(筆洗)日本人の感覚だけで、受け入れられる笑いかどうかを判断するのは危険である。 - 東京新聞(2018年1月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018011502000132.html
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マルクス兄弟の米コメディー映画「オペラは踊る」(一九三五年)。製作はメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)なので冒頭にはおなじみのライオンが吠(ほ)えるロゴが出るところだが、出ない。マルクス兄弟の面々がライオンのまねをして吠えるという趣向になっている。
「ガオー」。グルーチョ、チコに続き、ハーポが吠えるまねをするが、鳴き声の音が出ない。理由はマルクス兄弟シリーズでハーポは一切しゃべらないという設定だからである。この場面、今実演したら、おそらく差別的との批判が出る。声が出ない人を傷つけていると。
日本のコメディアンが顔を黒く塗り、黒人を演じたことが海外で批判されているという。難しい問題である。時代によって笑っていいものは変化する。
日本人には黒人への差別感情はそれほどないと信じるし、むしろプロスポーツや音楽界などの黒人はあこがれの対象でもあろう。当事者にも黒人を笑いものにする意識はなかっただろうが、国際社会の感覚ではそれは差別と判断されてしまう。
しかも情報がまたたく間に世界中に伝わる時代でもある。日本人の感覚だけで、受け入れられる笑いかどうかを判断するのは危険である。
人権意識の高まりは間違いなく良い方向だが、一方で優越感や差別と近い関係にある「笑い」をどう変えていくか。コメディアンには試練の時代である。