(余録)「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ… - 毎日新聞(2020年3月24日)

https://mainichi.jp/articles/20200324/ddm/001/070/105000c
http://archive.today/2020.03.24-011036/https://mainichi.jp/articles/20200324/ddm/001/070/105000c

「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ」。宮城まり子(みやぎ・まりこ)さんがよく口にした言葉である。宮城さんと親交のあった小紙の藤原章生(ふじわら・あきお)記者は昨夏のインタビューで自身の奇妙な記憶違いを記している。
障害をもつ子どものために女優の宮城さんが私財を投じた「ねむの木学園」のドキュメンタリー映画についての中学生時代の記憶である。心に残っていたのは霧の森の中、白いドレスの女性が子どもらを従え、歌っている場面だった。
女優のナルシシズムを感じさせる光景だが、後年、関連映画をすべて見て驚いた。そんな場面は存在せず、映像の記憶は自分の偏見が作り出した虚像と分かったのだ。映画の中の宮城さんは、障害をもつ子どもを必死に励ましていた。
人々の間には障害児教育やボランティアの概念もなく、世の仕組みから外れた「善意」がいかがわしく思われた時代だった。福祉や教育を一から勉強し、土地の確保、役所の認可とりつけに奔走(ほんそう)した宮城さんも「売名」の冷笑を浴びた。
世の中ではまだ旧優生保護法で障害者への不妊手術が行われていたころだ。中学生に偽りの記憶をうえつけた世の視線がどうであれ、いつも宮城さんがうれしそうに語ったのは学園の子どもたちが次々に開花させた個性と才能だった。
「ねむの木」の命名は、35年間暮らしを共にして学園理事もつとめた作家の吉行淳之介(よしゆき・じゅんのすけ)という。「やさしいことはつよいのよ」。世を変える個の善意の力を人々の心にしみわたらせ、宮城さんは旅立った。