執行の関死刑囚「おまえを許せないと言っているようで苦しい」面会で弁護士に心境 - SANSPO.COM(2017年12月19日)

http://www.sanspo.com/geino/news/20171219/tro17121917360005-n1.html
http://web.archive.org/web/20171219124005/http://www.sanspo.com/geino/news/20171219/tro17121917360005-n1.html

19歳だった1992年に千葉県市川市で一家4人を殺害し、19日に死刑が執行された関光彦死刑囚(44)は、面会した弁護士に「4人が、おまえを許せないと言っているようで苦しい」と話していた。
弁護人を務めていた一場順子弁護士によると、最近は2カ月に1回ほど面会し、最後に会ったのは10月末。新聞をよく読んでいたといい、小説の「ハリー・ポッター」や雑誌を差し入れていた。
面会時には気候や体調など、たわいもない話が多く、本人も落ち着いていた様子だったが、かつては「4人がいつも自分にくっついていて、おまえのことを許せないと言っているようで苦しい」と打ち明けたこともあった。
関死刑囚は再審請求中だったが、刑が執行された。一場弁護士は「再審の判断を待ってほしかった。寝耳に水で残念だ」と話した。

犯行時19歳の死刑執行 92年の市川一家4人殺害 - 東京新聞(2017年12月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000219.html
https://megalodon.jp/2017-1219-1850-40/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000219.html

法務省は十九日、一九九二年に千葉県で一家四人を殺害し、強盗殺人罪などに問われた関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=と、九四年に群馬県で三人を殺害し、殺人などの罪に問われた松井喜代司(きよし)死刑囚(69)=同=の刑を同日午前に執行したと発表した。上川陽子法相が命令した。関死刑囚は犯行当時十九歳の少年で、関係者によると元少年の死刑執行は、九七年の永山則夫元死刑囚=当時(48)=以来。二人とも再審請求中だった。
今年七月には、スナックの女性経営者四人を殺害した警察庁指定119号事件の西川正勝元死刑囚ら二人が執行されている。第二次安倍政権以降では、計二十一人の死刑執行となった。刑事施設に収容されている確定死刑囚は百二十二人になった。
上川氏は十九日に記者会見し「いずれも極めて残忍で、被害者や遺族にとって無念この上ない事件だ。裁判所で十分な審理を経て死刑が確定した。慎重な検討を加え、執行を命令した」と述べた。
確定判決によると関死刑囚は九二年三月、千葉県市川市の会社役員=当時(42)=宅に押し入り、役員の母=同(83)=を絞殺。その後、帰宅した妻=同(36)=と役員本人、次女=同(4つ)=を次々と刺殺。当時十五歳の長女にもけがをさせて約三十四万円を奪うなどした。
一審千葉地裁は九四年八月、永山元死刑囚の事件で最高裁が示した死刑の適用基準に沿って検討した上で、求刑通り死刑を言い渡し、二審東京高裁も支持。最高裁は「少年だったことなどの事情を考慮しても死刑はやむを得ない」として上告を棄却し、二〇〇一年十二月に死刑が確定した。
松井死刑囚は九四年二月、群馬県安中市で交際相手の女性=当時(42)=の顔などをハンマーで殴り殺害。さらに女性の実家に押し掛けて、父親=同(69)=と母親=同(65)=も次々に殴り殺した上、妹らも殺そうとした。
日弁連は昨年十月七日、福井市で人権擁護大会を開き、二〇年までの死刑制度廃止と、終身刑の導入を国に求める宣言を採択。組織として初めて廃止目標を打ち出した。

<お断り> 千葉県市川市の一家四人殺害事件で強盗殺人などの罪に問われ、十九日に死刑が執行された関光彦死刑囚について、本紙はこれまで少年法の理念を尊重し死刑が確定した際も匿名で報じてきました。しかし、刑の執行により更生の可能性がなくなったことに加え、国家が人の命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきだと考え、実名に切り替えます。

「僕の経験 反面教師に」 当時19歳死刑囚 16年前、本紙に手記 - 東京新聞(2017年12月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000221.html
https://megalodon.jp/2017-1219-1849-41/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121902000221.html

死刑が執行された二人のうち、関光彦(てるひこ)死刑囚(44)は犯行当時十九歳一カ月だった。「僕の経験を反面教師として役立ててもらえば」。二〇〇一年十二月に最高裁への上告が棄却され死刑が確定する前、本紙記者に赤裸々な思いをつづった手記を寄せていた。元少年に対する死刑の執行を巡っては、識者の間でも是非が分かれている。
元少年の死刑執行についてどう考えるか」「少年法への見解を」
死刑執行を受け、十九日午前十一時から法務省で会見した上川陽子法相に、元少年に関する質問が集中した。上川法相は「個々の死刑執行の判断に関わることなので、個人的な発言は控えたい」と述べるにとどめ、十八歳未満の死刑執行を禁じる少年法についても「年齢によって枠組みが違うのは事実だが、改正を検討しているところなので、回答は差し控えたい」とした。
元少年への死刑執行は、連続ピストル射殺事件で一九九七年に執行された永山則夫元死刑囚=当時(48)=以来、二十年ぶりで二人目となった。犯行当時少年だった死刑囚で刑が執行されていないのは愛知、岐阜、大阪で連続リンチ殺人を起こした三人や、山口県光市で母子を殺害した元少年らがいる。
少年による重大犯罪が後を絶たない中、法務省内では少年法改正の議論が進む。今回執行された関死刑囚も、一家四人を殺害するという残忍な犯行だった。ただ、十六年前に本紙に寄せた手記には、罪に向き合って真摯(しんし)に反省しようとしている姿が垣間見えた。
「とっとと死んで消えてなくなりたい」「遺族の方々も望んでいるのだから、報復感情を満たしてもらえばいい」としながら、「生きていなければ感じられない苦しみを最後の瞬間まで味わい続けようと決意しました」とつづった。
手記はこんな言葉で締めくくられていた。「当時の僕と同じように悩み、混乱し、自分を見失った少年たちが、二度と僕のような罪を犯さないために、僕の経験を反面教師として役立ててもらえば、この世に生まれてきたことに少しでも意味があったと言えるかもしれません」 (木原育子、清水祐樹)

死刑囚2人の死刑を執行 1人は犯行当時19歳 - NHK(2017年12月19日)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html
http://archive.is/2017.12.19-024824/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html

平成4年に千葉県市川市で会社役員の一家4人を殺害した罪に問われ死刑が確定した関光彦死刑囚ら2人の死刑が19日午前、執行されました。関死刑囚は犯行当時19歳の少年で、犯行当時少年の死刑囚に死刑が執行されたのは永山則夫元死刑囚以来です。
死刑が執行されたのは関光彦死刑囚(44)と松井喜代司死刑囚(69)の2人です。
関死刑囚は平成4年3月、千葉県市川市で会社役員の一家4人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われ、平成13年に死刑が確定していました。
関死刑囚は犯行当時19歳の少年で、犯行当時少年の死刑囚に死刑が執行されたのは永山則夫元死刑囚以来です。
松井死刑囚は平成6年2月、群馬県安中市で、交際していた女性とその両親の合わせて3人を殺害したとして殺人などの罪に問われ、平成11年に死刑が確定していました。
2人はいずれも再審=裁判のやり直しを請求していました。
第2次安倍内閣発足以降で死刑が執行されたのはことし7月以来12回目で、合わせて21人になりました。
犯行時に少年 死刑の妥当性争われる
死刑が執行された関光彦死刑囚(44)は平成4年、当時19歳のときに千葉県市川市のマンションで会社役員の男性(当時42)の一家を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われました。
男性とその妻、母親、それに4歳の次女の4人が殺害された重大な事件でしたが、犯行当時、少年だったことから裁判では死刑を科すことが妥当かどうかなどが争われました。
1審と2審が「極めて残虐な犯行だ」として死刑を言い渡したのに対して、弁護側は「被告は親からの虐待などの影響で十分な判断ができなかった」などとして上告しました。
平成13年、最高裁判所は「暴力団関係者から要求された金の工面のため家に押し入り、4人を次々に殺害した残虐な事件で、少年だったことを考慮しても極刑はやむをえない」として上告を退け、死刑が確定しました。
NHKは少年事件について、立ち直りを重視する少年法の趣旨に沿って原則匿名で報道しています。この事件が一家4人の命を奪った凶悪で重大な犯罪で社会の関心が高いことや、死刑が執行され社会復帰して更生する可能性がなくなったことから、実名で報道しました。
松井死刑囚 交際相手と家族を次々殺害
松井喜代司死刑囚は、平成6年に、群馬県安中市で交際していた当時42歳の女性とその両親の合わせて3人を殺害し、女性の妹などにけがをさせたとして殺人などの罪に問われました。
1審の前橋地方裁判所高崎支部と2審の東京高等裁判所はいずれも死刑を言い渡し、松井死刑囚は「事件当時は正常な判断ができない精神状態だった」などとして上告しました。
平成11年、最高裁判所は「交際相手にだまされていたと思い込み殺害したうえ、相手の家族を次々に殺した責任は重大で、死刑はやむをえない」として上告を退け、死刑が確定していました。
再審請求中でも執行 法務省の姿勢明確に
再審請求中の死刑囚への執行はこれまで避けられる傾向がありましたが、前回に続いての異例の執行となりました。
法律では判決の確定から、原則6か月以内に死刑を執行するよう定めていますが、法務省によりますと、平成19年から去年までの10年間で、刑の確定から執行までの期間は平均でおよそ5年となっています。
刑の確定から数十年たっても執行されていない死刑囚がいる一方で、確定から1年たたないうちに執行されたケースもあります。
法務省は執行の順番や時期をどのように決めているのか具体的な判断基準を明らかにしていませんが、再審=裁判のやり直しを求めているケースは執行されにくい傾向があります。
これは死刑が執行された後に再審が認められるという事態を避けるために慎重に判断しているものと見られますが「再審が執行を逃れる手段になっている」という見方もあります。
今回は、前回7月の執行に続いて再審請求中の死刑囚が対象となり、請求の有無にかかわらず執行するという法務省の姿勢が明確になってきています。
法相「慎重に検討した」
上川法務大臣法務省で臨時に記者会見し「いずれの事件も誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪うなどした極めて残忍な事案で、裁判所で十分な審理を経たうえで最終的に死刑が確定したものだ。このような事実を踏まえ、鏡を磨いて磨いていく、そういう心構えで慎重にも慎重な検討を加えたうえで執行を命令した」と述べました。
そのうえで、犯行当時少年の死刑囚に死刑が執行されたことについて「先ほど申し上げたとおりの考えにのっとって今回の判断をした。犯行時少年だったことについては、個々の死刑執行の判断に関わる事項なので答えは差し控えたい」と述べました。
また記者団から死刑執行と再審の請求について問われたのに対し「再審請求を行っているから死刑執行はしないという考え方はとっていない」と述べました。
犯行当時少年でも厳罰化の流れ
少年が起こした重大な事件では、立ち直りを重視する少年法の趣旨に照らして死刑を科すべきかどうかが争われてきました。
少年法には被告が犯行当時少年だった場合は成人より刑を軽くする規定があり、18歳未満には死刑が適用されません。
最高裁判所は、犯行当時少年だった永山則夫元死刑囚が拳銃を使って市民4人を殺害した事件で、犯行の悪質さや、被害者の数、被告の年齢など、死刑を適用する際に考慮すべき事情を挙げました。
その後、永山死刑囚は死刑が確定し、平成9年に執行されました。
犯行当時少年の死刑囚に刑が執行されたのは、この時以来です。
平成に入ってからは市川市の事件のほか、大阪、愛知、岐阜で元少年3人が若い男性4人に暴行を加えて殺害した事件や、山口県光市で18歳になったばかりの元少年が主婦と幼い娘を殺害した事件、宮城県石巻市元少年が交際相手だった女性の姉など2人を殺害した事件で死刑が言い渡され、確定しています。
このうち山口県光市の事件では平成18年に最高裁判所が「少年というだけでは死刑を避ける決定的な理由にならない」という判断を示し、厳罰化の流れが決定づけられました。

法務省 元少年ら2人の死刑執行 永山則夫元死刑囚以来 - 毎日新聞(2017年12月19日)

https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c
http://archive.is/2017.12.19-041150/https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c

上川陽子法相は19日、千葉県市川市で1992年に会社役員一家4人を殺害したなどとして、強盗殺人罪などで死刑が確定した事件当時19歳の関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=の死刑を執行したと発表した。事件当時少年だった死刑囚の執行は、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(事件当時19歳、執行時48歳)が97年8月に執行されて以来となる。また、群馬県で94年にあった親子3人殺害事件で殺人罪などで死刑が確定した松井喜代司死刑囚(69)=同=の死刑も同日執行された。
関係者によると関死刑囚側と松井死刑囚側は再審請求中だったという。従来、再審請求中の執行は回避される傾向にあったが、前回の金田勝年法相による7月の命令に続く執行となった。
確定判決によると、関死刑囚は92年3月5日、暴力団関係者から要求された金を工面するため、市川市内の会社役員(当時42歳)のマンションに押し入り、役員の母(同83歳)を絞殺。その後帰宅した妻(同36歳)と役員を包丁で刺殺して現金や預金通帳を奪い、翌日には泣き出した次女(同4歳)も殺害するなどした。
上告審で弁護側は「少年の矯正を目的とする少年法の精神を考えると、量刑は重い」と主張したが、最高裁は2001年12月、「4人の生命を奪った結果が極めて重大で、犯行も冷酷、残虐。家族を一挙に失った被害者(当時15歳の長女)の感情も非常に厳しく、死刑はやむを得ない」として1、2審の死刑判決を支持し、上告を棄却した。
松井死刑囚は94年2月、結婚を約束し、借金などを肩代わりしていた群馬県安中市の女性(当時42歳)に結婚の意思がないことが分かり、女性をハンマーで殴り殺し、女性の両親も結婚に反対したと思い込んで殺害。さらに女性の妹やその長女も殺そうとした。【鈴木一生】

おことわり
毎日新聞はこれまで、事件当時少年だった関死刑囚について、再審や恩赦による社会復帰の可能性などが残されていたことから、健全育成を目的とする少年法の理念を尊重し匿名で報道してきました。しかし、死刑執行により更生の機会が失われたことに加え、国家による処罰で命を奪われた対象が誰であるかは明らかにすべきであると判断し、実名報道に切り替えます。

父親殺害 元少年に懲役11年 「面前DV」影響認定せず - 毎日新聞(2017年12月13日)

https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/040/078000c
http://archive.is/2017.12.14-034601/https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/040/078000c

仙台市で2015年12月、父親を刺殺したとして殺人罪に問われた当時19歳の元少年(21)の裁判員裁判で、仙台地裁(加藤亮裁判長)は13日、懲役11年(求刑・懲役14年)を言い渡した。
弁護側は、元少年が幼少期から激しい夫婦げんかを日常的に目撃する心理的虐待「面前ドメスティックバイオレンス(DV)」で健全な人格が育たなかったと主張し、一部執行猶予付き判決を求めていた。加藤裁判長は「被告の人格や動機の形成に相応の影響を及ぼした点は一定程度酌むことができる」とする一方、「犯行を正当化するほどの落ち度が被害者にあったとは評価できない」と述べ、弁護側の主張を退けた。
判決によると、元少年は15年12月1日夜、自宅で同居の父親(当時49歳)と口論になり、胸や背中をナイフ(刃渡り約10センチ)で多数回刺し、失血死させた。
公判で検察側は「犯行は悪質で残忍。両親がけんかばかりする中で育った成育歴はある程度考慮すべきだが、大きく酌むべきではない」と主張。弁護側は「被害者の一連の言動などから精神的に追い詰められ、行動を制御できなかった。治療すれば社会復帰できる可能性がある」と減軽を求めていた。
加藤裁判長は判決理由で「被害者を強い力で約60回刺しており、危険性が高くむごい。被害者の事件直前の言動が著しく不適切とも言えない」と指摘した。【鈴木一也、坂根真理】


面前DVの影響理解まだまだ
武蔵野大名誉教授で臨床心理士春原由紀さん(児童臨床学)の話
家庭内暴力を見て育つと自己肯定感が低くなり、暴力の応酬という形でしか問題解決の方法が学習できなくなる。裁判所は、面前DVの被害の大きさをもっと理解してほしい。元少年は犯した事件の責任はとらなくてはならないが、長期の暴力目撃被害が、加害につながった面があることを社会全体が今一度考えていく必要がある。

言わねばならないこと(104)幸福願い 戦争を描く 末期がんを公表した映画作家・大林宣彦さん - 東京新聞(2017年12月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2017121902000176.html
https://megalodon.jp/2017-1219-0932-06/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2017121902000176.html

日本人はどこか付和雷同で、国家権力の奴隷になってしまう。僕ら昭和十〜十五年生まれの「敗戦少年」世代は、大戦中に子どもだったからこそ、上の世代が実は戦争に反対していたこともよく知っている。でも、みんな戦争を受け入れざるを得なかった。
俳人・渡辺白泉(はくせん)の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という句を、僕なんかは実感した。代々医者で、百人近くが出入りする家で、人けのない廊下を見ると、満州で死んだ隣のおじちゃんらが立っている。戦争の気配とともに暮らしていた。
近ごろ、その気配がよみがえって、ふと見ると、戦争が立っている。死んだおやじだったり、檀一雄さんだったり。それが見える時代になったからこそ、映画「花筐(はながたみ)/HANAGATAMI」(公開中)をつくらなくてはいかんと思った。
約四十年前、肺がん末期だった(原作の)檀さんに映画化の了承を取り付け、脚本を書いたが、誰にも相手にされなかった。日本人には経済の発展しか頭になくて、戦争のことなんかみんな忘れたふりをしていた。
一年四カ月前、映画の全スタッフ会議の二時間前に「肺がん第四ステージ、余命半年」と言われ、無性にうれしかった。これで檀さんの痛みとつながった、おやじたちが語ろうとしなかった「断念と覚悟」を描く資格をもらったってね。
映画を見た人から「戦争の薄気味悪さが、ずしんとくる」と感想を聞く。時代がそういう映画を産んでしまったと感じる。
今の政治家や経済界のリーダーは戦争の実態を知らない。ひどい目にあった僕らの世代は、そこにおびえている。日本人は過去から学ぼうとしない。嫌なことはすぐ忘れ、目の前の楽なことだけを追いかける。
十八歳で選挙に行けるようになり、駅前でビラを配る中高生たちによく会う。「私たちは戦前派です。これから来る戦争に対し、自分で自分を守る。大人は信用できない」と。
僕らがいなくなったら戦争が伝わらないと思っていたが、戦後と戦前がつながれば、過去の戦争が今につながる。今の中高生がそういう皮膚感覚を持ち始めている。
過去から学ぶことで世の中は良くなる。そのために映画は過去のアンハッピー(不幸)を描いてハッピー(幸福)を願う。僕らの意図をくんでくれる中高生が出てきている。やはり、映画をつくることで戦争がない時代は必ず来る。

<おおばやし・のぶひこ> 1938年、広島県尾道市生まれ。自主製作映画の先駆者で映画作家やCMディレクターとして活躍。映画「転校生」「時をかける少女」などで知られる。昨年8月、末期の肺がんが見つかり「余命半年」と診断されたが、その後の抗がん剤治療で現在は「余命未定」。最新作「花筐/HANAGATAMI」は檀一雄の同名小説が原作で、太平洋戦争勃発前夜を生きる若者たちの青春群像劇。全国で順次公開中。

(米軍ヘリ飛行再開へ)負担の強要 もはや限界 - 沖縄タイムズ(2017年12月19日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/185362
https://megalodon.jp/2017-1219-0933-06/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/185362

事故が起きてからまだ1週間もたっていない。原因究明はおざなりで、再発防止策も実効性の疑わしい内容だ。
それなのに米軍は、事故を起こしたCH53E大型ヘリの飛行を再開し、日本政府もこれを認める考えだという。
13日午前、米軍普天間飛行場所属のCH53Eの窓が、普天間第二小学校の校庭に落下した。
小2と小4の児童約60人が、体育の授業を受けていたまさにその場に、重さ約7・7キロ、約90センチ四方の脱出用の窓が、金属製の枠もろとも、きりもみ状態で落下したのである。保護者や住民が受けた衝撃は計り知れない。
米軍は、手順を守らなかった搭乗員の人為的なミスで機体に問題はなかった、との調査結果を県に伝えた。事故後見合わせていた同型機の飛行を再開する方針だ。
防衛省によると、搭乗員は飛行前点検の際、窓のレバーが安全ワイヤによって固定されていないことを見落とした。「(窓のレバーが)誤って、または不注意によって緊急脱出の位置に動かされたことによって、窓が航空機から離脱した」のだという。
なぜ、これほど単純な操作ミスが発生するのか、そこがまったく明らかにされていない。米軍機の事故がこれでもかこれでもかと立て続けに起きているのはなぜなのか。
機体に問題がないからといって、飛行を再開してもいいということにはならない。
一方的な再開方針の伝達は県民感情を無視した基地負担の押し付けである。

■    ■

再発防止策として普天間第二小を含むすべての学校の上空飛行を「最大限可能な限り避ける」としている。
そういう方針は、建前上は、これまでも堅持していたのではないのか。それともこれまでは「できる限り学校、病院を含む人口密集地帯上空を避ける」と言いながら、「できる限り」を都合よく解釈して運用してきたというのか。
騒音規制措置に盛り込まれた「できる限り」という表現を、再発防止策と称して「最大限可能な限り」という表現に変えたことに、逆に不信感を抱かざるを得ない。
米軍は、米連邦航空法に基づく飛行場の安全対策として、滑走路両端の延長上にクリアゾーン(事故可能性区域)を設け、土地利用を大幅に制限している。
ところが、普天間飛行場では、クリアゾーンに普天間第二小をはじめ学校や保育園、病院、公民館などの公共施設が存在する。それが問題だ。

■    ■

普天間飛行場は、住民の安全への考慮を欠いた欠陥飛行場である。普天間飛行場辺野古移設は「高機能の新基地を確保するために危険性除去を遅らせる」もので、負担軽減とは言えない。
一日も早い危険性の除去を実現するためには、安倍晋三首相が仲井真弘多前知事に約束した「5年以内の運用停止」を図る以外にない。期限は2019年2月。
そこに向かって、不退転の決意で大きなうねりをつくり出し、目に見える形で県民の強い意思を示す必要がある。命と尊厳を守るために。

(大弦小弦)この国は住民の命より… - 沖縄タイムズ(2017年12月19日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/185363
https://megalodon.jp/2017-1219-0934-33/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/185363

この国は住民の命より、安保を優先させる政治を恥としない。普天間飛行場所属ヘリが普天間第二小の校庭に窓を落下させた事故で政府は18日、米側の説明だけを聞き入れ、飛行再開を容認した

▼「学校上空の飛行を最大限可能な限り避ける」は、これまで破られ続けた口約束。児童や家族、住民が訴えた「飛ばさせないで」の声は黙殺された

▼政府の姿勢に呼応するかのように、学校に嫌がらせの電話やネットに書き立てる者がいる。「基地のそばに学校を造る方が悪い」「やらせだろ」。緑ヶ丘保育園に対する「自作自演」の中傷もやまない。楽しんでいる気配すらうかがえる

▼いずれも普天間飛行場沖縄戦中、国際法に違反して民間地を奪って造ったという史実が抜け落ちている。収容所から戻った人々は周辺の狭い土地で暮らさざるを得ず、行政もいびつな街づくりを強いられた

▼問題のゆえんを知ろうともせず、手前勝手な意見をまき散らす。本土の基地撤去運動で沖縄基地が強化された歴史は棚に上げ、普天間を引き取る気のない本土側から「抑止力」を振りかざす。無知で恥ずべき行為

▼学校や園への嫌がらせをすぐにやめるべきだ。もし落下現場に自分や家族がいたらと、少しは想像してみてはどうか。傷ついた人たちを二重、三重に痛めつけて「楽しむ」権利など、誰にもない。(磯野直)

CH53E飛行再開へ 米本国では許されない - 琉球新報(2017年12月19日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-633426.html
http://archive.is/2017.12.19-003323/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-633426.html

米軍の不誠実な対応と日本政府の米国追従ぶりは、目に余る。
普天間第二小米軍ヘリ窓落下事故を受け、飛行を控えていた米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプターの飛行を再開する方針を米軍が県などに伝えた。事故原因について米側は「人的要因」と説明した。だとすれば訓練が必要だろうし短期間の飛行再開は納得できない。
海兵隊普天間第二小学校の喜屋武悦子校長に安全点検と搭乗員に対する教育を徹底できたとの認識を表明。最大限、学校上空を飛ばないようにすると米軍内で確認したことを伝えた。これに対し「最大限の確認では納得できない」と喜屋武校長が述べたのは当然だ。飛行禁止にすべきだ。
結局、防衛省は飛行再開のために必要な措置が取られたとして、飛行再開の容認を決めた。県民にきちんと説明しないまま、米軍の言いなりである。これでは米軍の代行機関ではないか。
この1年間、米軍機の事故が頻発している。その都度日本政府は、米軍の飛行再開を容認してきた。翁長雄志知事が指摘するように「当事者能力がない」。
CH53Eは2004年に宜野湾市沖縄国際大学に墜落したCH53Dの後継機。30年以上運用し、アフガニスタン紛争にも投入された。老朽化が進み部品が枯渇して、海兵隊航空機の中でも最も深刻な整備と即応性の課題が指摘されている。飛行可能は37%という米国報道もある。だから今回の事故が「人的要因」というのは説得力がない。
順次退役が決まっているが、積載量の増加やコックピットの近代化などを打ち出した新型機CH53Kは開発が遅れ、今年4月に生産体制が整ったばかりだ。
今年10月11日に東村高江で不時着炎上したCH53は、1週間後の18日に通常飛行を再開した。発表文で米軍は「整備記録」を確認した結果、飛行再開を決めたとしたが、原因究明や再発防止策の説明は一切なかった。
この時、ローレンス・ニコルソン在沖米四軍調整官は「われわれは日本における米海兵隊航空機の飛行の安全性を約束している。安全ではないと思える運用は決して許さない。CH53Eヘリは沖縄や日本本土で長年、日米同盟に奉仕してきた信頼できる航空機だ」と述べた。
にもかかわらず今回、落下事故が発生した。米本国では短期間の飛行再開は許されないだろう。
昨年12月の北部訓練場過半の返還を記念した式典で、菅義偉官房長官は「今回の返還は日本復帰後最大の返還であり、沖縄の米軍施設の約2割が返還され、沖縄の負担軽減に大きく寄与する」と強調した。だが沖縄で起きているのは「負担強化」でしかない。
現状を改善できないなら、日本政府は米国の「共犯」と言われても仕方ない。

(金口木舌)同じ空ではないのか - 琉球新報(2017年12月19日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-633427.html
http://archive.is/2017.12.19-003029/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-633427.html

童謡「はしれ ちょうとっきゅう」は滑るように線路を進む新幹線を「ビュワーン ビュワーン」と表現する。「250キロ」と歌われた営業速度が、今では320キロに達する区間もある

東海道・山陽新幹線で車両の台車に亀裂や油漏れが見つかった。国の運輸安全委員会は事故につながりかねない重大インシデントと認定した。新幹線では初めての認定で衝撃が走った
▼旅客機や列車の事故について原因究明と再発防止に向けた調査をするのが運輸安全委だ。徹底した調査と勧告で「人々の生命と暮らしを守る」ことを使命に掲げる。今回の調査結果も注目される
▼事故に教訓を見いだし、再発を防ぐ、との強い思いは行政だけではなく、鉄路や空路、陸路に関係する全ての人たちが持つ思いである。安全性の厳しい追求が新幹線に代表されるように世界に誇る信頼につながっていた
▼速さだけでなく、その信頼があればこそ、新幹線は親しみを込めて子どもたちに歌い継がれてきた。この空の下で暮らす子どもたちは同じように乗り物に親しむことができるのだろうか
▼米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小の子どもたちは相当なショックを受けている。オスプレイなどの飛行は続き、信じられないことに事故機の飛行を早々に再開するという。子どもたちが再び怖い思いをすると考えると心がふさぐ。同じ日本の空なのに…。