巣鴨プリズンの象徴が現存 刑場入り口の13号扉、法務省施設で保管 - 東京新聞(2018年10月11日)

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法務省の施設で保管されていた巣鴨プリズンの「13号扉」。刑場への入り口だったとされる=東京都昭島市

第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が戦犯を収容し、東条英機元首相らA級戦犯七人の死刑が執行された巣鴨プリズン(東京都豊島区)の「13号扉」が法務省の施設で保管されていることが十日、分かった。刑場への入り口だったとされる13号扉は、巣鴨プリズンの象徴的な存在で、法務省は「貴重な歴史的史料。今後の保管や公開の在り方について、検討を進めたい」としている。
13号扉は鉄製で、縦約二百十センチ、横約百三十センチ。保存のため、後で取り付けたとみられる木枠で四辺が覆われている。当時、刑が執行される死刑囚は、刑場につながるこの扉から入り、執行後に別の扉から遺体が搬出されたとされる。
関係者によると、13号扉は建物解体後、跡地を再開発した「新都市開発センター」(現サンシャインシティ)が法務省に寄付。一九八二年から昨年まで、東京都府中市にあった矯正研修所で保管されていた。
寄付の際、法務省は矯正局長名で「公共性の強い催しのために貸し出しの要請があった場合、協議の上、対処するように」と矯正研修所長らに通知したが、これまで公開されず、昨年に「国際法務総合センター」(東京都昭島市)に移された。
センターでは他にも巣鴨プリズン関係史料を保管。GHQが特設した五つの絞首台跡地には、一時期、慰霊のための土塚が作られたが、その上に置かれていた石板五枚などが含まれる。
明治政府が建設した旧奈良監獄(奈良市)は今後、ホテルに改修され、監獄の歴史を伝える史料館も設置される予定。展示物を決めるため、法務省は八月から全国の刑務所で史料の再確認を始めたが、13号扉の扱いは未定という。

巣鴨プリズン> 連合国軍総司令部(GHQ)が、東京拘置所を接収し開設。多数の戦犯を収容し、極東国際軍事裁判東京裁判)で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人のほか、BC級戦犯の死刑が執行された。1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効で日本政府に移管され、巣鴨刑務所に改称。58年までにすべての戦犯を釈放、その後に建物は解体された。跡地には高層ビル「サンシャイン60」などが立つ。刑場跡の公園には「永久平和を願って」と記された石碑がある。