<黒沼ユリ子の御宿日記> 人生の区切りに思う戦後70年:千葉-東京新聞(2015年1月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150112/CK2015011202000136.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1103-27/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150112/CK2015011202000136.html

今回の引っ越しで一九五八年にプラハへ留学して以降、私が海外から親元に送り続けた絵はがきの束が東京の母の家から出てきた。

その中に「中国人留学生と仲良くなって話をしていたら、彼女に『日本人は中国人を嫌いでしょ?』と決め付けて聞かれたので、びっくりしました。はじめから否定形だったので…」と書いてある一枚を見つけた。それは五十年以上も前に書いた手紙なのだが、もし現在そう聞かれても、誰も不思議には思わないのではないだろうか。

同じ敗戦国のドイツは、侵略、占領したフランスと和を結び、欧州連合(EU)の統合を進めているのに対し、日本と中国、韓国、東南アジアとの関係は残念ながらまだその域には達していない。

ドイツのガウク大統領は二〇一三年九月、大戦中にナチス親衛隊が村民ほぼ全員を殺害したフランス中部オラドゥール村を独首脳として初めて訪ねた。そして虐殺現場が当時のまま保存された廃虚の中をフランスのオランド大統領と一緒に、奇跡的に虐殺を免れた生存者と手を取り合い慰霊したという。

欧州の歴史家たちは、歴史認識を共有し、各国共同で使う現代史の教科書を作った。私の夫は、ポーランド南部にあるアウシュビッツ強制収容所跡の国立博物館前にドイツ人学生を乗せたバスが並んでいるところを目の当たりにしている。

自己の犯した罪を心の底から認めて謝罪しなければ二度と再び友人にはなれないことは、小学生でも知っている。

日本の歴史を創る政治家たちも、各楽章に変化を加えつつ最終楽章の結尾部(コーダ)に運ぶ大作曲家のように、「世界平和」という最終目的に向かって大胆な変革の「区切り」を歴史にもたらすよう、果敢に挑んでもらいたい。 (バイオリニスト)