年のはじめに考える 戦争しない人に成る-東京新聞(2015年1月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015011202000170.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1116-51/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015011202000170.html

◆こんな社会はいやだ
持続可能というぼんやりした言葉のイメージを捉えきれずに戸惑う子ども会議のメンバーに、コーディネーターを務めた大学の先生が、問い掛けました。

<十年後、あなたがこんな社会にはしたくない、こんな社会はいやだと思うことは何ですか?>

「戦争のある社会には絶対にしたくない」「戦争になること」「戦争だらけの社会」「日本が戦争をしているような社会」…。

意外と言うか、やっぱりと言うべきか、最も多く挙げられたのが、どのチームもテーマには掲げていない「戦争」でした。

持続可能な未来とは、たとえば戦争のない未来。閉会式本番。子ども会議はメッセージの中に、持続可能な未来へ向けた七つの提言を盛り込みました。練りに練った大人世代への要望です。

「戦争をしないでください。武力で解決しないでください」。とても切実な第一の提言でした。

そして、このように言い添えました。「子どもにできて大人にできないわけはない」と。

さて、新成人のみなさん。私たちは今、すごく反省しています。

子ども世代に「本気になれ」と言われたこと、というよりは、彼らに、そう言わせてしまったことを、です。

大人とは子どもの未来を築く人。子どもたちが頼れる大人、かっこいい大人になるために、みなさんにお願いしたい。

一つ目は、成人の記念に憲法を通読してみてほしい。憲法とは国民ではなく、国家を規制するものです。

たとえば「新・戦争のつくりかた」(マガジンハウス)という本に、こうあります。

<「憲法」は、政府がやるべきことと、やってはいけないことをわたしたちが決めた、国のおおもとのきまりです。戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです>

そのきまりをゆっくり、可能なら所々声に出して読み、みなさんが憲法を守るというよりは、憲法がみなさんを守ってくれていることを確かめてみてほしい。

二つ目に、言い古されたことのようですが、みなさんが新たに手にした一票の力を信じ、投票に出かけてほしい。

<黒沼ユリ子の御宿日記> 人生の区切りに思う戦後70年:千葉-東京新聞(2015年1月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150112/CK2015011202000136.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1103-27/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150112/CK2015011202000136.html

今回の引っ越しで一九五八年にプラハへ留学して以降、私が海外から親元に送り続けた絵はがきの束が東京の母の家から出てきた。

その中に「中国人留学生と仲良くなって話をしていたら、彼女に『日本人は中国人を嫌いでしょ?』と決め付けて聞かれたので、びっくりしました。はじめから否定形だったので…」と書いてある一枚を見つけた。それは五十年以上も前に書いた手紙なのだが、もし現在そう聞かれても、誰も不思議には思わないのではないだろうか。

同じ敗戦国のドイツは、侵略、占領したフランスと和を結び、欧州連合(EU)の統合を進めているのに対し、日本と中国、韓国、東南アジアとの関係は残念ながらまだその域には達していない。

ドイツのガウク大統領は二〇一三年九月、大戦中にナチス親衛隊が村民ほぼ全員を殺害したフランス中部オラドゥール村を独首脳として初めて訪ねた。そして虐殺現場が当時のまま保存された廃虚の中をフランスのオランド大統領と一緒に、奇跡的に虐殺を免れた生存者と手を取り合い慰霊したという。

欧州の歴史家たちは、歴史認識を共有し、各国共同で使う現代史の教科書を作った。私の夫は、ポーランド南部にあるアウシュビッツ強制収容所跡の国立博物館前にドイツ人学生を乗せたバスが並んでいるところを目の当たりにしている。

自己の犯した罪を心の底から認めて謝罪しなければ二度と再び友人にはなれないことは、小学生でも知っている。

日本の歴史を創る政治家たちも、各楽章に変化を加えつつ最終楽章の結尾部(コーダ)に運ぶ大作曲家のように、「世界平和」という最終目的に向かって大胆な変革の「区切り」を歴史にもたらすよう、果敢に挑んでもらいたい。 (バイオリニスト)

集団的自衛権容認 アートで疑問視 東日本橋で17日まで作品展:東京-東京新聞(2015年1月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150112/CK2015011202000113.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1107-22/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150112/CK2015011202000113.html

芸術家の開発好明(かいはつよしあき)さん(48)が、政府の集団的自衛権行使容認を疑問視する作品を展示している。中央区日本橋三のギャラリー・ハシモトで十七日まで。 (志村彰太)

憲法ブックレット 東京の市民ら出版-東京新聞(2015年1月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015011002000243.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1112-04/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015011002000243.html

東京の市民団体などのメンバーが、憲法ブックレット「『教育』『労働』『原発』『平和』のはなし」自費出版した。憲法が市民の生活にどうかかわっているのかを易しい言葉で説明している。憲法ブックレット出版委員会の一人、山本哲子さん(60)は「中学生にも読んでもらえるよう、表現を工夫した。若い世代に憲法を伝えていきたい」と話す。 (林朋実)

金子兜太、いとうせいこうが選ぶ「平和の俳句」 作品募集中

http://www.tokyo-np.co.jp/article/heiwanohaiku/list/CK2015010102000157.html

入選作品(2015年1月1日〜1月7日)
ひめゆりの娘(こ)らにも見せたい夏ロック
はらからの命抱きたり大銀杏(おおいちょう)
合掌す穴にひっそりみづあふひ
うばわずにこわさずに 明日はぐくむ手
一票は銃弾より重し八(や)っ手(で)花
平和とは一杯の飯初日の出

標語の魔力「空気」に踊らされず-東京新聞(2015年1月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010802100004.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1035-01/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010802100004.html

「欲しがりません勝つまでは」−。子どもの歌から、おじいさんおばあさんの詩吟まで、気がつけば生活の隅々まで戦争協力に染まった時代があった。官と民が一緒になって、標語をはじめとする国策宣伝を浸透させ、戦時中の気分を作り上げた。 (岩崎健太朗)

戦争体験へのまなざし 複雑さにこそ想像力を-東京新聞(2015年1月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010702000194.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1052-25/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010702000194.html

戦線で、銃後で、人々は辛酸をなめた。その体験の中には、証言として明らかにされたものもあれば、封印されたものもある。戦後70年を迎え、体験者の生の声が社会から消えていく中、語られなかった部分への想像力がますます必要となる。 (福田真悟、早川由紀美)

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戦争体験にはいずれも「語りにくさ」が付きまとう。

「『戦争体験』の戦後史」(中公新書)などの著書がある福間良明立命館大学教授(歴史社会学)は「罪責感や恥辱の混じった体験を言語化するのは難しい」と話す。

極限状態での戦闘行為には被害と加害が絡み合っている。60年代までは、その複雑さに対する共通理解があったが、時とともに薄れていく。

とくに80年代以降、近隣諸国への加害責任などをめぐり、意見の対立が先鋭化。双方の立場の人が戦争体験の「聞きたい部分だけを聞く」状態に陥りがちなことが、福間教授は気掛かりだ。

「どちらの立場の人にも自分だったらどう行動したのか、とわが身に置き換える想像力が欠けているように思う。70年の間に、もんもんとした複雑な戦争体験の何がかき消されてしまったのか、目をこらして見ていくべきだ」

咲く桜、散る桜 散り際の美学すり替え-東京新聞(2015年1月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010602000207.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1050-11/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010602000207.html

古くから満開の姿が日本人を魅了した桜は、戦時下「ぱっと散る」美学にすり替えられた。戦争を知る人々は、桜を通じて「美化」の危うさも胸に刻んでいる。 (木原育子)
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愛国心への融合
桜と軍国主義の関係を考察した「ねじ曲げられた桜」(岩波書店)の著者、米国ウィスコンシン大の大貫恵美子教授(象徴人類学)は「花は、生きることのシンボルにも死ぬことのシンボルにもなりうる。どちらに重きをおくか、気づかれずに変えることにも成功しやすい」と指摘する。

花見の研究を深めるうち、自然の美しさを愛国心に融合していった戦時に関心が向いたという。「美化というのは恐ろしい。人は情緒的なものには抵抗しにくい。だれがどういう目的で美化しているか注意しないといけない」

花見は今も春を告げる風物詩だが、その木を美しいと思ったことを悔やむ人も同じ日本にいる。それもまた、戦争の一片だった。

ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義 (岩波オンデマンドブックス)

ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義 (岩波オンデマンドブックス)

戦時下民の声 にじむ平和への渇望-東京新聞(2015年1月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010502000219.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1046-47/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010502000219.html

戦時下の特別高等警察特高)の取り締まりの記録「特高月報」。戦後70年たった今では、庶民の戦後に続く平和への思いをうかがい知ることができる貴重な資料になっている。 (飯田孝幸)
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特高月報や戦時中の日記などから、戦時中の庶民の意識を探った著作「流言・投書の太平洋戦争」のある明治大の川島高峰(たかね)准教授(近代民衆思想史)は「戦前の体制のすごさは、警察が目を光らせるだけでなく、国民が国民を監視するところにあった。警察や憲兵だけではあの体制はつくりえなかった」と指摘する。「一番隠したかったのは戦局。もっとも、取り締まる側も本当のことは知らなかったのだが…」

流言・投書の太平洋戦争 (講談社学術文庫)

流言・投書の太平洋戦争 (講談社学術文庫)

国民服と日本人 敵・欧米の洋服着る矛盾-東京新聞(2015年1月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010402000169.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1045-53/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010402000169.html

戦争中、街をカーキ色に染めた国民服。生地を軍用に回すという現実的な理由とともに、敵国である欧米の洋服とは一線を画したいという自意識のあらわれでもあった。身にまとうものは今も、人の心や社会のありようと影響を及ぼし合っている。 (渡辺大地)
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しかし、今も「着る自由」は、思わぬ壁に直面することもある。

昨秋、絵本作家いわさきちひろさんの孫で自身も絵本作家の松本春野さん(30)は、ネットで自分に寄せられた「反日」「非国民」という批判に困惑した。東京都新宿区であったヘイトスピーチ(憎悪表現)に反対するデモに参加するにあたって、朝鮮の民族衣装「チマ・チョゴリ」を着て歩くとネットでつぶやいたのが原因だった。「単純にかわいいから着たかっただけなのに」

1面に登場するテーラー店主で、全日本洋服協同組合連合会顧問の白瀬一郎さん(77)はリクルートスーツが不思議だ。「自分を売り込むときに、何であんなに没個性の格好していかなきゃいけないの。自分の顔や体形に合った色や装い方だって自己表現の一つなのに。逆に言えば選ぶ側に素養がないのかな」

戦争と文化芸能 戦争の道具にされた芸人-東京新聞(2015年1月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010302000163.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1036-43/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010302000163.html

国力のすべてを戦争に−。1938年に成立した国家総動員法は、経済活動のみならず、文化・芸術・芸能までも戦争の道具にしていった。漫才師たちは海を渡って戦地で兵隊を笑わせ、国内で戦時スローガンを浸透させる役割を担った。(飯田孝幸、渡辺大地)
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漫才にとどまらず、文化芸能は戦争と深く結びついていた。「詩歌と戦争」の著者で東京外大大学院の中野敏男教授は軍の暴走だけでは、その背景は説明できないと考えている。32年の上海事変では、敵陣への突撃路を確保するため3人の兵隊が爆死し、爆弾三勇士と呼ばれた。新聞は関連記事を連日書き、映画、演劇、歌、講談、漫才になり、国民は熱狂した。「国民が求め、(見せる側が)大衆迎合した」と指摘する。

参考サイト)
爆笑問題の政治ネタを事前のネタ見せでボツにしたNHK。まるで検閲だね&「戦後70年談話」の有識者会議に大手マスコミ幹部の名が・・・ナベツネか?-くろねこの短語(2015年1月8日)

http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-338c.html