(私説・論説室から)「線引き」への反省-東京新聞(2015年1月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015012802000164.html
http://megalodon.jp/2015-0129-1026-45/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015012802000164.html

ここ数年に公開された米国のSF映画では被ばくを扱った作品が相次いだ。「スタートレック」最新作は被ばくを恐れず乗員を救おうとするカーク船長を描き、超格差社会をテーマにした「エリジウム」では事故で被ばくした作業員が再生を目指した。「GODZILLA ゴジラ」では福島を連想させる場面が描かれ論議を呼んだ。冷戦時代、長く核戦争の可能性を念頭に置いてきた米国社会では、被ばくの恐怖をより具体的なものととらえているのかもしれない。

東京電力福島第一原発事故からまもなく四年。被ばくへの関心は薄れ、原発再稼働と原発の輸出が着々と進められようとしている。

反省がある。ウィーンの国際原子力機関IAEA)でイランの核問題を取材していた当時、「核の平和利用」すなわち原発ならOKで、「許せない」のは「核兵器開発」、という「線引き」で記事を書いていた。原発なら大丈夫なのか、怖いのは原子力そのものではないのか、といった問題意識は薄かった。

日本が原発を輸出しようとするアジアや中東で原発事故があれば、放射性物質は偏西風などに乗って飛来し日本も汚染される。パリの事件や、「イスラム国」によるとみられる日本人人質事件で脅威を見せつけたテロリストや過激派が原発を襲撃すれば、恐怖は世界中に広がる。安全保障を重視する政権ならまず、原発輸出をやめるべきだ。 (熊倉逸男)