南洋戦国賠訴訟棄却 それでも国に補償責任 - 琉球新報(2018年1月26日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-653388.html
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国に切り捨てられた戦争被害者は、司法にも突き放された。国が起こした戦争にもかかわらずである。
サイパンテニアンなどの南洋諸島やフィリピンで戦争被害を受けた県出身者や遺族ら44人が、国に謝罪と原告1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁は訴えを全面的に退けた。戦時は旧憲法下で、国家賠償法施行前のため「国は不法行為責任は負わない」ことなどが棄却理由である。
国は戦傷病者戦没者遺族等援護法で軍人や軍属などは援護してきたが、原告ら大部分の一般住民は補償の対象外としている。原告側が主張する通り「救済措置の差別」であり、到底納得できない。
判決は、国家賠償法施行前の国の不法行為に賠償責任はないとする「国家無答責の法理」を適用し「原告らの請求には理由がない」などとして訴えをことごとく退けた。
「国家無答責の法理」とは国の公権力行使で個人に損害が発生しても、国は民事上の損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の古い考え方である。
国や公共団体の賠償責任を定めた法律がなかった時代の考えで裁くことは、今の時代にそぐわない。そもそも国家無答責の法理を適用するならば、「棄却ありき」の判決にしかならない。
1990年代から続出した戦後補償訴訟で、国は原告が訴えた被害に反論するより、国家無答責の法理と賠償を請求できるのは20年間に限られるという「除斥期間」の適用を主張してきた。
 多くの判決がそれに沿ったものとなり、那覇地裁もそれに追随した。だが、国家無答責の法理を適用しなかった判決も複数ある。戦時中の強制連行や強制労働を巡り、国と企業に賠償を命じた2004年の新潟地裁判決などは国家無答責の法理を適用せず、国の責任追及を阻む最大の壁とされた国家無答責の法理に風穴をあけた。
那覇地裁の判決文には「限られた国家の財政事情」「国家財政が有限の中」などの言葉が散見される。那覇地裁は被害者の立場ではなく、加害者である国の事情を過度にくんだのではないか。戦後補償の問題に司法は背を向けたと断じざるを得ない。
「国が損害賠償責任を免れることが正義公平の理念に反すると主張すること自体は、素朴な法感情に沿うものとして理解できないではない」との判決文は看過できない。
いや応なく戦争に加担させられ被害を受けたにもかかわらず、援護を受けられない状況を原告は「法の下の平等」に反すると訴えている。それを「素朴な法感情」と見下すような表現はいかがなものか。
今回の判決で国は勝訴したが、それでも国に補償責任はある。国民に甚大な被害をもたらした国の責任を深く認識し、救済の道を早期に切り開くべきだ。