(斜面) あの日、沖縄は青空が広がっていた。- 信濃毎日新聞(6月29日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190629/KT190628ETI090005000.php
http://archive.today/2019.06.30-014510/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190629/KT190628ETI090005000.php

あの日、沖縄は青空が広がっていた。石川市(現うるま市)の宮森小学校。3年生の上間(うえま)芳武君は花壇から摘んだヒマワリの大輪を担任の女性教諭に渡した。「先生にあげるよ」と言い残して校庭に飛び出した。その直後のことである

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耳をつんざくような大音響とともに教室が大きく揺れた。熱風が吹きつけ破片が飛び散る。米軍のジェット機が校舎に突っ込んできたのだ。機体の燃料が火の塊となって子どもたちを襲った。校庭のブランコで遊んでいた上間君は爆風に吹き飛ばされた

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敗戦から14年後の1959(昭和34)年6月30日。米国の施政権下で起きた事故である。ジェット機は訓練中に火災を起こしてパイロットは脱出。機体は墜落した。整備不良が原因だった。上間君ら児童11人と住民6人が犠牲になり、後に1人がやけどの後遺症のため亡くなった

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教員らは長い間、児童を救えなかった自責の念を抱え込み沈黙していた。10年ほど前から記憶を語り始めた。ヒマワリが大好きだった上間君の逸話も知られるようになり、児童や住民が植栽活動を始めた。いま校庭や地区のあちこちで大輪を広げている

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昨日は慰霊碑「仲よし地蔵」の前で全校の追悼集会があった。上空を米軍機が何機も通過した。<ひまわりや仲良し地蔵と空見上げ>。語り部を続ける「石川・宮森630会」が募った平和メッセージで最優秀に選ばれた俳句だ。18歳の女子高生が詠んだ。爆音なき青空への願いがにじむ。