https://www.tokyo-np.co.jp/article/283723
「炭坑のカナリア」という言葉があります。古い映画などで炭鉱従事者が鳥かごに入ったカナリアを連れて坑道を進んでいく場面を覚えている読者も多いことでしょう。
カナリアには気の毒ですが人間よりも有害ガスに敏感だとされるカナリアが衰弱したり、激しく鳴くなど変な動きをしたりすれば、身に危険が迫ることが分かります。
私たちの社会に危険が迫れば、それをいち早く察知し、警鐘を鳴らす。新聞は社会にとって「炭坑のカナリア」のような存在でなければなりません。それがジャーナリズムの使命であり、読者が最も期待することでしょう。
しかし、故ジャニー喜多川氏の性加害では、東京新聞をはじめとする新聞やテレビなどのメディアが使命を果たせたとはとても言えません。
粘り強く追及し続けたのは週刊文春であり、問題が広く認識されるきっかけをつくったのは英国の公共放送BBCの報道でした。
性的虐待の真実性については2000年代初頭にすでに司法が認めていたにもかかわらず、人権侵害の重要性を正しく認識できてこなかったことは痛恨の極みです。
これを償うにはジャーナリズムの使命をあらためて肝に銘じ、ジャニーズ側に被害者の救済・補償に最優先で取り組むよう社説で訴え続ける以外に道はないと考えます。
本紙が3日の社説「ジャニーズ会見 被害者本位の再出発に」で「被害者の救済・補償を最優先に『被害者本位』の再出発とすべきだ」、9月8日の社説「ジャニーズ謝罪 経営陣刷新が不十分だ」では「中立的立場の経営陣が相当の覚悟で当たらなければ、十分に救済できないのではないか」と訴えたのは、前述の考えからです。
人権侵害が許されてならないことは当然ですが、最大の人権侵害は戦争だと、私たちは考えます。たとえ青くさいと言われようとも国際紛争を武力で解決することのないよう国際社会に訴えかけ、日本が少しでも戦争に近づくようなことがあれば、それを敏感に感じ取って警鐘を鳴らす。それが「炭坑のカナリア」として最大の使命でしょう。
あすから新聞週間が始まります。私たちはそうした新聞の使命を誠実に果たしているのだろうか、自問自答したいと考えます。 (と)