(筆洗) 心愛さんの心残りと無念 - 東京新聞(2020年3月20日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020032002000126.html
https://megalodon.jp/2020-0320-0922-13/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/hissen/CK2020032002000126.html

はかない今生を江戸期の禅僧沢庵(たくあん)は詠んだ。

たらちねによばれて仮の客に来てこころのこさずかえる故郷

たらちね、つまり父、母に呼ばれて訪れたこの世の客ならば、人は心残りなしに去るのがいいと。
短いひと時なればこそ、大切に楽しく生きよ。そうもよめる歌だろう。招かれたこの世で、招いた親に虐げられて、露にも満たない生を、心残りと共に終えなければならなかった子供たちを思う時、歌は痛切な悲しみを帯びよう。
千葉県野田市の小学四年生、栗原心愛(みあ)さんの虐待死事件で、傷害致死などの罪に問われた父親に千葉地裁は懲役十六年の判決を言い渡した。「本来愛情を注がれるはずの実父から理不尽極まりない虐待を受け続け、絶命した…悲しみや無念」。裁判長の言葉も判決も重い。
父親は暴行の多くを否定し、娘が学校に訴えていた暴力について「うそ」だったとも主張した。「どうして」が分からないままの裁判となった。
「未来のあなたを見たいです。あきらめないで」と、自分に宛てた手紙を死の数カ月前に書いていたそうだ。心愛さんの心残りと無念はいかばかりかと感じられてならない。
<露の世は露の世ながらさりながら>。詠んだ小林一茶は幼い娘を疫病で亡くしている。命ははかない、そうだけれども、そうだからこそ、こんな無念があってはならない。世の中から声が聞こえるようだ。