(筆洗)「不幸は沈黙している」- 東京新聞(2019年9月7日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019090702000145.html
http://archive.today/2019.09.07-001212/https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019090702000145.html

女性思想家シモーヌ・ヴェイユは、人間の不幸について思索を重ねている。ユダヤ系フランス人として二つの世界大戦の時代を生き、工場労働や戦争の現場に身を投じながら、不幸を見詰めた人である。
残したという言葉に、「不幸は沈黙している」がある。世の中には、その苦しさゆえ、人に語ることができなくなるような不幸がある、という意味に解釈できよう。
暴力を受ける側の恐怖と屈辱、植え付けられた罪悪感で、時に不幸が人の目にふれず最悪の段階まで進む。虐待とは、沈黙する不幸の最たるものではないか。実例をみているようである。東京・目黒で昨年三月、女児が亡くなった虐待死事件の裁判が連日、報じられている。
女児が生前に書いたノートが公開された。「パパにおべんきょうおしえてもらったのにおれいをいわなかった」「ゆるしてください おねがいします」。持つべき罪の意識などあるはずもないのに、父親に暴行を受けた女児は自分を責め、許しを求めていた。
被告である母親は夫の精神的な支配に、「ロボットのように」服従したという。娘を案じながら、だれかに助けを求める考えは浮かばなかったそうだ。真実は分からないが、許し難い沈黙に思える。
先日の鹿児島の事件では、周囲が亡くなった女児の虐待を知る機会がありながら踏み込めなかった。沈黙に耳を澄まさなければならない。