(筆洗)「フェンシズ」(デンゼル・ワシントン監督) - 東京新聞(2017年2月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017022802000131.html
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歴史上の人物についてリポートを書きなさいという課題が出た。文才に恵まれ、大学進学を考えていた黒人青年はナポレオンに関するリポートを丹念にまとめた。
見事な内容に歴史担当の教師は褒めたか。褒めなかった。黒人嫌いの教師は代作を疑い、自分で書いたことを証明するよう求めた。青年はそのまま学校を退学した。
米劇作家、オーガスト・ウィルソン(一九四五〜二〇〇五年)の若き日の逸話である。桑原文子さんの著作に詳しい。
その劇作家の名を、ある俳優が挙げた。昨日の米アカデミー賞授賞式。「普通の人びとを掘り起こし、光を当てた、その人に感謝する」。ウィルソン作品を映画化した「フェンシズ」(デンゼル・ワシントン監督)で助演女優賞を射止めたビオラデイビスである。
差別と貧困の中、ウィルソンは酒やギャンブルに溺れる黒人を大勢、見てきたが、やがて、どんなに荒(すさ)んだ生活でも、生きる価値のない人生などないという考えにたどり着いたそうだ。「生きるための苦悩。それさえ、美しく崇高に思えてきた」
その俳優はスピーチでこうも語っていた。「ある場所に可能性のある人たちが集まっている。墓地よ」。すべての人生には語られるべき価値がある。そんな意味でウィルソンの思いにもつながる。すべての人間の価値。それをかみしめれば、分断の時代は少しは変わるかもしれぬ。