(余録)新聞で「悲しい酒」を好きな曲にあげたことを機に… - 毎日新聞(2023年3月31日)

https://mainichi.jp/articles/20230331/ddm/001/070/105000c

新聞で「悲しい酒」を好きな曲にあげたことを機に美空ひばりさんと交流を深めた。ブランデー持参で自宅を訪れたひばりさんから「姉貴として付き合ってほしい」と頼まれた。その後は本名で「和枝さん」と呼んだ。
石原裕次郎さんとは1959年に映画で初共演し、兄嫁を演じた。撮影中、遅刻した裕次郎さんから「不肖の弟で申し訳ありません」と謝罪され、それからも「お姉さん」と呼ばれた。
93歳で亡くなった俳優の奈良岡朋子さん。昭和の大スターに慕われたのは傑出した演技力と人柄ゆえだろう。吉永小百合さんとは映画で何度も母子になった。「おっかさんに頼みたい」と請われ、結婚の保証人になった。
テレビ世代には朝の連続ドラマ「おしん」など知的で落ち着いた語り口のナレーションも印象深い。タクシーの運転手には「奈良岡さんですね。声でわかります」とよく言われたそうだ。
15歳で東京大空襲を体験し、52年の映画「原爆の子」で戦争の傷痕が残る広島ロケに参加した。70歳を過ぎてから戦争の記憶を語り始め、晩年は井伏鱒二作「黒い雨」の朗読がライフワークになった。
「デコ」の愛称の名付け親は劇団民芸の先輩、宇野重吉さん。生前に残したメッセージで「昔のデコじゃないですよ」と新たな旅路での再会を願った。「裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます」とも。民芸で同期の大滝秀治さんとは「継続は力なり」と芝居を続けることを約束し合ったという。その通り、役者の道を貫いた人生だった。