ハンセン病 遅すぎた司法の反省 - 東京新聞(2016年4月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042602000135.html
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「人格と尊厳を傷つけ、お詫(わ)び申し上げる」。かつてハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などの「特別法廷」で開いた問題で、最高裁が謝罪した。あまりに遅い司法の反省と言わざるを得ない。
ハンセン病の特別法廷が開かれたのは一九七二年までだ。九十五件ある。憲法は裁判は公開の法廷で開くと定めているが、裁判所法には「必要と認める時は裁判所以外で法廷を開ける」との定めもある。この規定が使われた。
感染力が極めて弱く、完治できる病気だが、誤解もあり、医学的根拠もないまま、隔離政策で患者は療養所に収容されていた。裁判も同様に特別法廷で“隔離”されていたわけだ。
感染を恐れた裁判官や検察官、弁護士が予防服を着て、証拠を火箸で扱うという異様な光景もあったという。
問題なのは、殺人罪に問われた元患者が無実を訴えながら特別法廷で死刑を宣告され、のちに執行された事件も存在することだ。一般人の傍聴が極めて困難な、いわば「非公開」の状態で進行したと指摘されている。公開の原則が守られなかったのなら、手続きとして正当かどうか疑わしい。
今回、最高裁は特別法廷について、「(一般人の)訪問が事実上不可能な場所であったとまでは断じがたい」としている。だが、本当にそうか。ハンセン病の療養所は隔離と差別の場だった。
裁判は一般人に実質的に公開されていたのだろうか。有識者の意見は「公開原則を満たしていたかどうか、違憲の疑いは、ぬぐいきれない」と記している。
公開の原則、平等の原則が貫かれていたか。最高裁には今後も徹底的な検証を求めたい。
つまり、最高裁が誤りを認めているのは、六〇年以降も特別法廷を開き続けていたことだ。その時点では既に確実に治癒する病気であったし、国内外で強制隔離の必要性が否定されていた。だから、裁判所法に反するとしたのだ。
だが六〇年以前の特別法廷に問題はなかったのだろうか。もっと早い時点で特別法廷の問題に気づけなかっただろうか。それが悔やまれる。何より謝罪まで時間がかかりすぎている。
二〇〇一年には熊本地裁ハンセン病の強制隔離政策を違憲と判断し、首相や衆参両院も反省と責任を認めた。最高裁もその時点で調査を開始できたはずだ。司法は人権の砦(とりで)でなければならない。あらためて、自覚を促したい。