(大弦小弦)16年前、沖縄市の狭い路地にある飲み屋でのこと… - 沖縄タイムス(2018年10月3日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/324435
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16年前、沖縄市の狭い路地にある飲み屋でのこと。その人は地方自治や政治家について熱っぽく語った。先輩記者と一緒に話を聞いた相手は、新知事に選ばれた玉城デニーさん

▼ラジオのパーソナリティーなどで活躍する中、意外な気もしたが、市民参加型の街づくりや若者が活躍し、子どもやお年寄りに優しい社会にしたいという庶民目線が印象的だった

▼その後、沖縄市議、衆院議員と政治の道へ。政治家になってからも地元のラジオ局で番組を持ち、好きなロッカー風のいでたちで地元を歩く姿は、庶民派そのものだった

▼知事選でも有権者目線を重視し、「だれ一人取り残さない社会」を掲げた。このメッセージで思い出したのは、普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下した事故を取材したときの市民の声だ

▼「死人が出ないと、この国は分からないのか」。乱暴な言い方かもしれないが、多くの保護者が口にした。相次ぐ米軍機の事故で、子どもの命が脅かされる現状を変えられない政府への怒りとそれが届かないむなしさを表していた

▼玉城さんを知事に押し上げたのは、騒音や過重な基地負担など日常の問題を解決できない政府への積もり積もった抗議であり、取り残されてきた声でもある。玉城県政はあすスタートする。生活者の声を第一に県政のかじを取ってほしい。(赤嶺由紀子)