(余録) 不気味で奇怪な映像である… - 毎日新聞(2020年11月16日)

https://mainichi.jp/articles/20201116/ddm/001/070/120000c

不気味で奇怪な映像である。群衆が詰めかけた公開裁判。被告は皆、素直に罪を認める。死刑が宣告されると、傍聴者は歯をむき出して笑い、歓声を上げ手をたたき合う。しかし、事件はでっち上げだった。
旧ソ連の独裁者、スターリンが、大学教授や技師らを「資本主義の手先」として見せしめにした「産業党事件裁判」(1930年)。社会主義体制への転換を印象づけるため、自由と議会制を信奉するエリートたちが「国家転覆を企てた」というストーリーを仕立てた。
実録フィルムを編集したドキュメンタリー映画「粛清裁判」が公開中だ。真っ先に知識人が狙われた。大衆が独裁者のウソを支持したからだ。味をしめたスターリンは、やがて大粛清に乗りだし、民衆も膨大な数が処刑されるのに。
それでもスターリンは53年、権威の絶頂で亡くなった。広大な旧ソ連各地で数千万人が「偉大な指導者」の死を嘆く記録映画「国葬」も同時公開された。3年後に大虐殺者として告発された「英雄」を悼む人々の表情は、裁判と反対に沈んでいる。
スターリン時代の始まりと終わりを、熱狂と厳粛さで表象する2本の映画は、独裁体制を支えたのが他ならぬ群衆であった事実を映し出す。主役はスターリンではない。名もなき無数の人々の顔である。
日本学術会議問題で、菅義偉首相の説明に多くの人が納得していない。だが、世論調査で任命拒否を問題視する意見は少数派だ。縁遠いはずの異国の古い映像が、妙に生々しく迫ってくる。

 


『粛清裁判』予告篇