ブラジル当局「買収」と結論 東京五輪招致は“真っ黒”だ - 日刊ゲンダイDIGITAL(2017年9月17日)

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213735

やっぱり真っ黒だった――。2016年のリオ五輪と20年の東京五輪招致を巡る買収疑惑。当時、国際オリンピック委員会(IOC)委員で国際陸連会長だったラミン・ディアク氏(セネガル)を父に持つパパマッサタ・ディアク氏に対し、ブラジル司法当局は買収目的で多額の金銭が渡った可能性がある――と結論づけた。英紙ガーディアンが報じた。
東京が招致に成功した2カ月後の13年11月、東京五輪招致委が2.3億円でコンサルタント契約を結んでいたシンガポールの顧問会社から、パパマッサタ氏がパリで高額の時計や宝石を購入した店側に8万5000ユーロ(約1100万円)が振り込まれた。当局は口座記録も確認しているという。招致委が顧問会社を通じてショッピングの肩代わりをしていたわけで、もはや買収は明らかだ。
この買収疑惑は、日本では“決着済み”とされていた。日本オリンピック委員会(JOC)が設置した調査チーム(座長・早川吉尚立教大教授)は昨年9月、ディアク親子や顧問会社への聴取を一切せずに、「違法性はない」と結論付けていた。今回の報道が事実なら、やっぱり調査がデタラメだったことになる。

■知らぬ存ぜぬを決め込むJOC
JOCは「報道は承知していますが、現段階で昨年の調査チームの報告からスタンスは変わっていません」(広報企画室)と回答した。東京都は小池知事が立ち上げた五輪・パラリンピック調査チーム(昨年12月解散)について「買収疑惑は一切調査していません」(都政改革本部事務局)と言い、五輪組織委は「招致の過程には関わっていないため、コメントする立場にはありません。私たちは、東京が最も優れたプレゼンテーションを行ったため開催都市として選ばれたと信じています」(戦略広報課)とコメント。要するに、日本の五輪関係者は、不正を見ようとせず、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるのだ。

元特捜検事の郷原信郎弁護士が言う。

「そもそも昨年の調査チームの結論は、当事者の話も聞いておらず、何の意味もないもので、論外です。当局の捜査を待っていましたが、今回ブラジルの司法当局が買収の可能性にまで踏み込んだと報じられたことは注目すべきです。ブラジル当局、連携して捜査していた仏当局の正式発表が待たれます。五輪開催一色になりつつありますが、捜査の結果いかんでは、東京五輪開催の是非を含めて、今からでも改めて問い直すべきでしょう」
まもなく臭いもののフタが開く。

ガーディアンの記事から「東京五輪買収疑惑に新たな局面」 - 内田樹の研究室(2017年9月15日)

http://blog.tatsuru.com/2017/09/15_1100.php

9月13日付のイギリスの「ザ・ガーディアン」がリオと東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開があったことを報じた。
以下が記事。

リマでの総会で2024年パリ、28年ロサンゼルスでの五輪開催を決定したニュースに世界の耳目が集まることを期待していたその日に、2016年リオ、2020年東京五輪の招致チームによる買収容疑についての新たな疑惑をIOCは突き付けられた。
二つの開催地が決定した直後に汚職スキャンダルの渦中の人物が高額の時計や宝石を購入していたという調査結果が出て、この二都市の決定についてさらなる調査が開始されることになった。この事実がIOC総会での2024年、2028年の開催地決定セレモニーに暗い影を落としている。
『ガーディアン』紙は資料を精査して、信用を失墜した前IOC委員ラミーヌ・ディアクの息子パパ・マッサタ・ディアクがリオと東京の招致キャンペーンの前後にフランスの宝石店で高額の買い物をしていた証拠を得た。
ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが「IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって」2016年リオ、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。
昨年、『ガーディアン』紙は、2020年の五輪開催都市レースのさなかに、東京五輪招致チームからマッサタ・ディアクと繋がりのあるブラック・タイディングスと称する口座へ七桁の送金があったことを暴露した。これらの支払は二回に分けて行われた。取引額は約170万ユーロで、2013年の9月7日、ブエノス・アイレスで開かれたIOCによる開催都市選定の前と後になされていた。
フランス当局の捜査にもとづいて、検察局は2013年9月8日に、ブラック・タイディングスはシンガポールスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロをパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。
ブラジル検察局によると、2009年から10年にかけてマッサタ・ディアクは一回6万5000ユーロから30万ユーロの支払いを、彼がコントロールしていると見られる七つの口座から、フランスとカタールの店舗およびモナコとニューヨークのオフショア・カンパニーに対して行っている。
2009年10月2日、コペンハーゲンでのIOC委員会で五輪開催がリオに決定したその日には、ディアク家と繋がりのあるパモジ・コンサルタンシイ社から7万8000ドルの支払いがパリの宝石店に対して行われている。
ブラック・タイディングスについての調査は日本の国会の審問に付託されたが、同国の総理大臣は招致のための票買収について調査を進めているフランスの検察当局と協力することを約束した。しかし、ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。
ディアクはこの疑惑に対しては回答していない。これまでのところすべての悪事を否定しており、彼に対する今回の主張は「世界スポーツ史上最大の嘘だ」と語っている。

記事はここまで。
東京の五輪招致については、シンガポールのブラック・タイディングスという怪しげなペーパーカンパニー(テレビが取材に行ったが、ボロい団地の一室であり、看板もなく、無人だった)にコンサルタント料が振り込まれたことが国会で問題になった。
この送金の事実を明らかにしたのは、国際陸連汚職資金洗浄を調査していたフランスの検察局である。
国会でも問題にされたが、当時の馳浩文部科学相は「招致委員会は電通からブラック・タイディングス社が実績があるからと勧められ、招致員会が契約することを決定した」と語っている。
ブラックタイディングス社の「実績」というのはペーパーカンパニーを経由しての資金洗浄と買収のことである。
支払いは2013年7月と10月の二度にわたって行われたが、これは開催地決定の前後に当たる。誰が見ても「手付金」と「成功報酬」としてしか解釈できない。
国会での答弁では、二度にわけた理由を問われて「金がなくて一度に全額払うことができなかった」とされているが、実際には招致委員会は資金潤沢であり、この説明にはまったく説得力がなかったが、日本のメディアは深追いせず、これを放置した。
文科省、招致委員会、電通・・・五輪招致をめぐって、これから忌まわしい事実が次々と暴露されるだろうけれど、それらを解明するのが「海外の司法機関」であり、それを伝えるのが「海外のメディア」であるということに私は日本の社会制度がほんとうに土台から腐ってきていることを実感するのである。

関連記事)
東京オリンピック招致「買収する意図あった」 ブラジル検察が結論と報道 関係者に約1100万円が送金か - huffingtonpost(2017年9月15日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20170915#p8
東京、リオ五輪で買収と結論 英紙報道、招致不正疑惑 - 共同通信 47NEWS(2017年9月14日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20170915#p7

沖縄戦跡で「肝試し」 ガマ遺品損壊容疑 逮捕の少年供述 - 東京新聞(2017年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091602000242.html
https://megalodon.jp/2017-0917-1034-01/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091602000242.html

太平洋戦争末期の沖縄戦で住民が集団自決に追い込まれた沖縄県読谷村(よみたんそん)の自然壕(ごう)「チビチリガマ」が荒らされた事件で、器物損壊容疑で逮捕された県内の十六〜十九歳の少年四人が現場に行った理由について「肝試しだった」「心霊スポットに行こうと思った」と供述していることが十六日、分かった。県警は破壊した動機も捜査している。
少年四人は、供えられた千羽鶴や平和を願う歌が書かれた看板などを壊した疑いで十五日逮捕された。県警によると、十日午前にバイクで訪れ「棒で壊した」と話しているという。
チビチリガマではこの他、遺品の瓶やつぼが割られているのも見つかっており、県警は少年の関与の有無を調べている。現場には他に数人の少年がおり、制止した人もいたという。
遺族会のメンバーらは十六日朝から集まり清掃作業をした。集団自決で祖母ら五人を亡くした与那覇徳雄会長(63)は「逮捕には安心しているが、早く損壊行為の動機を明らかにしてほしい」と話した。十二日に被害が分かり、与那覇会長が署に通報。その後「チビチリガマを荒らした少年がいる」との情報提供があり、四人が浮上した。

チビチリガマ損壊:「肝試し」と容疑少年ら 警察、政治的動機「全くない」 - 沖縄タイムズ(2017年9月16日)


http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/143208
https://megalodon.jp/2017-0917-0559-45/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/143208

72年前の沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起き、85人が犠牲になった読谷村波平のチビチリガマが荒らされ、本島中部に住む少年4人が器物損壊容疑で逮捕された事件で、一部の少年がガマへ入った理由を「肝試し」とし、10日の夜明け後に現場を訪れたと供述していることが16日、分かった。政治的な動機の有無について嘉手納署は「現在のところ全くない」としている。「肝試し」が器物損壊の行為につながった経緯を慎重に調べている。
同署によると、逮捕された4人はバイクで現場を訪れ、棒などを使って損壊行為に及んだと供述。4人以外に少年数人が現場に居合わせ、犯行を制止したとの供述もある。
被害報道のあった13日以降に、「チビチリガマを荒らした少年がいる」との情報提供を端緒に少年を特定した。
少年らがチビチリガマの歴史的背景について認識があったかどうかは分かっていない。
同署によると、4人は友人関係で「やったことは間違いありません」と容疑を認めているという。
逮捕容疑は5日正午ごろから12日午前11時ごろまでの間、チビチリガマの看板2枚や額1枚、千羽鶴4束を損壊した疑い。
壕の中にある瓶や陶器などの損壊については遺族会が近く被害届を提出する予定。

「肝試しに行こうと思った」 チビチリガマ損壊容疑の少年 いたずら目的か - 琉球新報(2017年9月16日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576533.html
http://archive.is/2017.09.17-013518/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576533.html

沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平の自然壕で同村指定文化財チビチリガマが荒らされた事件で、嘉手納署は16日、器物損壊容疑で15日に逮捕された少年4人のうちの一部が「心霊スポットに行こう(と思った)」「肝試しに行こう(と思った)」などと話していることを明らかにした。
事件が発覚した後に、一般人から「少年がチビチリガマを荒らしたのが分かった」という連絡が他の署の警察官を介して嘉手納署にあった。少年らは10日の午前中、他の数人の少年とともにバイクでチビチリガマを訪れたと供述しているという。4人以外の少年は損壊行為に対して「やるな」と制止したという。
損壊行為には棒を使ったという供述もあり、嘉手納署が裏付け捜査を進めている。【琉球新報電子版】

「少年らの気持ち分からぬ」 チビチリガマ遺族、言葉詰まらせ - 琉球新報(2017年9月17日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576900.html
http://archive.is/2017.09.17-013640/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576900.html

沖縄戦の際に住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた沖縄県読谷村波平の自然壕チビチリガマを荒らしたとして沖縄県警嘉手納署が少年4人を逮捕した翌日の16日、遺族らは朝からガマ周辺を掃除し、立て看板や歌碑を元の状態に戻した。逮捕を受け、遺族からは「『肝試し』とはショックだ」「チビチリガマの悲劇を知っていたら、できるはずがない」と悲痛な声が漏れた。事件を知って、花を手向けに訪れる人の姿もあった。
「誰が指示したんだろう。どうして。遺品は壊さないでしょう」。遺族会の与那覇徳雄会長(63)は引きちぎられた千羽鶴を一束一束つり下げ直し、つぶやいた。「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいのか」と言葉を詰まらせた。
遺族と共に「世代を結ぶ平和の像」を制作した金城実さん(79)もこの日、ガマを訪れて崩された石垣を直した。「なぜここまで破壊したのか。遺族は重い苦しみを背負わされた」と怒りをにじませた。県警に「肝試しというのは詭弁(きべん)では。ほかに関係した人がいないのか、明らかにしてほしい」と望んだ。
朝刊を見て逮捕を知ったという地元の波平自治会の知花安友会長(59)は、少年たちの動機が肝試しだったことに「地域の子どもたちは親と来る。これまで肝試しが行われていると聞いたことがない」と語る。今後は「公民館で子どもたちを集めて、戦争体験を伝えていきたい」と話した。
石嶺伝実読谷村長は「怒りを通り越して悲しくなった。土足で足を踏み入れる場所ではない。沖縄戦の風化がそうさせているのか」と懸念。「歴史や意味を知らないで行為に及んだのだろう。教育の中で、小さい頃からチビチリガマのことを教えていきたい」と話した。

沖縄戦跡の認識が希薄に チビチリガマ荒らし 逮捕の少年ら「肝試し」の動画撮影 - 琉球新報(2017年9月17日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576898.html
http://archive.is/2017.09.17-013848/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-576898.html

沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた沖縄県読谷村の自然壕チビチリガマが荒らされ、沖縄本島中部に住む16歳から19歳の少年4人が逮捕された事件で、沖縄県警嘉手納署は16日、少年4人のうちの一部が「心霊スポットへ肝試しに行こうと思った」などと供述していることを明らかにした。捜査関係者によると、少年たちは肝試しの様子を動画で撮影していたという。専門家は事件の背景として、戦跡への認識が薄れていると指摘している。
捜査関係者によると、少年たちは被害届の出されていない瓶や遺品なども壊したと供述している。取り調べでは、損壊行為を反省する供述もしているという。少年らは居住地や年齢が違うため、関係性についても捜査している。動画のインターネットへの投稿は確認されていない。
嘉手納署によると、少年らは10日の午前中の明るい時間帯に、他の少年らと共に合計7、8人でチビチリガマを訪れたと供述している。4人以外の少年は、損壊行為に対して「やるな」と制止したため、器物損壊容疑には加わっていないとみられる。現場にはバイクで訪れていた。
事件発覚後、少年たちの関係者から「少年がガマを荒らしたのが分かった」と連絡があり、嘉手納署は15日に遺族会から被害届が提出された後、少年たちから任意で事情を聞いていた。
新城俊昭沖縄大学客員教授琉球・沖縄史教育)は、少年たちがチビチリガマを訪れた理由が肝試しだったことについて「戦跡の意義が少し薄れてきている。県内の学校では戦跡そのものに行くことが少なくなっている」と指摘し「戦争遺跡の意義を子どもたちに感じてもらえるように、伝えていくことが重要だ」と話した。

96歳先生「歴史伝えたい」 生徒もシルバー世代 - 東京新聞(2017年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091602000243.html
https://megalodon.jp/2017-0917-1041-24/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091602000243.html

十八日の敬老の日を前に、都心の雑居ビルの一室を訪ねると、「七十の手習い」で独学した韓国語を九十六歳の吉田博徳(ひろのり)さん=東京都小平市=が教えていた。生徒もシルバー世代。「六十すぎた人に覚えろというのが無理。繰り返しやって、慣れることです」。授業が始まるや、達観した決めぜりふが飛んだ。 (辻渕智之)
現在の生徒は女性三人で、七十代が二人に六十代が一人。「二回休んだら忘れちゃった」。そんな嘆き節を吉田さんが悠然とたしなめる。「覚えようとせずに」。そして前半の一時間、四つの短文の朗読がひたすら続く。「チョンチュヌル クガハゴ、サランウルコベカゴー」(青春を謳歌(おうか)し、愛を告白し、の意)
吉田さんは、市民団体の日朝協会都連合会の顧問。都連が始めた日本と朝鮮半島の歴史を学ぶ韓国ツアーに参加したのをきっかけに、七十一歳にしてラジオ講座で韓国語を学び始めた。旅行で使う程度の会話をマスター。約十年前から、都連が開くハングル講座で入門編の先生となった。
五歳のとき両親、弟二人と九州から朝鮮半島に移住し、二十歳までを過ごした。当時は日本の植民地下。「朝鮮語を町で見聞きしても、覚えずに生活できた」という。今のソウルにあった京城(けいじょう)師範学校を卒業し、近郊の小学校で教壇に一年ほど立ったが、朝鮮人児童に日本語で教えた。
「私にとっては朝鮮もふるさとで懐かしい。だから、不幸な歴史を繰り返さないようにしたい」。そんな思いが強く、誘われるままに一九六〇年代から日朝協会で活動してきた。元々は裁判所職員で、労働組合の役員も務めた。
「韓国語を習えば、同時に韓国を知る。朝鮮も知る。歴史を正しく知るのに役立つ」。それが教え甲斐(がい)。生徒からは「間違えても決して怒らない。やさしい」と慕われる。体はいたって健康だ。講座は千代田区にある都連の事務所で月二回あり、電車で通う。
 教室のテキストは三年かけて自作した。「NHKのラジオ講座のテキストも割合いいんだけど。でも、僕の作ったのほど理論的にまとまったものは他にないんだよね」。さらりと真顔で言った。

◆シルバー世代向け 学習のポイント

  1. 短時間でいいから毎日反復する。覚えようとせず、繰り返すことが大切
  2. 近所に在日コリアンがいれば知り合いになり、会話してみる
  3. 韓国旅行に出掛けて、会話してみる

72年目で初の被爆体験談 元広島カープ浩二さんの兄・山本宏さん:東京 - 東京新聞(2017年9月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201709/CK2017091702000116.html
https://megalodon.jp/2017-0917-1045-29/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201709/CK2017091702000116.html

広島で被爆した山本宏さん(79)=江戸川区=は今夏、弟のプロ野球広島カープ元監督の山本浩二さん(70)や子どもたちにも封印してきた七十二年前の体験を、初めて人前で語った。当時の被爆地の惨状や今なお苦しみ続ける人がいることを知ってほしい、との思いからだ。 (飯田克志)
「閃光(せんこう)が走った瞬間、真っ暗になった。松並木の大木の陰にいて助かったが、後頭部の皮がむけた。髪が生えるまで四年かかった」
一九四五年八月六日。国民学校二年の山本さんは登校途中に被爆した。自宅は爆心地から二・四キロ。戻った家で、母や祖父母は割れた窓ガラスの破片を浴びて血まみれになっていた。
裸同然の姿で逃げる人々も見た。「幽霊のように両手を前に出して、焼けただれた皮膚がぶら下がっていた」。数日後、学校の校庭では積み上げられた遺体が次々と焼かれていた。
家族の間で、原爆の話題は禁句となった。七〇年代に母が被爆者健康手帳を受け取った時は「こんなものいらない」と反発した。偏見への不安だけでなく「思い出したくなかった」。特に、戦後生まれで「ミスター赤ヘル」としてスター選手になった浩二さんには、余計な心配をかけまいと一切伝えてこなかった。
転機となったのは今年一月。同じ被爆者で、五歳年下の妻和子さんをがんで亡くした。原爆被害者の会の友人に勧められ、和子さんの被爆体験を書き始めると、惨禍の記憶に涙が出た。二年前、被爆した場所を訪ねようとしたが、景色が一変していて分からなかったのも心残りだった。
「真実を伝えたい」。七月に江戸川区で開かれた原爆犠牲者追悼式で、初めて体験を語った。原稿を読みながら悲しみや怒りで言葉が詰まった。「語るのはつらい。そればかりだった」。十七日にはタワーホール船堀(船堀四)である「戦争展in江戸川」で、漢詩人・土屋竹雨(ちくう)(一八八七〜一九五八年)の作品「原爆行」を吟じる。
被爆の影響で今も首筋が痛むことがあるという山本さん。「こんな人たちがいたということを忘れないでほしい」と願う。

週のはじめに考える 負の歴史に学んでこそ - 東京新聞(2017年9月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017091702000147.html
https://megalodon.jp/2017-0917-1051-46/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017091702000147.html

昭和の戦争の発端である満州事変は八十六年前の九月十八日に起こりました。日中の負の歴史に学んでこそ、確かな関係改善の道筋を見いだせるのです。
満州事変は関東軍による自作自演の謀略である鉄道爆破の柳条湖事件で始まりました。その六年後には北京郊外で旧日本軍に銃弾が撃ち込まれる盧溝橋事件が起こり、日中は泥沼の全面戦争に突入していきました。
政府や軍の一部には戦火不拡大論もありました。残念なことに、満州事変の成功に味をしめ、華北を「第二の満州国に」と企てる関東軍や軍強硬派は「中国一撃論」を唱え、不幸な日中戦争を回避する機会を逸しました。
アヘン戦争で敗れた中国は、国際社会から「東亜病夫」(東洋の病人)とまで見下されていただけに、日本側に「一撃で倒せる」という、おごった気持ちがあったのは間違いありません。

◆危険な排他的民族主義
この時代は、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)(粗暴な支那を懲らしめる)」と叫ぶ政府や軍の扇動により、日本社会では中国人を蔑(さげす)む風潮も生まれていました。
日本政府や軍の一部高官が隣国をおとしめるような世論形成をし、満州事変の謀略にまで手を染めて戦争に突入していった歴史を忘れてはなりません。
権力のおごりを戒めることは、安倍政権による民主主義の手続きを軽視する姿勢が目立つ今こそ、思い起こすべき歴史の教訓でもあります。
安倍政権は二〇一五年、集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法の成立を強行し、「専守防衛」の枠組みを崩しました。犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」も数の力で成立させました。当局が「内心の自由」にまで介入してくる点では戦前の悪法「治安維持法」を思い起こさせます。
政治の右傾化に伴い、日本社会に排他的な民族主義の傾向が強まり、「中国脅威論」すら高まっていることが気がかりです。
一方、中国の実情に目を移せば、胡錦濤政権の時代に打ち出された「平和台頭論」がすっかり影を潜めたことが心配です。
反腐敗闘争を通じて一強体制を固めた習近平国家主席は、対外的には「中華民族の偉大な復興の夢」を唱え、強烈な言論統制で国内の締めつけを図っています。
中国の小中学校で今秋、盧溝橋事件以来の八年間としていた「抗日戦争」の解釈を、満州事変からの十四年間に拡大した教科書の使用が始まりました。「抗日戦勝利の功績」を権力正統性の根拠とする中国共産党の抗日歴の長さをアピールする動きにも映ります。
南シナ海などで、ナショナリズムをたぎらせて覇権主義的な対外拡張を図ろうとするふるまいは、これもまた謙虚に歴史に学ぶ姿勢とはいえません。

◆不信起こさせぬ責任
今年は日中国交正常化四十五周年の節目の年です。北京で記念式典が開かれ、ようやく双方の政府関係者から「好転の兆しがある」と言われる段階に戻りました。
五年前の四十周年の際には、当時の民主党政権の「尖閣国有化」に中国が猛反発し、お祝いムードとはほど遠い険悪な状態でした。
しかし、日本側が侵略戦争の歴史にきちんと向き合わず、中国が過剰な愛国教育で反発を強める現状は大変危険です。双方の指導者が求心力を高めるためにナショナリズムをあおるのであれば、不幸な戦争が繰り返される恐れすら否定はできません。
七月に「日中戦争全史」(高文研)を刊行した都留文科大の笠原十九司(とくし)名誉教授は本紙の取材に「国民相互の不信は、ふとしたきっかけで敵対意識に転化し、互いに軍事行動を支援するようになりかねない」と警鐘を鳴らしました。
戦争にすら至りかねない平時の国民相互の蔑み、事実誤認…。不信を起こさせぬようにする最大の責任は、政治にあります。

◆心強い前向きな若者
だが、近年は政治のパイプが機能不全に陥りがちであるだけに、補完機能として民間交流の拡大に強く期待します。言論NPOの一六年秋の世論調査でも、日中国民の六割以上が民間レベルの交流を「重要」だと答えています。
名古屋外国語大で六月に開かれた「日中大学生討論会」で、同大の山本裕佳さんは「過去に起きたことを若い世代も十分に勉強して知ることが大切です」と述べ、『日中共同の歴史教科書』を作る取り組みを提案しました。天津外国語大の王儷舒(れいじょ)さんは「若者交流で大切なのは、お互いの良さを発見することです」と強調しました。
討論会では、四十五周年を「日中の新たな夜明けに」との呼びかけもありました。負の歴史に学んだうえで、前に進もうとする日中の若者に心強さを覚えます。

 残食率深刻 町の給食に不信感 - 神奈川新聞(2017年9月17日)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170917-00020624-kana-l14
http://archive.is/2017.09.17-015632/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170917-00020624-kana-l14


2校ある大磯町立中学校で給食の食べ残しが問題になっている。町議会の9月定例会でも取り上げられ、重量で換算して残った割合を示す「残食率」は26%と全国の小中学校の平均よりも3倍以上高い実態が明らかになった。毛髪や虫、金属片などの異物混入が約100件あったことも判明。食べ残しの多さについて町は、給食への不信感が一因とみている。
中学校での給食導入は中崎久雄町長の公約の一つで、2016年1月にスタート。町の栄養士が考案したメニューを県内の業者に委託し、大磯、国府両中学校に配送されるデリバリー方式を採用している。2校の計760人が対象で、保護者が毎月4900円の給食費を納め、町側も委託料として年間約3300万円を支払っている。
2校の給食容器を回収する業者の調査によると、残食率は1日平均26%で、多い日は55%にも上る。大磯中のPTA調べでも30〜50%で推移。15年度の環境省の調査では小中学校の平均は約6・9%、同じ業者に委託している愛川町立中学3校の平均も約10%と、大磯町の数字は際立つ。
国府中では、おかずを完食したのは31人クラスで1人という日も。食べ残しは廃棄されているという。
教育委員会が要因の一つとして、過去の異物混入を挙げる。給食が始まった16年1月からことし7月11日まで96件あり、髪の毛や糸くず、ハエ、金属片、メニュー以外の食材などが見つかった。町教委は「生徒が気にして給食の中身を確認するようになった。(信頼回復へ)最善の努力は尽くしている」と説明、業者側に再発防止に努めるよう改善を促すなどしている。
さらに、町教委はデリバリー方式ならではの特性が理由ともみている。食中毒防止のために調理後30分以内に20度以下に冷やして配送されるが、学校関係者は「味付けが大人向け」とした上で「子どもが冷たいと感じてしまうのでは」と話す。
一方、町教委が7月に生徒や保護者を対象に実施したアンケートからは、思春期ならではの心情も浮かび上がる。近年の糖質制限ダイエットを意識した声のほか、「教室内で『給食嫌い』の声が強く、心情的に食べられる雰囲気がない」と周囲に合わせざるを得ないという意見も聞かれた。
食べられるのに残す「食品ロス」削減が叫ばれるなか、町は改善に本腰を入れる。異物混入の根絶はもちろん、主食がパンになる日を設けたほか、野菜を使った温かい汁物も提供する予定だ。さらに、家庭で作った弁当との「選択制」も検討するという。
島健二教育長は「残食率を下げるためにもできることはどんどんやっていき、子どもたちの意見が目に映るよう変化させていきたい」と強調した。