終戦の日に考える 誰が戦争を止めるのか - 東京新聞(2017年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017081502000127.html
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人類の歴史は戦争の歴史ともいわれるが、いったい誰が戦争を起こすのか、また誰が戦争を止めるのか。最近の二つのニュースから考えてみたい。
一つめのニュースは、六月、世界に配信されたアラブの武器商人アドナン・カショギ氏の訃報。八十一歳。ロンドンでパーキンソン病の治療を受けていた。
イスラム教の聖地メッカで宮廷医の父に生まれ、米国に留学。初仕事は在学中の二十一歳、米国からエジプトへの大量のトラックを売る仲介だったという。

◆武器商人カショギ氏
その後武器商人に転じ、米紙ニューヨーク・タイムズによると顧客の企業は、航空機やミサイルのノースロップロッキードグラマン、車両類ではクライスラーフィアットなど。製品は世界に流れた。米国からイランへの武器密輸、イラン・コントラ事件にも関わる。
かたや高雅な暮らしを愛し、豪邸で豪華なパーティー。その晩年「私が何か悪いことをしたって。一切ない」と述べたという。
武器、兵器はもちろん国家の防衛品である。生産は兵器産業を支え、科学技術を進展させもする。
しかし一方でおびただしい血を流させもしただろう。
武器商人が死の商人と呼ばれるゆえんでもある。
二十世紀が戦争の世紀と呼ばれ、兵器開発に明け暮れ、戦争を繰り返してきたことを忘れてはなるまい。
その反省と深い悔悟を忘れてはなるまい。
その主体は国家であり、国民であり、つまり私たち民衆である。
二つめのニュースは、先月、国連で採択された核兵器禁止条約である。
米ロなど核兵器保有国と、アメリカの核の傘の下などとして日本は不参加だったけれど、多くの国々が核兵器の使用・保有・生産、また威嚇の禁止を約束した。

被爆者らの不屈の訴え
国の動きとは別に被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)の長く不屈の訴えがあった。被爆少女の折り鶴は反原爆のしるしである。小さな柔らかな紙であっても訴えは鋼より強いはずだ。
思い出してみよう。
一九九九年に対人地雷禁止条約、二〇〇八年にはクラスター弾禁止条約が実現している。市民と有志国の力である。
対人地雷は田畑を耕そうとする人々を殺し苦しめ、小さく多数ばらまかれるクラスター弾は拾う子どもらを殺傷した。その直接の当事者ではなくとも、国は違えども同じ人間として黙ってはいられない。普通の人々の正義である。
その普通の人々が戦争を止めたことはある。
よく知られた例はベトナム戦争だろうか。
一九六六年暮れ、ニューヨーク・タイムズのハリソン・ソールズベリ記者がハノイに入り、戦争の実態を伝え始めた。果たして勝てるのか、と。
対抗するようにワシントン・ポストのコラムは共産主義側の宣伝の鵜呑(うの)みと批判したが、全米約三十市反戦デモがわき起こる。徴兵拒否が起きる。
やがてデモはホワイトハウスを取り囲み、ニクソン大統領は米軍撤退を決める。
国民には自国の戦争を止める力がある。
政情はどうあれ、私たちは私たち自身の力をいまだ軽んじてはいないだろうか。
逆に国民は戦争に興奮することがある。
英国のフォークランド(アルゼンチン名、マルビナス)紛争時、アルゼンチン軍に制圧された英兵が地面に腹ばいに伏せさせられている写真を見た英国民は開戦へと奮い立った。失業とインフレで支持率低迷中のサッチャー首相は国防相や外相らの慎重論を押し切り戦争に踏み切った。
結果は戦勝で、支持率は上がった。しかし英国側二百五十六人の死者、七百七十七人の負傷者を出し、アルゼンチン側ではそれ以上の犠牲者のいたことを忘れてはなるまい。アルゼンチン側にもむろん非はある。それでも外交解決は本当に無理だったのか。政治は何を恐れ国民は何を望んだのか。

◆平和の世紀を求めよう
もし人類が進歩するというのなら、戦争の世紀から平和の世紀へと変えねばならない。
武器商人カショギ氏らの活躍した世紀から、市民・民衆の求める平和の世紀へと移行せねばならない。そういう力は強くなりつつある。そういう時代に私たちは生きている。
対人地雷、クラスター弾、そして核兵器。それらに決別を告げる世界運動は、戦争の歴史に別れを告げる人類史の小さくとも大切な一歩であると思いたい。