すべき「民間人」の存在を公に認めたことに両市の制度の意義がある。しかも、名古屋市は今年から、一人二万六千円の金額を一万円余引き上げた。
議連案は一人五十万円の一時金と被害の実態調査が柱だ。不満の声はあるが、猶予してもいられない。今国会も政府の相次ぐ不祥事による混乱が目に余るが、議連は法制化を急ぐべきだ。戦傷者の高齢化は待ってはくれぬのだから。