週のはじめに考える 空襲被害を見捨てては - 東京新聞(2015年12月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015121302000142.html
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戦後七十年の年の瀬です。戦争を知らない世代が大半ですが、空襲で傷ついた人々には、その被害は現在進行形です。このまま見捨ててはなりません。
太平洋戦争の開戦日に合わせ八日、空襲被害者たちの救済を国に求める要請行動が国会周辺でありました。その中には名古屋市在住の杉山千佐子さんの姿がありました。空襲で左目を失うなどの大けがをした人です。もう百歳になりました。車いすに座って、集まった人々にこう語りかけました。
「世界の片隅ではドンパチをやっている。とくに一般市民がひどい目に遭わされている。戦争のない、静かな世界にしたい」
◆「受忍論」の壁が阻む
戦災での民間人被害者に補償の手を−、それが長年の杉山さんの望みです。一九七三年に「全国戦災傷害者連絡会」をつくりました。旧軍人や軍属、その遺族にはこれまで計五十兆円を超す恩給や年金が支給されていますが、空襲の被害者はその対象外なのです。
民間人に補償をする法案は議員提案で過去に十四回出されていますが、すべて廃案に終わっています。名古屋空襲訴訟や東京大空襲訴訟など各地で訴訟が起こされましたが、こちらもすべて敗訴でした。「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」という論法で司法は請求を蹴ってきたのです。受忍とは「我慢せよ」という意味でしょう。
ひどい傷害を受けた人がなぜ我慢せねばならないのでしょう。四五年の名古屋空襲のとき、杉山さんは二十九歳。名古屋大学医学部の解剖学教室で秘書として働いていました。十年ほど前のインタビューでこう語っていました。
防空壕(ごう)のすぐ近くに爆弾が落ち、その爆風で飛んできた破片で、私の左目がつぶされ、鼻ももげたんですよ。左目は無眼球。義眼を入れることもできません」
◆西欧では軍民差別なし
眼帯と手の包帯が痛々しく感じられました。左手は神経がやられ、物を持つことができません。
五十代のとき私立大の教授寮で寮母をしました。そのとき、戦時中には防空法や戦時災害保護法という、空襲で被災した民間人への国家補償を定めた法律があったことを知りました。
防空法は老人や幼児以外の国民を都市部にはり付け、消火義務を負わせた法律です。都市からどんどん人々が逃げ出せば、生産力が落ち、敗北感も広がります。それを政府が恐れたのです。
「それら戦時中の法律は、戦後に効力をなくしたという国側の説明でした。政府は『民間人は国と雇用関係がなかった』などというわけです」
国会でも杉山さんの問題が取り上げられたことがあります。二〇〇二年には当時の厚生労働相が、こんな答弁をしています。
<公務として雇用関係にあった人とそうでない人との間には一線を画するという基本的なものの考え方でできている>
実に政府に都合のいい解釈です。しかし、同じ敗戦国でもドイツでは戦争犠牲者援護法が制定され、軍人も民間人も区別をしないで、国の補償を受けられる制度があります。イタリアでも軍民差別をしません。西欧諸国では生命や身体の被害を戦争補償の対象としているのが普通なのです。
「暮らすために必死でしたよ。だれも助けてくれませんでした。年金もごくわずかな額で、生活にも困窮しています」
日弁連は先月、「空襲被害者等援護法」の制定を求める要望書を安倍晋三首相や衆参両議長宛てに出しました。死亡者への弔慰金や肉体的・精神的な被害を受けた人に療養費の給付や手当の支給などを求める内容です。
憲法の幸福追求権や平和的生存権から、「軍人・軍属に限定された戦災者援護の法制は法の下の平等に反する」としています。
国会議員の間にも新たな動きがあります。今夏、超党派の議員でつくる「空襲被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟」(会長・鳩山邦夫衆院議員)が発足しました。
◆被害の実態調査も必要
驚くべきことに戦後七十年たっても、空襲の犠牲者の数ははっきりしていません。東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)では、民間人犠牲者は少なくとも四十一万三千人超としています。実態調査も必要です。
空襲被害者をテーマにしたドキュメンタリー映画に「おみすてになるのですか」(林雅行監督)があります。杉山さんがつえをつき、各地の被害者を訪ね歩いた記録です。
手や足をなくした人、ケロイドの傷痕(きずあと)が生々しい人…。高齢でどんどん亡くなります。「おみすてになるのですか」−、国は耳をふさいでなりません。