(筆洗)「ねむの木学園」 - 東京新聞(2020年3月24日)

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レコード会社のごみ箱の中に歌詞が捨てられていた。それをたまたま見かけた女性が拾い上げ、読んだところ、かわいそうな戦災孤児の歌だった。
これをどうしても歌いたい。関係者にかけ合った。ヒットした「ガード下の靴みがき」(一九五五年)である。ごみ箱の曲を拾い育てた人が亡くなった。歌手で女優の宮城まり子さん。九十三歳。誰も気に留めなかった存在に手を差し伸べる。その後の生き方と重なる逸話かもしれぬ。
父親は生活の苦しいジャズマン。弟さんと二人でたいへんな苦労をして音楽の道に入った。戦後は巡業の日々だったそうだ。
からだの不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立したのは障害者というだけで教育が受けられない当時の現実と自身が子ども時代に経験した悲しみがある。弟さんとこんな約束をしていたそうだ。「泣いている子にやさしくしようね」。それが学園となった。
当初は俳優の道楽と見られ、苦労の連続だった。汚物の付いた何十枚もの下着を素手で泣きながら洗った。干し終えたとたん、ロープが外れて全部落ちた。「神様、私はうそつきです。やさしくなんかありません」。逃げ出したくなる日もあったという。
子どもたちにはこう教え続けた。「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いのよ」。「やさしくしようね」から逃げなかった強い人が旅立った。