(余録)広島出身の画家、丸木位里さんは… - 毎日新聞(2016年12月5日)

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広島出身の画家、丸木位里(まるきいり)さんは故郷への原爆投下を知った数日後、妻の俊(とし)さんと現地へ駆けつけた。2人はそこで目にしたものや証言を基に絵画制作に取りかかる。全15部に及ぶ連作「原爆の図」だ。完成に30年以上の歳月を要した。
連作の中に「米兵捕虜の死」という作品がある。太平洋戦争末期、旧日本軍の捕虜になった米兵12人が被爆し、亡くなったとみられている。この作品は今も原爆の一断面を伝え続ける。
その米兵はなぜ広島にいたのだろうか。どんな人たちだったのか。自身も被爆者の森重昭(もりしげあき)さんは埋もれた事実を40年にわたって調べてきた。「原爆の犠牲者に国籍は関係ない」と思ったのだ。死没者を特定し、遺族らと交流を重ねた。今年5月にオバマ米大統領が広島を訪問した時、森さんは長年の苦労を大統領にねぎらわれ、抱き合って涙を流した。
日米の真の和解とは−−。夏ばかりでなく、そう考える時が今年も訪れる。旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まって8日で75年になる。
真珠湾に沈められた戦艦アリゾナの記念館に1羽の折り鶴が3年前から展示されている。被爆後の白血病で12歳の時に亡くなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんが病床で折った。両国の遺恨を乗り越えようと遺族が寄贈したものだ。オバマ大統領も広島の原爆資料館を訪れ、自作の折り鶴を残した。
丸木夫妻の「米兵捕虜の死」からは米兵の無念の叫びが聞こえてくるようだ。どこの国の人であれ一人一人の犠牲者を悼み、命をいとおしむ。かつての敵同士が戦争の痛みを分かち合うことでもある。本当の和解はそこから始まるのだと教えられる。