給付型奨学金を公約に 弁護士ら 参院選へ呼び掛け - 東京新聞(2016年4月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016040302000119.html
http://megalodon.jp/2016-0403-1026-51/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016040302000119.html

若者が奨学金返済に苦しんで貧困に陥らないよう、返済が不要な「給付型奨学金」の導入を参院選の争点にしようと、全国の弁護士や教員らでつくる「奨学金問題対策全国会議」が二日に東京都内で集会を開き、各政党に働き掛けていくことを確認した。 (柏崎智子)
「もし無料(返済なし)だったらと思わずにいられない」。集会で、高校時代から奨学金を利用した女性が訴えた。就職したもののパワハラなど厳しい労働環境で働けなくなり、奨学金を運営する日本学生支援機構に返済猶予を申請したが、「前年の収入が三百万円を超えている」などの理由で認められなかった。
埼玉奨学金問題ネットワークの鴨田譲弁護士は、機構から一括返済を迫られたり、取り立ての裁判を起こされたりした例を紹介し、制度の現状を「借りるときは奨学金、返すときは金融事業」と批判した。
国際的にみて、公的な奨学金に給付型がなく、ほぼすべてローンという国は珍しい。全国会議の共同代表、大内裕和中京大学教授は「参院選では給付型の導入など奨学金制度の改善を具体的に公約に入れるよう、各政党や候補者に働き掛ける」と表明。学生でつくる「愛知県学費と奨学金を考える会」も、給付型導入を争点にするよう求める声明文を発表したと報告した。
給付型の創設は子どもの貧困問題に取り組む団体なども要望してきたが、政府は慎重な姿勢を崩してこなかった。安倍首相は三月二十九日、国として給付型の導入を検討する考えを示したが、支給対象や基準は不明だ。

週のはじめに考える 貧しくとも学べる春よ - 東京新聞(2016年4月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040302000154.html
http://megalodon.jp/2016-0403-1100-42/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040302000154.html

晴れやかな入進学の春を今年も桜が彩ります。でも昨今は皆が皆、晴れやかではないのかもしれません。年々子どもたちに忍び寄る貧困の影です。
少女がくぐって行ったのは、桜の花にもどこか似た白いリンゴの並木でした。小説『赤毛のアン』の主人公が孤児院を出て、馬車で養親の家に向かう道。十一歳、春の旅立ちです。利発なアンは周りの支えに恵まれて、難関の奨学生にも挑むなど、よく学び、教師になる夢をたぐり寄せます。
貧しくとも開ける未来があるからこそ、小説は百年の時を超え世界に親しまれてきたのでしょう。
◆3等船室に潜む闇
けれども、これが貧しさを幸せに転じる理想のストーリーだとすれば、無論、貧困が行き着く苛酷な現実もあります。
赤毛のアン」の舞台、カナダ東岸のプリンス・エドワード島にも面した大西洋の沖合。一九一二年に沈んだ豪華客船タイタニックにも貧困の闇は潜んでいました。
沈没時は優先的に救出されたはずの「子ども」の乗客も百八人中、五十四人が犠牲になったが、上流階級の一等船客一人を除き、あとの五十三人は皆、貧しい労働者階級の三等船客だった。
なぜ三等船客に犠牲が集中したか。沈没に至る船内外の記録を克明につづった名著『不沈』(ダニエル・アレン・バトラー、大地舜訳、実業之日本社)に、米臨床心理学者のこんな考察があります。
「最大の障壁は三等船客自身の中にあった。長年、三等市民として位置付けられてきたため、危機が明らかになるとほとんどの者がすぐに希望を捨ててしまった」
それを裏付ける生存者の目撃証言も交え、著者は「何世代にもわたって社会の最下層におり、どこへ行くのか、何をするのか…全て指示されてきた三等船客の多くは禁欲的で受け身な精神構造になっていた」とも記しました。
◆次代に残す社会は
この悲劇が今に教えるのは、親子何世代にわたる「貧困の連鎖」の末路です。それは人生に夢も描けない諦めの階級社会かもしれません。逆に連鎖を断つには、貧しい子でも夢を諦めず、かなえ方を自ら理解し選択できるようにすること。国の責任において保障する「機会均等」の教育が必要です。
思えば戦後日本も憲法に沿って機会均等の社会を目指してきました。均等だから希望が湧き、活力を生んで繁栄もした。だがその頂点から経済大国の失われた二十年を経て、たどり着いたのは「子どもの貧困」大国でした。
日本の子どもの六人に一人が貧困状態にあること自体深刻だが、刮目(かつもく)すべきは、教育への公的支出割合の低さでしょう。二〇一二年の対国内総生産比4%弱。三十余の先進国で最下位です。
公費を惜しめば教育のつけは家計に回り、それがまた貧困家庭を苦しめて「連鎖」を助長します。
政府は一昨年「子どもの貧困対策大綱」を決めたが、そこには貧困率の低減目標すら示されず、対策に力は入りません。文教予算の減額続きもその流れか。「少子化」を理由に減らし続ける限りは、子どもの貧困対策に必要な予算が回らないのも当然でしょう。貧困はむしろ少子化の一因でもあるのに、これでは悪循環です。
そもそも国の財政難がここまで極まった以上、予算構造から政策の優先順位を見直す時かもしれません。私たちが次代に残す社会の形を考えれば、少なくとも防衛よりは教育を優先し、希望と活力が湧く社会を残すべきです。教育は何より未来への投資であり、国力の「基盤」を成すのはいつの世も教育だからです。
そしてその基盤は、百年の昔からも受け継いできたものでした。
「一九〇三年春−、十歳になる花子は父に手を引かれ、麻布、鳥居坂の桜並木を歩いていた」
赤毛のアン」の翻訳家、村岡花子の生涯を孫娘が描いた『アンのゆりかご』(村岡恵理、新潮文庫)の第一章は、こんな入学シーンで始まります。
◆階級の壁破る教育
給費奨学生から翻訳家へ夢を追う花子の人生の門出。平民の父は「華族の娘なんかに負けるな」と励まします。階級と貧困の壁を教育で破ろうとした父の信念でした。娘は終戦直後、文部省嘱託として関わる教育改革にこの信念を注ぎ込みます。「全ての子どもに将来の可能性が開けるように」と。
しかし私たちが今、教育を軽んじ、貧困の連鎖を看過するなら、歴史の歯車は、諦めの階級社会に向かって逆回転を始めるかもしれない。あの父娘も夢みて槌(つち)打った機会均等の教育基盤をもう一度、固め直さねばなりません。
これから百年の後も、桜並木を歩く子どもたちの顔が皆、等しく晴れやかであるために。

「国民は是非判断できる」 浅田次郎さん、放送法で持論 - 東京新聞(2016年4月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201604/CK2016040202000127.html
http://megalodon.jp/2016-0403-1059-25/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201604/CK2016040202000127.html

放送法を考える」と題した討論会が一日、東京都千代田区の日本記者クラブで開かれた。作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎さんや大学教授らが出席し、政府・自民党が放送への圧力を強めようとする動きへの批判や疑問の声などが上がった。浅田さんは「そもそも行政指導を受けないといけないような番組があるとは思わない」とした上で「日本国民はどんな報道に接しても自ら是非を判断できる知力があると思う。それでも支配者側が報道の自由を恐れてしまうのは、国民は愚か者という思想が前提にあるからではないか」と持論を述べた。

(筆洗)国家の代表たちはこんな条約に署名したそうだ。 - 東京新聞(2016年4月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016040302000118.html
http://megalodon.jp/2016-0403-1102-13/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016040302000118.html

国家の代表たちはこんな条約に署名したそうだ。<国境はもはや存在しない><軍隊、銃砲や爆弾はすべてなくす。戦争はもはやおこなわれない>−
現実の条約ならば良かったが、ドイツ人作家ケストナーの『動物会議』(高橋健二訳、一九四九年)である。戦争をやめようとしない人間に対し、業を煮やした世界中の動物たちが国際会議を開催するというおはなし。
ワシントンでの核安保サミットが閉幕した。二〇〇九年四月、「核兵器なき世界」を訴えたオバマ米大統領プラハ演説を受けて、発足した会議である。今回が最後となる。
核テロ防止で国際協調を図る。その合意は評価しよう。一方で、核保有国の核弾頭を削減する核軍縮の方は心もとない。一〇年、米国とロシアは戦略核弾頭を減らす新STARTでは合意したとはいえ、それ以上の前進はない。ロシアはこのサミットを欠席した。核軍縮の機運そのものが失われてはいまいか。「核兵器なき世界」なき世界を憂う。
オバマ大統領を夢想家と笑うのは簡単だが、夢想家さえいなくなる世界の方を心配する。次期米大統領の有力候補の一人は日本などの核武装容認論さえ口にする。
さぞや、いら立つ『動物会議』であろう。鳥羽水族館ダイオウグソクムシが息絶えた。一二年から絶食中だった。ケストナーなら人間世界へのハンガーストライキと書いただろう。

動物会議 (大型絵本)

動物会議 (大型絵本)

国内初の脱皮確認 ダイオウグソクムシが死ぬ


国内初の脱皮確認 ダイオウグソクムシが死ぬ - NHKニュース(2016年4月1日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160401/k10010465011000.html
http://megalodon.jp/2016-0401-2110-17/www3.nhk.or.jp/news/html/20160401/k10010465011000.html

(余録)レストランは「回復する」という仏語に由来する… - 毎日新聞(2016年4月3日)

http://mainichi.jp/articles/20160403/ddm/001/070/166000c
http://megalodon.jp/2016-0403-1103-37/mainichi.jp/articles/20160403/ddm/001/070/166000c

レストランは「回復する」という仏語に由来する。18世紀中ごろから料理店を指すようになった。一説では、パリのパン屋が「元気を取り戻す食べ物」という触れ込みでスープやポタージュを出したのが評判を呼び、世界中に広まったという。
全国各地で今、「子ども食堂」が誕生している。両親が共働きのため一人でコンビニ弁当を食べたり、家庭の経済的な事情で十分に食事を取れなかったりする子どもたちに、地域の住民らが食事を提供する取り組みである。
兵庫県尼崎市では廃業した元喫茶店内にオープンした。毎週金曜日に夕食を用意し、中学生までは準備や後片付けを手伝えば無料で食べられる。メニューは手作り。近所の人たちが差し入れた野菜や卵でほうれん草のオーブン焼きやブロッコリーの炒め物、豚汁などを作る。おにぎりはみんなでにぎってほおばる。
社会福祉協議会生活協同組合NPO法人、PTAなど地元の多くのグループが運営に協力している。集まった子どもたちは一緒に宿題を解いたりゲームをしたりもする。社協職員の社会福祉士、鎌田千佳子(かまたちかこ)さんは「顔の見える関係を築ける居場所が大事」と話す。
昨年暮れ、ネグレクト(養育の放棄)の疑いで朝食を取らない児童がいると尼崎市社協に相談があった。そこで冬休みの間、昼ご飯を食べる会を開き、その経験が食堂の常設につながった。
国内では6人に1人の子どもが貧困状態にあるという。ひとり親家庭の場合は50%以上と深刻だ。その支援として子ども食堂を設置しようと予算を組む自治体も出てきた。食事を通じて子どもたちの笑顔を取り戻したい。

ハンセン病 違憲性を直視してこそ - 朝日新聞(2016年4月3日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12292474.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2016-0403-1104-05/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p

「人権の砦(とりで)」「憲法の番人」であるべき最高裁にとって、あまりに遅い対応だった。
ハンセン病患者の裁判がかつて、隔離された「特別法廷」で開かれていた問題である。
当時の司法手続きを検証している最高裁は、今月中に公表する報告書の中で、元患者らへの謝罪を検討しているという。
患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年。すでに政府は01年、熊本地裁での国家賠償訴訟で敗れたのを機に隔離政策の過ちを謝罪した。その直後に国会も、全会一致で責任を認める決議をしている。
特別法廷については05年、厚生労働省の第三者機関が「不当な対応だった」と指摘した。それでも最高裁は動かなかった。「裁判官の独立」に抵触する可能性があるとして、自ら調査に乗り出すことをタブー視していた背景があったようだ。
裁判は原則として裁判所の公開法廷で開くことは、憲法と裁判所法で決まっている。最高裁が必要と認めれば裁判所の外に特別法廷をつくれるが、災害時など例外的な措置だ。
ところが、ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後は特効薬で治る病気だったのに、伝染の恐れを理由にして一律に特別法廷としていたとみられる。
ハンセン病患者の出廷を理由にした特別法廷は、1948〜72年に95件開かれた。申し出があったほとんどすべてを最高裁の事務総局の判断で許可していたという。熊本地裁判決が隔離政策は不要だったと認めた60年以降も、27件開かれていた。
95件の中には、ハンセン病患者とされた熊本県の男性が殺人罪に問われ、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」もあった。事件の再審を求める弁護士や元患者らが「憲法の公開原則に反した裁判だった」と訴えたことが、最高裁が検証に動き出すきっかけになった。
だが、今まで腰が重かった経緯を考えれば、最高裁がどこまで問題を直視するかは見通せない。当時の手続きの違法性は認めても、違憲性にまで踏み込むかどうかは不透明だ。
ハンセン病患者に対する差別に司法も加担した責任を直視するなら、特別法廷の違憲性にもはっきり向き合うべきだ。
いまなお、差別や偏見への恐怖心から解放されずにいる元患者は多い。その家族が受けた差別被害の裁判も始まる。
元患者や家族が今後の人生を有意義に過ごすため、今回の検証を役立てなくてはならない。最高裁はその責任を担う覚悟を、ぜひ謝罪に込めてほしい。

電力側、評価委員に810万円 川内原発の安全判断に関与 - 東京新聞(2016年4月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030402000121.html?ref=rank
http://megalodon.jp/2016-0403-1125-54/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030402000121.html?ref=rank

九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の周辺で巨大噴火を疑う異常が起きた際に、運転停止命令を出すかどうかを議論する原子力規制委員会の評価部会委員に決まった鹿児島大の火山学者ら二人が、過去に九州電力関西電力の子会社から計八百十万円の「奨学寄付金」を受けていたことが分かった。
鹿児島大が二〇一〇年度以降の情報開示に応じた。二人は小林哲夫名誉教授(火山地質学)と宮町宏樹教授(地震学)で、子会社二社とともに寄付の事実を認めた。規制委事務局は寄付を把握しているが情報公開していない。
規制委は「空振りを恐れずに」安全優先で停止命令を出すとしてきた。法令上の問題はないものの、電力側と資金関係がある委員を選んだことで、判断の公正さに疑問を持たれそうだ。
昨年八月に再稼働した川内原発の近くには、桜島を含む姶良(あいら)カルデラなど過去に巨大噴火した火山が集中。規制委は九電に火山の監視報告を求める一方、監視データの評価部会を原子炉安全専門審査会に設置することを決めた。
委員は鹿児島大の二人と、北海道大と京都大の各一人、議決権を持たない国立機関の研究者二人で計六人。北海道大と京都大の教授は、いずれも電力側の寄付金を受けていなかった。
規制委事務局は取材に「寄付金については聞いているが支障はない」と説明。小林氏は「電力との関係は意識しなかった。(委員としての)判断には影響しない」、宮町氏は「電力に不利なことであっても発言するつもりだ」と話した。
開示資料によると、小林氏は一〇〜一四年度、関電系の建設コンサルタント会社「ニュージェック」(大阪市)から計三百十万円の寄付を受けた。宮町氏は一三〜一五年度、九電系の建設コンサルタント会社「西日本技術開発」(福岡市)から計五百万円を寄付された。
奨学寄付金は外部資金を受け入れる大学の制度。特定研究者に寄付できて使途に制限はなく、積み立ても可能という。
規制委は委員の申告に基づき、電力側の寄付金の有無を公開しているが、六人は任命手続きが終わっておらず公開されていない。
◆関係は意識しない
<小林哲夫・鹿児島大名誉教授の話> 奨学寄付金は、南西諸島の火山で実施したニュージェック側との共同研究の費用などに充てた。電力との関係は意識していなかった。今回指摘されて「言われてみればそうだな」と思ったぐらい。委員の話は、ほかになり手がいなかったということと、私が長年カルデラ火山を研究してきたということから引き受けた。判断には(寄付金は)影響しない。カルデラの研究もしないで、危険とか絶対安全とか決めつけるのは良くないと考えている。
◆規制委に説明済み
<宮町宏樹・鹿児島大教授の話> 九電子会社からの奨学寄付金などについては、すでに規制委に説明している。寄付金は特殊な機器による海底地震の観測や、学生の教育研究に用いた。委員として川内原発の火山監視について意見を求められることになるが、科学者として事実を曲げることはできない。九電に不利なことであっても発言するつもりだ。仮に寄付金などが規制委のルールに抵触するというのなら、委員への就任は辞退する。