(余録)昨秋亡くなった作家の藤原ていさんが… - 毎日新聞(2017年5月5日)

 
https://mainichi.jp/articles/20170505/ddm/001/070/106000c
http://archive.is/2017.05.05-024617/https://mainichi.jp/articles/20170505/ddm/001/070/106000c

昨秋亡くなった作家の藤原(ふじわら)ていさんが幼子3人を連れた旧満州からの壮絶な引き揚げ行を記したのは、子どもへの遺書にしようとしたからだ。戦後のベストセラー「流れる星は生きている」はそうして生まれた。
飢えと寒さ、病気に加え、ぶつかり合う仲間同士のエゴからも子どもの命を守る必死の避難行である。生後間もない長女には出ない母乳の代わりにかみくだいた大豆を口移しに飲ませ、疲れきった男の子2人はどなりつけて歩かせた。
「お母ちゃん、歩けない」。泣く3歳の次男に「ばか! 死んじまえ」とどなって頬を打ったのは、自分の気持ちを高ぶらせて前へと進むためだった。6歳の長男は自分も震えながら弟の衰弱が自分の責任であるかのように気遣った。
悲しいことに、地球上では今この時も難から逃れる子どもや親たちの過酷で悲惨な旅がくり返されている。そのうち自衛隊が国連平和維持活動を行った南スーダンでは紛争や飢餓による難民160万人の大半が子どもと女性だという。
社会機能が崩壊した現地では武装集団による殺人や性的暴力、子どもの誘拐や徴用が日常化した。隣国に逃れる難民には親と離れ離れになった子どもも多く、飢えに苦しみ、茂みに隠れながら何日間も歩いて国境にたどりついている。
「もういいんだ。助かったんだ」とは38度線を越えたていさんが米軍の難民収容所でうわごとのように口走った言葉だった。きょうは「こどもの日」。今ならば私たちに差しのべられる救いの手があろう。