http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018112902000145.html
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「センイチ」と聞いて、思い出すのは昔の野球選手の名前ぐらいだが、戦後、米軍キャンプを回るジャズ楽団員には欠かせぬものだったそうだ。当時の隠語でジャズの有名曲を集めた楽譜集のことをいう。
センイチとは千一で、たくさんの曲が載っているという意味だろう。実は海賊版であまりおおっぴらにできるものではなかったらしい。
貧しき時代。米兵相手のジャズメンは景気が良かったと聞くが、「センイチ」は大切なメシの種だった。そのピアニストもやはり「センイチ」のお世話になったか。戦後ジャズ史の大半に身を置いた前田憲男さんが亡くなった。八十三歳。
年齢から、戦後七十三年を引き算すれば十歳前後。その年から進駐軍放送と教則本でピアノを学び、高校卒業後、進駐軍キャンプで演奏を始める。独学で切り開いた道は伝説の「モダンジャズ三人の会」やビッグバンドから歌謡曲の編曲まで幅広い音の世界につながっていた。
前田さんに「センイチ」は不要だったかもしれぬこんな逸話がある。珍しい輸入レコードを業者から試聴したいと借りる。次の日に「いらない」と返すが、その間に聞き取りで全曲採譜。そして、その晩に演奏する。
前田さん編曲の「A列車で行こう」は「原信夫とシャープス&フラッツ」の十八番だった。A列車で旅立たれたか。列車内から軽快なピアノの音が聞こえてくる。