[ハンセン病家族訴訟]国策が招いた差別断罪 - 沖縄タイムス(2019年6月29日)

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ハンセン病元患者の家族ら561人が国に損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は原告541人に対し、計約3億7600万円を支払うよう命じた。
判決は「違法な隔離政策で家族も差別され、生涯にわたり回復困難な被害を受けた」と国の責任を認定した。
国の隔離政策で差別が家族にも及んでいたことを明確に認めた意義は大きい。原告の全面勝訴に近い判決だ。
家族も偏見や差別にさらされたとの原告の主張について、医学の進歩や国内外の知見などからみて、遅くとも1960年にはハンセン病は隔離しなければならないほどの特別の疾患ではなくなっていた。判決は国が隔離政策をやめなかったことを違法とした上で、国会が96年までらい予防法の隔離規定を継続したのは立法不作為であるとした。
国は患者家族が大多数の国民から偏見や差別を受ける社会構造をつくったのである。
もう一つの原告の主張である家族関係の阻害については、隔離政策が家族間の交流を妨げたと認定した。被害の実情について村八分や結婚差別、就学や就職拒否、進路や交友関係など人生の選択肢の制限など具体的に挙げた。
個人の人格形成にとって重大で、個人の尊厳に関わる「人生被害」と指摘した。
憲法13条が保障する社会で平穏に生活する権利(人格権)や24条が保障する婚姻の自由が侵害されたのである。
国の隔離政策を違憲と判断した2001年の熊本地裁判決でも元患者らを人生被害と表現した。今回の判決で家族もまた人生被害を受けたと捉えたのである。

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原告561人のうち沖縄在住者が約4割の250人。問題の根深さがうかがえる。
過酷な体験を集会や審理で証言してきた。
原告の60代男性は学校の先生が「病気がうつるので、ハンセン病患者の洋服を借りて着てはいけません」と言っていたことを忘れない。
ある原告は、幼いころから「ばい菌近づくな」などといじめられ、仲良くなった子の親から突然一緒に遊ぶことを拒否された。別の原告は両親と引き離され、預け先の親戚からも近所の人たちからも偏見のまなざしで見られ、差別を受け続けた。このため他人との深い付き合いを避け、友人にも心を許すことができなくなったと証言した。
家族が受けた苛烈な被害をみれば元患者と一体である。

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01年の熊本地裁判決では小泉純一郎首相が控訴断念を政治決断した。今回も国は控訴を断念すべきだ。声を上げられなかった家族の実態把握と救済策を急ぐべきである。
恐怖心をあおり、社会の偏見や差別を助長し、孤立させた責任はマスコミを含めた私たちの社会にある。今も偏見と差別がなくなったとはいえない。多くの原告が実名ではなく原告番号の匿名で訴えていることからもうかがえる。
優生保護法下の強制不妊手術を巡る国家賠償請求訴訟とも重なる問題だ。偏見と差別のない社会を実現するため一人一人が「わが事」として向き合わなければならない。