(筆洗)自分のことを「八月十五日男」だ - 東京新聞(2017年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017081502000126.html
https://megalodon.jp/2017-0815-0931-08/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017081502000126.html

「俘虜記(ふりょき)」などの作家、大岡昇平さんは自分のことを「八月十五日男」だと『成城だより』の中に書いている。
こういう意味だ。八月十五日が近づくと、新聞から終戦記念日に当たっての感想やコメントの依頼が殺到する。したがって「八月十五日男」であり「手頃なマスコミ・フィギュア(人形)と化せしものの如し」
お書きになったのが一九八二年八月。当時よほどひっぱりだこだったのだろう。困惑はごもっともとはいえ、生身の体験として戦争はいやだときっぱりと語ってくれる「八月十五日男・女」の声がどうしても必要である。
怖かった。痛かった。悲しかった。その声はいかなる反論も戦争の美化も許さぬ現実である。その声は戦いに向かいたがる足をためらわせ続けてきたはずである。
「空襲で弟の手を離してしまった。今でも胸が痛い」「上級生が描いてくれた食べ物図鑑で空腹をまぎらわせた」。最近の新聞の発言欄で読ませていただいた。「八月十五日男・女」の声は今なお健在とはいえ、「戦後生まれ」は総人口の八割を既に超えている。生身の声は、か細く、やがては消えてしまう。戦争に向かう足にすがり、食い止めていた手が失われることになるまいか。それをおそれる。
声を聞く。覚える。真似(まね)でよい、口にする。それならば「八月十五日子ども」や「八月十五日孫」にもできる。声は消えぬ。