週のはじめに考える 貧しくとも学べる春よ - 東京新聞(2016年4月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040302000154.html
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晴れやかな入進学の春を今年も桜が彩ります。でも昨今は皆が皆、晴れやかではないのかもしれません。年々子どもたちに忍び寄る貧困の影です。
少女がくぐって行ったのは、桜の花にもどこか似た白いリンゴの並木でした。小説『赤毛のアン』の主人公が孤児院を出て、馬車で養親の家に向かう道。十一歳、春の旅立ちです。利発なアンは周りの支えに恵まれて、難関の奨学生にも挑むなど、よく学び、教師になる夢をたぐり寄せます。
貧しくとも開ける未来があるからこそ、小説は百年の時を超え世界に親しまれてきたのでしょう。
◆3等船室に潜む闇
けれども、これが貧しさを幸せに転じる理想のストーリーだとすれば、無論、貧困が行き着く苛酷な現実もあります。
赤毛のアン」の舞台、カナダ東岸のプリンス・エドワード島にも面した大西洋の沖合。一九一二年に沈んだ豪華客船タイタニックにも貧困の闇は潜んでいました。
沈没時は優先的に救出されたはずの「子ども」の乗客も百八人中、五十四人が犠牲になったが、上流階級の一等船客一人を除き、あとの五十三人は皆、貧しい労働者階級の三等船客だった。
なぜ三等船客に犠牲が集中したか。沈没に至る船内外の記録を克明につづった名著『不沈』(ダニエル・アレン・バトラー、大地舜訳、実業之日本社)に、米臨床心理学者のこんな考察があります。
「最大の障壁は三等船客自身の中にあった。長年、三等市民として位置付けられてきたため、危機が明らかになるとほとんどの者がすぐに希望を捨ててしまった」
それを裏付ける生存者の目撃証言も交え、著者は「何世代にもわたって社会の最下層におり、どこへ行くのか、何をするのか…全て指示されてきた三等船客の多くは禁欲的で受け身な精神構造になっていた」とも記しました。
◆次代に残す社会は
この悲劇が今に教えるのは、親子何世代にわたる「貧困の連鎖」の末路です。それは人生に夢も描けない諦めの階級社会かもしれません。逆に連鎖を断つには、貧しい子でも夢を諦めず、かなえ方を自ら理解し選択できるようにすること。国の責任において保障する「機会均等」の教育が必要です。
思えば戦後日本も憲法に沿って機会均等の社会を目指してきました。均等だから希望が湧き、活力を生んで繁栄もした。だがその頂点から経済大国の失われた二十年を経て、たどり着いたのは「子どもの貧困」大国でした。
日本の子どもの六人に一人が貧困状態にあること自体深刻だが、刮目(かつもく)すべきは、教育への公的支出割合の低さでしょう。二〇一二年の対国内総生産比4%弱。三十余の先進国で最下位です。
公費を惜しめば教育のつけは家計に回り、それがまた貧困家庭を苦しめて「連鎖」を助長します。
政府は一昨年「子どもの貧困対策大綱」を決めたが、そこには貧困率の低減目標すら示されず、対策に力は入りません。文教予算の減額続きもその流れか。「少子化」を理由に減らし続ける限りは、子どもの貧困対策に必要な予算が回らないのも当然でしょう。貧困はむしろ少子化の一因でもあるのに、これでは悪循環です。
そもそも国の財政難がここまで極まった以上、予算構造から政策の優先順位を見直す時かもしれません。私たちが次代に残す社会の形を考えれば、少なくとも防衛よりは教育を優先し、希望と活力が湧く社会を残すべきです。教育は何より未来への投資であり、国力の「基盤」を成すのはいつの世も教育だからです。
そしてその基盤は、百年の昔からも受け継いできたものでした。
「一九〇三年春−、十歳になる花子は父に手を引かれ、麻布、鳥居坂の桜並木を歩いていた」
赤毛のアン」の翻訳家、村岡花子の生涯を孫娘が描いた『アンのゆりかご』(村岡恵理、新潮文庫)の第一章は、こんな入学シーンで始まります。
◆階級の壁破る教育
給費奨学生から翻訳家へ夢を追う花子の人生の門出。平民の父は「華族の娘なんかに負けるな」と励まします。階級と貧困の壁を教育で破ろうとした父の信念でした。娘は終戦直後、文部省嘱託として関わる教育改革にこの信念を注ぎ込みます。「全ての子どもに将来の可能性が開けるように」と。
しかし私たちが今、教育を軽んじ、貧困の連鎖を看過するなら、歴史の歯車は、諦めの階級社会に向かって逆回転を始めるかもしれない。あの父娘も夢みて槌(つち)打った機会均等の教育基盤をもう一度、固め直さねばなりません。
これから百年の後も、桜並木を歩く子どもたちの顔が皆、等しく晴れやかであるために。