シベリア抑留への取り組み 日露首脳会談の議題に - 毎日新聞(2017年8月27日)

https://mainichi.jp/articles/20170827/ddm/005/070/056000c
http://archive.is/2017.08.27-012935/https://mainichi.jp/articles/20170827/ddm/005/070/056000c

戦争が終わった後に、なぜ非武装の仲間たちが死ななければならなかったのか、今も納得できないと元日本兵の池田幸一さん(96)は言う。「シベリア抑留」のことである。

第二次世界大戦で日本が降伏した後、旧満州(現中国東北部)や旧樺太(サハリン)の元日本兵らは旧ソ連各地に「捕虜」として連行され、収容所で強制労働させられた。厚生労働省の推計では約57万5000人が抑留され、うち約5万5000人が寒さや飢え、病気で亡くなった。

元抑留者らは、旧ソ連の指導者スターリンが連行を命じた8月23日を「シベリア抑留の日」と定め、毎年犠牲者の追悼集会を開いてきた。今年の集会で主催者を代表してあいさつした池田さんは日露首脳が主導して実態解明に取り組むよう求めた。両首脳はぜひ応えてもらいたい。

ロシアのプーチン大統領旧ソ連ゴルバチョフ、ロシアのエリツィン両元大統領と違い、この問題に言及したことがない。安倍晋三首相もこれまでプーチン氏と18回の会談を重ねてきたが、抑留問題は議題に取り上げてこなかった。日本としては懸案の北方領土問題の解決に障害になるという懸念もあるのだろう。

抑留問題は確かに日露間の「負の遺産」だ。蒸し返せば相互不信が強まる恐れもある。しかし、取り組み方次第では日露共同事業としての機運が生まれるかもしれない。

具体的には、現地になお残されたままの3万2000柱以上の遺骨収集や、墓参を希望する遺族への支援などが挙げられる。

厚労省は230カ所の埋葬地を確認しているが、遺族が訪ねてみるとゴミ捨て場と化していた所もあるという。ロシア政府が墓地の管理を現地任せにしてきたためでもある。遺骨収集がかなわなくとも、せめて慰霊のため墓標を立ててほしいという遺族は多い。

1991年に当時のソ連と日本が締結した協定に基づき、ロシアから犠牲者の名簿や資料が少しずつ提供されてきた。だがまだ不十分だ。協定の内容を拡充し、さらに幅広い協力に変えていくことが求められる。

安倍首相は9月にプーチン氏と会談する。抑留問題を直視することを通して、日露関係の基礎を固めるべきだ。