(余録)「日本の子どもが怒鳴られたり… - 毎日新聞(2019年2月16日)

https://mainichi.jp/articles/20190216/ddm/001/070/124000c
http://archive.today/2019.02.16-004838/https://mainichi.jp/articles/20190216/ddm/001/070/124000c

「日本の子どもが怒鳴られたり、罰を受けたりせずとも、好ましい態度を身につけていくのは本当に気持ちのよいものです」。明治中ごろに日本を訪れた英国公使夫人メアリー・フレーザーは、そう述べている。
日本びいきの彼女だったが、明治以前の日本人が子どもに体罰を用いないことに驚く西欧人の記録は多い。古くは戦国時代に来日した宣教師フロイスの「われわれは鞭(むち)で子どもを懲罰するが、日本では言葉で譴責(けんせき)するだけだ」がある。
幕末の英国公使オールコックも子どもを打たない日本人に感心し、欧州の子どもへの懲罰を非人道的かつ恥ずべきものだと自己批判した。しかし当の日本人は明治になって西欧に学んだ民法に親の子どもへの「懲戒権」を書き入れる。
時は流れ、親が子どもに手を上げれば児童虐待となる今日の欧米である。日本が法律を学んだ国々はとうに親の「懲戒権」など削除した。日欧の文明は逆転し、今や子どもへの暴力につき国連委が日本政府に対策を求める時代である。
こんな歴史を思い出したのも栗原心愛(くりはら・みあ)さんの虐待死で、父親が執拗(しつよう)な虐待を「しつけ」と主張したからだ。父親の心にひそむ弱者への攻撃性を正当化し、歯止めを失わせたのが、親の権利や教育という口実だったのならばやりきれない。
明治に欧米に倣(なら)って身につけたものが、今や欧米に非難される“伝統”となったのは子どもへの懲罰だけでない。オールコックやフレーザーを感動させた本当の伝統を掘り起こして子どもを守る時である。