原発事故 争点「予見性」 「できた」「困難」見解分かれ - 毎日新聞(2017年6月30日)

https://mainichi.jp/articles/20170701/k00/00m/040/119000c
http://archive.is/2017.06.30-132844/https://mainichi.jp/articles/20170701/k00/00m/040/119000c


東京電力福島第1原発事故で当時の東電幹部3人が強制起訴された裁判の最大の争点は、大津波の襲来による原発事故を予見できたかどうかだ。この点を巡っては、専門家の間でも見解が分かれている。
政府の地震調査研究推進本部は2002年に発表した長期評価で、福島県沖を含む日本海溝沿いでマグニチュード(M)8級の地震が「30年以内に20%程度の確率」で発生すると予測した。これを基に東電は08年、福島第1原発に最大15.7メートルの津波が来ると試算したが、対策を取らないまま、11年3月11日に最大15.5メートルの津波に襲われた。
長期評価の検討メンバーだった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)・深田地質研究所客員研究員(歴史地震学)は「大津波は予見できた」という立場だ。日本海溝付近では明治三陸地震(1896年)や慶長三陸地震(1611年)など、過去に何度も大津波を伴う地震が起きていたことを挙げ、「将来また起こる可能性は低くはなかった。まして事故が起これば甚大な被害をもたらす原発では、対策を取る必要があった」と、東電の対応の甘さを批判する。
原発の耐震性を議論した09年の経済産業省の審議会で、東北地方の太平洋岸では、平安時代の869年に東北沖で起きたM8以上とみられる「貞観(じょうがん)地震」による大津波を想定した対応を求めた専門家もいた。
一方、首藤(しゅとう)伸夫・東北大名誉教授(津波工学)は「津波が起きた後で、予見できたと言うのは簡単」と、確証を持って予見するのは難しかったとの見方を示す。東日本大震災前の06年、政府の中央防災会議が福島沖の津波地震を「十分な知見がない」として防災対策の検討対象から外したことを引き合いに、「発生確率が低い津波に対し、国が対策を取らないのに東電が(対策に)投資すると言っても、株主の説得は難しいのでは」と話す。
また、奈良林直・北海道大特任教授(原子炉工学)は「自然災害はいつ起こるか分からない不確実なもので、個人に刑事責任を負わせるのは難しいのではないか。もしこれで有罪となるなら、大きな自然災害が起これば自治体の首長も刑事責任を問われかねず、行政が成り立たなくなるかもしれない」と指摘する。
福島第1原発事故前、国が定めた原発の耐震指針は、地震の揺れへの対策が柱で、津波は「地震の随伴事象」として重要視されていなかった。また、電源や原子炉の冷却手段がなくなるといった過酷事故への備えも不十分で、深刻な炉心溶融につながった。
事故の教訓を踏まえて原発の新規制基準が13年に策定され、原発ごとに最大の津波を想定した安全対策が義務化されるなど地震津波対策が強化された。また、移動式の発電機を配備し、原発の冷却手段も複数確保するなど、過酷事故対策も義務づけられた。
再稼働には、新規制基準に基づく原子力規制委員会の安全審査に合格する必要がある。16原発26基が申請し、これまでに6原発12基が合格。地元の同意などを経て再稼働に至ったのは九州電力川内(せんだい)1、2号機(鹿児島県)など3原発5基にとどまる。【岡田英】