(余録)裁判所の法廷に入ると… - 毎日新聞(2016年5月2日)

http://mainichi.jp/articles/20160502/ddm/001/070/160000c
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裁判所の法廷に入ると誰でも傍聴席で自由にメモを取れる。かつては禁止されていた。メモを取れば公正で静かであるべき裁判の進行の妨げになる。長い間、裁判所の理屈として通っていた。
なぜペンとメモ帳が裁判の妨害になるのか。日本の法廷は閉鎖的ではないか。国を相手に裁判を起こしたのは傍聴席でメモを認められなかった米国人弁護士だ。1審、2審は敗訴したが最高裁は1989年に「メモは原則自由」とする判決を出した。「配慮を欠いていたことを認めなければならない」。最高裁が姿勢を180度変え、やっと表明した反省の言葉だ。
この米国人弁護士が提訴していなければ「メモ禁止」は今も続いていたかもしれない。国民の権利を守るはずの裁判官が自らの過ちになかなか気づけない。
ハンセン病患者を隔離して長年、裁判を行った特別法廷をめぐり最高裁が過ちを認めた。「偏見、差別を助長し、人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」。これも元患者らの訴えがきっかけだった。裁判所と国民の間には容易には埋められない溝があるように思える。
ハンセン病療養所の「邑久光明園(おくこうみょうえん)」と「長島愛生園(ながしまあいせいえん)」は瀬戸内海の離島につくられた。本州との距離は30メートルもない。だが流れが速く、患者が対岸まで泳いで逃げることを阻んだ。その小さな海峡は瀬溝(せみぞ)の瀬戸と呼ばれた。
それぞれの岸から望む対岸の光景は全く違う。本州から見れば患者を遠ざける小島だが、島から見れば帰りたくても帰れない古里だった。自分と立場が異なる人に思いを巡らせるのは簡単なようで難しい。埋めるべき溝は心の中にある。