オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。
2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。
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――歴史家として、東日本大震災をどう捉えていますか。
一番の問題は、地域経済・地域社会にどう影響するのかということ。立ち直れるか、そうでないか。明暗はすでに自治体によって分かれ始めています。
非常に冷徹な言い方をすると、今回の震災は時計を20年から30年間進めただけ。だから、復興は、東北が東京の植民地であるという、従属関係を組み直して、地域が独自に成り立つように組み替える必要がある。元通りに戻すんじゃなくて、元の関係を克服して持続可能なものにしなければ復興は袋小路だと思うんです。
もう一つは、この教訓を覚えるか、覚えないか。今回の震災でも、明治や昭和の津波を覚えているところと覚えていないところで明暗が分かれた。
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ただ、許せないのは、原発を建てるために過去の津波被害を過小評価してきたこと。
歴史の記録は確かなものではないんです。モヤの中でなにかをつかむような作業です。そこからわかるのは、福島原発を建てたところは慶長三陸地震(1611年)の津波をかぶってるはずです。ただそれは地名とか、神社の名前とか、そういうものからしか再現できないですが、何かは残されていた。それを無視して原発を建てた時点から、慶長の津波はなかったことになった。記録から抹消されてきたんです。あのようなことは、絶対にやってはならない。
それがこれからの、私の歴史家としての使命です。