(ハンセン病家族訴訟)被害に向き合う判断を - 沖縄タイムス(2018年12月23日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/362912
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お使いに行った雑貨屋で「あんたには売らん」と買い物を拒否された。
同級生から「風上に行くな、菌がうつる」といじめに遭った。
母親が元患者だと打ち明けると、理由も告げずに離婚を切り出された。 
親がハンセン病だったことで、苦難の人生を歩んできた県内に住む家族の声である。時に隔離されている患者本人より過酷な差別もあったといい、胸をえぐられるような思いがした。
ハンセン病の強制隔離政策を巡って、元患者の家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟が、熊本地裁で結審した。患者だけでなく配偶者や子どもらも差別と偏見にさらされたとする集団訴訟で、原告のうち4割が沖縄在住である。
ハンセン病は戦後間もなく薬で治るようになったが、隔離政策は1996年の「らい予防法」廃止まで90年近く続いた。元患者らが国家賠償を求めた2001年の熊本地裁判決は、隔離を違憲と判断。国は元患者と和解し、各種の補償制度を整備した。しかし同様に被害を受けた家族へ目が向けられることはなかった。
家族はなぜ、理不尽な仕打ちを受けなければならなかったのか。
家の中が真っ白になるまで消毒されたり、子どもを「未感染児童」として療養所内の保育所に収容するなど、原告らの意見陳述で明らかになったのは、隔離政策の対象が家族にまで及んでいたということだ。
隔離が助長した偏見によって学校や地域から排除され、結婚や就職などの場面で厳しい差別に直面したのである。

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原告側は家族被害をもたらした国の責任を追及している。
これに対し国は「家族は隔離政策の対象ではなく、国に偏見や差別を取り除く義務はなかった」と反論。仮に被害があったとしても、国と元患者の遺族らが和解した02年時点から3年以上経過し、民法の規定で賠償請求権は消滅したとしている。
原告の中には、これまで誰にも話せなかった被害を心を奮い立たせて告白したという人も多い。
「幼くして家族と引き離され、本当の意味での親子としての関係が築けなかった。あるべき家族の関係性が根本から奪われてしまった」など、その訴えは具体的で重い。
国に差別排除の義務はなかったとの反論は、苦難を強いられた歴史から目を背けるものだ。

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原告のほとんどは本名を明らかにしていない。原告番号で特定される匿名裁判を選ばざるを得なかったのは、いまだに被害が続いているからでもある。
国が社会の偏見をなくす対策もとらずに、請求権の消滅を主張することは許されない。
01年の熊本地裁判決は、「らい予防法」の改廃を怠った国の怠慢を指摘する画期的な内容だった。
司法には再び深刻な人権侵害の歴史に向き合い、国の責任を明確にしてもらいたい。