戦争体験へのまなざし 複雑さにこそ想像力を-東京新聞(2015年1月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010702000194.html
http://megalodon.jp/2015-0112-1052-25/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/sengonotisou/CK2015010702000194.html

戦線で、銃後で、人々は辛酸をなめた。その体験の中には、証言として明らかにされたものもあれば、封印されたものもある。戦後70年を迎え、体験者の生の声が社会から消えていく中、語られなかった部分への想像力がますます必要となる。 (福田真悟、早川由紀美)

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戦争体験にはいずれも「語りにくさ」が付きまとう。

「『戦争体験』の戦後史」(中公新書)などの著書がある福間良明立命館大学教授(歴史社会学)は「罪責感や恥辱の混じった体験を言語化するのは難しい」と話す。

極限状態での戦闘行為には被害と加害が絡み合っている。60年代までは、その複雑さに対する共通理解があったが、時とともに薄れていく。

とくに80年代以降、近隣諸国への加害責任などをめぐり、意見の対立が先鋭化。双方の立場の人が戦争体験の「聞きたい部分だけを聞く」状態に陥りがちなことが、福間教授は気掛かりだ。

「どちらの立場の人にも自分だったらどう行動したのか、とわが身に置き換える想像力が欠けているように思う。70年の間に、もんもんとした複雑な戦争体験の何がかき消されてしまったのか、目をこらして見ていくべきだ」