ハンセン病 違憲性を直視してこそ - 朝日新聞(2016年4月3日)

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「人権の砦(とりで)」「憲法の番人」であるべき最高裁にとって、あまりに遅い対応だった。
ハンセン病患者の裁判がかつて、隔離された「特別法廷」で開かれていた問題である。
当時の司法手続きを検証している最高裁は、今月中に公表する報告書の中で、元患者らへの謝罪を検討しているという。
患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年。すでに政府は01年、熊本地裁での国家賠償訴訟で敗れたのを機に隔離政策の過ちを謝罪した。その直後に国会も、全会一致で責任を認める決議をしている。
特別法廷については05年、厚生労働省の第三者機関が「不当な対応だった」と指摘した。それでも最高裁は動かなかった。「裁判官の独立」に抵触する可能性があるとして、自ら調査に乗り出すことをタブー視していた背景があったようだ。
裁判は原則として裁判所の公開法廷で開くことは、憲法と裁判所法で決まっている。最高裁が必要と認めれば裁判所の外に特別法廷をつくれるが、災害時など例外的な措置だ。
ところが、ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後は特効薬で治る病気だったのに、伝染の恐れを理由にして一律に特別法廷としていたとみられる。
ハンセン病患者の出廷を理由にした特別法廷は、1948〜72年に95件開かれた。申し出があったほとんどすべてを最高裁の事務総局の判断で許可していたという。熊本地裁判決が隔離政策は不要だったと認めた60年以降も、27件開かれていた。
95件の中には、ハンセン病患者とされた熊本県の男性が殺人罪に問われ、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」もあった。事件の再審を求める弁護士や元患者らが「憲法の公開原則に反した裁判だった」と訴えたことが、最高裁が検証に動き出すきっかけになった。
だが、今まで腰が重かった経緯を考えれば、最高裁がどこまで問題を直視するかは見通せない。当時の手続きの違法性は認めても、違憲性にまで踏み込むかどうかは不透明だ。
ハンセン病患者に対する差別に司法も加担した責任を直視するなら、特別法廷の違憲性にもはっきり向き合うべきだ。
いまなお、差別や偏見への恐怖心から解放されずにいる元患者は多い。その家族が受けた差別被害の裁判も始まる。
元患者や家族が今後の人生を有意義に過ごすため、今回の検証を役立てなくてはならない。最高裁はその責任を担う覚悟を、ぜひ謝罪に込めてほしい。