(筆洗)こういう体質が改められない限り、横浜事件にも終止符は打たれまい - 東京新聞(2016年7月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016070102000138.html
http://megalodon.jp/2016-0701-1034-56/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016070102000138.html

一九四五年八月十四日夜、つまり終戦の前夜、戦争指導の最高機関・大本営から火の手が上がった。だが、消防車が駆け付けても門は閉じられたままである。この不可解な騒ぎを見聞した作家内田百間(ひゃっけん)は日記に「何か焼き捨ててゐるのではないか」と書いた(『東京焼盡(しょうじん)』)
十七日の日記にも「昨夜(就寝後の)十一時頃きなくさいにほひがするので心配した」「大本営の書類を焼いてゐる煙が流れて来たのかも知れない」と作家が書いたほど、軍部は機密書類を燃やし続け、各役所でも貴重な公文書が焼却された。
そんな終戦前後の混乱の中で横浜地裁は、言論弾圧事件で起訴されていた三十人余を有罪にした。そして、記録を焼いたとされる。横浜事件だ。
元被告らは無実を証明するために裁判を起こしたが、裁判所は「記録がないから」とはねつけ続けた。記録がないのは誰の責任か。恐ろしく理不尽な話だが、責任を明確にしようという元被告の遺族の訴えもきのう、東京地裁に退けられた。
責任を問われかねぬ記録はなかったことにする。それは遠い過去の過ちではない。例えば、二年前のきょう、政府は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしたが、内閣法制局は歴史的決定をめぐる内部検討の記録などを公文書として残さなかったという。
こういう体質が改められない限り、横浜事件にも終止符は打たれまい。