(筆洗)<浴衣着ていくさの記憶うするるか>。 - 東京新聞(2016年7月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016072102000126.html
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<浴衣着ていくさの記憶うするるか>。一九五三(昭和二十八)年というから十九歳、早稲田大学俳句研究会時代の句である。俳号巨泉。十二日亡くなった大橋巨泉さんである。八十二歳。
ジャズ評論、放送作家、テレビ司会者として燦(きら)めき、世を愉(たの)しませた「巨泉」の名はもともと十六歳から使っていた俳号。ファンだった野球の巨人軍とアイデアの「泉」を組み合わせた。
句の<浴衣>にその存在と味を重ねたくなる。戦後の復興期から高度成長期。懸命に働く日本人に背広や作業服から浴衣に着替えさせて「たまには遊びませんか」と健全にそそのかしてくれた方ではなかったか。
ジャズはもちろん、映画、歌舞伎など幅広い知識をささやき、ゴルフ、麻雀(マージャン)、釣り、競馬、海外旅行などの遊びを指南。それは、どこかまだ四角四面だった当時の日本の顔に鉋(かんな)をかけ、丸みをつけていたかのようである。
半面、浴衣を着てもこの人には<記憶うするる>ことなき<いくさ>だったのかもしれぬ。戦争中の機銃掃射の「そばに突き刺さる銃弾の恐怖」が忘れられなかった。深夜番組の軽妙な「11PM」でベトナム戦争社会福祉、公害などの社会問題を積極的に取り上げたのも権力への警戒感だったのだろう。
遊びも社会を考えるのも大人の「嗜(たしな)み」。そう教えた浴衣がけの昭和ヒトケタが旅立つ。たぶんジャズをハミングしながら。