(筆洗)雨の夜、国会議事堂を取り囲む人の波に揺られながら、一人の女性の歩んだ道に思いをはせた - 東京新聞(2015年9月18日)

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雨の夜、国会議事堂を取り囲む人の波に揺られながら、一人の女性の歩んだ道に思いをはせた。
五十五年前、自民党日米安保の新条約を国会で強行採決した。絵の先生だった小林トミさんはいても立ってもいられず、友と二人でデモを始めた。「誰デモ入れる“声なき声”の会」と書いた幕を掲げて歩くうち、主婦や仕事帰りの会社員らも加わり、気がつけば三百人ほどにもなった。
時の首相・岸信介氏は押し寄せる抗議の大合唱を聞きつつ、「(賛成する)声なき声にも耳を傾けなければ」と言った。トミさんは、したこともなかったデモをすることで、それに応えたのだ(岩垂弘編『「声なき声」をきけ』)。
抗議の大波が消えても、彼女は日常生活を大切にしながら、声を上げ続けた。「声なき声の会」は、選挙があれば採決時の各議員の動きを有権者に示したり、自衛隊の海外派兵が問題になるたび街に出たりと、歩み続けた。
七月に逝った思想家の鶴見俊輔さんは、十二年前にトミさんが七十二歳で逝去した時、こう悼んだ。「戦争はいやだという、普通の人が誰でも感じていること、それを誰にでもできる形であらわしつづける。それがトミさんの呼びかけです」
彼女にとって、強行採決は終わりではなく、始まりだった。そんなことを考えながら、国会前で「民主主義って何だ!?」と唱和する若者らの声を聞いた。